至宝の君Ⅻ
「ミレーユの性格を除外して考えても、竜王の花嫁を狙う輩が存在するとは思えんが」
花嫁への対応を誤れば、その被害が甚大となることは、南の大陸では周知の事実。
竜王に無礼を働いても、罪はその者の命で事足りるが、それが花嫁となると話は別。失われる命は一つではなく、種族の絶滅となる。
つまり、他種族にとって竜王よりも慎重に接するべき相手は花嫁なのだ。
花嫁に対し害をなす危険性を理解できていないバカはいないと発するカインに、傍らに控えていたゼルギスは、それに相応する相手がいたことを思い出した。
「そういえば、お一人いらっしゃいましたね。クラウス様の妹御、イライザ様ですが、急遽用意した挨拶の場で、ミレーユ様に対しずいぶんな発言をされたと、ナイルから報告を受けております」
「はぁ?」
「おい、なんだそれは。聞いていないぞ」
妹の名を出されたクラウスと、その場に居合わせたとはいえ、十分に会話を見聞きしていなかったカインが声をあげる。
「イライザのやつ、勝手なことを……っ」
すぐに自国に戻らなければならない理由が一つ増えたことに、クラウスは舌を打つ。
「義姉上は確かに母国に甘い方ではありますが、あまりその権力を笠にミレーユ様に接するのはお止めいただきたい。ちょうど抗議文を送るところで――」
「それは止めろ!」
思いのほか慌てふためくクラウスに、カインとゼルギスは首を傾げた。
抗議文を送ったところで相手は虎族。
皇太后としてエリアスが君臨している以上、どうとでもなると思っている節がある。
だが、クラウスは知られる方が厄介だとばかりに喚いた。
「伯母上の性格を考えたら、きっと正々堂々と戦うことを推奨する。嬉々として決闘の場を設けるぞ!」
そうだった。
現に、昔も――。
エリアスの性格を思い出し、全員の顔色が変わる。
「これ以上母上の異端さを知られて、ミレーユから結婚を嫌がられでもしたら、私は必ず暴れるからな!」
「本気で宣言するのは止めろ! 俺だってそんな地獄絵図見たくもない。イライザには俺からきつく言っておく」
それでいいだろうというクラウスに、多少不満の気持ちもあるが、エリアスの耳に入ったほうが後々面倒な事態になる。ミレーユが巻き込まれぬよう、仕方なくイライザの言動については一度目をつぶることにした。
「言っておくが、次はないからな」
念押しすれば、クラウスは深く頷く。
「分かっている。お前はお前でミレーユ嬢のことはちゃんとしとけよ。お前たち一族は、説明らしい説明をいつも省く。とくに、竜族の血塗られた歴史については詳細に伝えておけよ」
クラウスとしては、最後の捨て台詞にするつもりだったが、グッとカインが黙ったことで嫌な予感に眉根を顰めた。
「……おい。まさかお前、ミレーユ嬢にずっと黙っているつもりじゃないだろうな?」
「何をだ?」
「お前が、化け物だってことをだよ!」
「他種族からみれば、竜族は皆化け物扱いだろう」
「お前はその中でも飛び切りの化け物だろうが!」
やたら化け物を強調され、カインは口元を曲げた。
「本当に大丈夫なのか? 後々、面倒事に発展しないだろうな……」
不安に駆られたクラウスは、今度はゼルギスに顔を向けた。
「宰相として、ちゃんとコイツの暴走は食い止めろよ。お前らの問題は、こっちにも飛び火する」
「そのつもりではありますが、何分にも私も多忙なもので。カイン様の婚儀が無事に終われば、すぐに来年の準備に取り掛からなければなりませんし」
「来年? なんか祭事があったか?」
カインの継承の儀はすでに終わっている。婚儀が滞りなく終われば、あとはとくになにもないはず。
「次は私の婚儀がありますので」
「へぇ、相手が見つかったのか」
長い寿命を持つ竜族は婚姻が遅く、自由な気風から番を持たない者も多い。
竜王以外の子孫繫栄にはあまり積極的ではないのだ。
そのため、ゼルギスが未婚であることも特に不思議には感じていなかった。
逆に、わざわざ婚儀をあげたいと思うほどの相手がいたことに驚く。
「そりゃあ、まぁ、おめでとう」
驚きはしたが、それほど興味はない。
おざなりな祝詞を述べると、なぜかカインから睨まれた。
「コイツが言っている相手はルルだぞ。誰が結婚なんて許すか」
「……ルル?」
なんだろう。なんだか嫌な記憶が呼び起こされる。
その名のつく者に、少し前にプライドを折られたような……。
クラウスの頭の中に、誇り高き虎族の矜持を粉々にした能天気な少女の顔が浮かぶ。
「あのネズミか……っ!」
クラウスは顔を顰めて喚いた。
「――ちょっと待て。あのネズミ……幾つだ?」
いや、実年齢が何歳だったとしても、思い浮かぶのはあの幼さ。
「冗談だろう? まだガキじゃねーか!」
ルルのちんまりとした容姿を思い出し、クラウスは盛大に顔を引きつらせ、異質なものを見るかのような一瞥をゼルギスに向けた。
「本当に竜族にはロクな奴がいねーな」