約束の間Ⅱ
なにはともあれ、ミレーユの針仕事はこれで無事に終わり。
これで受注を請け負ってくれたライナス商会の体面も保たれるだろう。
一仕事を終えた安堵と達成感を胸に、その足で向かったのは花嫁専用図書館。
ミレーユは、今日こそはきっと他国の歴史が記された本を探し出すという強い意気込みで、優に数万冊を超える蔵書を見渡した。
(私の探し方が悪いのよ。もっとちゃんと探せば……。タイトルで探そうとするからダメなのかしら)
ならばと、本棚に並んでいる順番に手に取り、全体を流し読む方法へと探し方を変えてみる。
椅子に座らずに本棚の前から離れないミレーユに、ナイルは怪訝な顔を向けた。
「なにかお探しでいらっしゃいますか。ご要望があれば、司書に探させますが」
「え……あ、いえ……」
本棚の前でペラペラと本を捲る姿はやはり奇異に見えたらしい。
(ここで不用意な発言は危険だわ!)
ナイルの過保護を甘く見てはいけないことは、さすがに学んでいる。
「ほ、本が……お借りしていた本が、どこを探しても見つからなくなってしまったのでっ。もしかしたら、無意識に返していたのではないかと探しているんです!」
それは噓八百というわけではなく、事実でもあった。
エリアスとの再会時にテーブルの上に置いていたはずの本 が、いつの間にかなくなっていたのだ。
ルルに尋ねても、「本は難しくて嫌いなので、目に入らないようにしています!」と自信満々に返され、セナたち女官に聞いても、本の行方は杳として知れず。
「お借りした大切な本を無くしたとあっては一大事ですから」
ちなみに、本の紛失については、事前にナイルにも相談していた。
その時もナイルは気にしなくていいと言ってくれたが、そうはいかない。
花嫁専用図書館の本は、ミレーユのためだけのものではない。過去の花嫁、そして未来の花嫁のものでもある。
「ミレーユ様が探していらっしゃる本は、もしや《時の本》かもしれません。ならば、探そうとして見つかるものではございませんわ」
「時の本?」
復唱するミレーユに、ナイルが深く頷く。
「はい。ときおりそういった本があると聞いたことがございます。魔力によって封じられた本は、ある発生条件が重なると、読み手を選んで現れると。手元から消えたことには意味があるのでしょう。一度はお手に取ることができた本ならば、必ず戻ってまいります」
消えた本のことを咄嗟の言い訳に使ったとはいえ、気にしていたことには間違いない。
ナイルから必ず戻ってくるという力強い言葉を貰えたことに、ミレーユはほっと胸をなでおろした。
「その本の内容をすぐにでもお知りになられたいのなら、エリアス様がご覧になっていれば教えていただくことは可能ですが……」
「まだお帰りになられていらっしゃらないのですよね?」
再度の外出から、すでに数週間。婚儀までは、残り一週間を切っている。
「あのお二人は一度放たれたら戻ってこない無秩序な魔弾のような方々ですか――」
ふいにナイルの言葉が途切れ、鋭い視線が何かを探し当てるかのように動く。
「ナイルさん?」
どうしたんだろうとミレーユが首を傾げるよりも早く、ナイルは席を外すことを詫びると、館外へと飛び出してしまった。
(あれほど急いで外に出られるなんて、何かあったのかしら?)
気になったミレーユは、すぐさまナイルの後を追った。
図書館を出ると、そこにはナイルに捕らえられているドリスの姿があった。
「ドリス、その腕に抱えているものを渡しなさい!」
「なぜ貴女がここに……。いまは竜王陛下の最終衣装確認の打ち合わせのはずでは」
「そんなものはとっくに終わっています!」
なにか事件でも起きたのかと心配して見に来たミレーユだったが、繰り広げられているのはいつものナイルとドリスの言い争いだった。
よかった、と安心したミレーユだったが。
「また性懲りもなく 約束の間を爆破しようとしているでしょう。早くその魔石を渡しなさい!」
(――え? 爆破?)
いま、爆破と聞こえたような……。
固まるミレーユの耳に、ドリスの躊躇など一切ない溌溂とした声が響く。
「嫌ですよっ。せっかくわざわざティーガー国まで行って、皇太后陛下に威力最強クラスの魔弾を込めて頂いたのですから! それに、ちゃんと許可も取っています。皇太后陛下は貴女と違って話が早い方ですからね!」
ドリスは意気揚々と、腕に抱えていた数個の魔石を掲げた。
それは一つ一つがミレーユの両手サイズあり、いままで見た魔石の中でもかなり大きな石だった。
どうやら魔弾の威力をあげるために、魔石の体積も大きいものを選んだようだ。
「それは話が早いのではありません! あの方はただ破壊行動を好まれているだけです!」
(この会話、以前も聞いたような……)
エリアスとの邂逅はわずかな時間だったが、その人となりを知る機会が与えられたお陰で、いまならあの時の会話の意味も理解できる。
「とにかく、それをすぐに捨てなさい!」
「だから嫌だと――あら、ミレーユ様……」
言い合う二人を止めようとミレーユが近づくと、ドリスはなぜかハッとしたような顔をした。
「そうです! ミレーユ様もご一緒に約束の間に行かれませんか!?」
「え……私もご一緒してよろしいのですか?」
思わず聞き返すと、ナイルは目を吊り上げ怒鳴った。
「貴女のバカげた破壊行動に、ミレーユ様を付き合わせるわけがないでしょう!」
「いえ、ミレーユ様が一緒に来てくださるなら、これはお返しします」
そう言って、ドリスはなぜかあっさりと魔石をナイルに手渡した。