至宝の君Ⅺ
執務室に戻ったカインは、ため息と共に倒れ込むように椅子に座った。
「久しぶりにあの二人に会うと、疲労感が一気にくるな。とくに、母上とは話が噛み合わなすぎる……」
「竜族の男から見ても、義姉上は強烈な方ですからね。とはいえ、お二人がすぐに出て行かれたのは誤算でした。兄上には、ミレーユ様が施された氷の大地を分析していただきたかったのですが」
「あれじゃあ、いつ帰ってくるか分からないぞ」
婚儀までには帰国するとは言っても、それがいつかは言っていなかった。どうせ好き勝手出歩いて、ギリギリに帰ってくるのだろう。二人の行動が容易に予測でき、カインは不愉快そうに顔を顰めた。
「あの二人のことは、まぁこのさいいいとして。――それより、ゼルギス。ミレーユの前で竜王の儀式の話は止めてくれ」
本来なら成竜となってから執り行うべき儀式を、幼竜の身で強行したことは、ミレーユの耳には入れたくなかった。
幼いときの約束を守るため。少しでも早くと促した結果であることを知られれば、ミレーユの性格上、自責の念に駆られてしまう可能性が高い。
「その件については無思慮な発言を致しました」
竜族からすれば、カインの最年少、最短記録での竜王継承は誇るべきことだが、ミレーユの気持ちとは異なるだろう。
それはゼルギスとて十分理解していたことだったが、つい口が滑った。
「ミレーユ様からルルとの結婚の了承を得られたことで浮かれてしまいました。婚儀までは気を引き締めねば」
「あれは父上の威圧のせいで、ミレーユの本意じゃない!」
強い口調で訴えても、ゼルギスは空吹く風と聞き流している顔だ。
人の話を聞かないのは、なにも両親だけではないという事実に、カインは頭痛を覚えた。
そこに、乱暴に執務室の扉を開け、入って来た男がいた。言わずと知れたクラウスだ。
「おい、この城はどうなっているんだ。前から守る気があるのかと呆れていたが、今日は門番すらいなかったぞ。婚儀前だからって浮かれすぎだろう」
いま一番見たくない一族の顔だった。
そんなカインの心中などお構いなしに、クラウスはこちらに歩み寄ってくると、椅子の代わりとばかりにカインの書斎机に腰を落とした。
(このふてぶてしさ、さすが母上の血族だな)
いちいち指摘するのも面倒なため、そちらについては無視することにしたが、門番のことについては異を唱えた。
「門番なら十分仕事をしている。いまもその最中だ」
そもそも竜族の兵は、他種族の兵とは存在意義が違う。
他種族は防衛のために城を建築し、城壁を築くが、竜族にはそんな概念はない。
強者ゆえに敵となるものが存在していない竜族にとって、対するべきは外からの侵入者ではなく。彼らが使命としているのは、竜王の乱心を食い止めること。いざというときに竜王を重囲し、なんとか被害を最小限に抑えることこそが存在意義なのだ。
今回門番がいなかったのも、オリヴェル確保に奔走し、現在はその片付けに追われているからだった。
カインが簡単に経緯を語れば、それまで机に座っていたクラウスが急にすくっと立ち上がった。
「伯母上が戻られているのか!? それを早く言えよ! すぐに国に戻ってご挨拶しなければ!」
クラウスはふてぶてしい虎族の王子の顔から、従順な部下の顔にがらりと様相を変えた。
その変わり様に、カインはうんざりする。
高い魔力が尊ばれる虎族ではエリアスはそれだけで神聖視されており、他国に嫁いでもなお、彼女を別格扱いする者は多い。クラウスはその一人だ。
来たばかりですぐに踵を返すクラウスには呆れたが、カインにとってはこちらの方が好都合。
いまはとにかく心の安寧のためにも、母親を連想するものは遠ざけたい。
しかし、クラウスは立ち去ろうとしていた足を扉の前で止め、思い出したとばかりに向き直った。
「そうだ、これだけは聞いておくが。――お前、ミレーユ嬢のことはしっかりフォローしているんだろうな」
「なんだ、藪から棒に」
「伯母上と違って、ミレーユ嬢は大人しい性格だからな。御しやすいと踏んで、狙ってくる輩がいないとは限らない。その辺りは大丈夫なんだろうな」
「御しやすい? お前の目は節穴か」
ミレーユの儚げな容姿から、すぐに言いくるめられると考えるのはまったくのお門違いだ。
彼女は不合理だと感じることに対し、けっして目をつぶらない。一度は受け入れても、必ず機会を窺い、是正しようと努める諦めない心を持っている。