至宝の君Ⅹ
話を最後まで傾聴したミレーユは、一連の経緯が特殊すぎてうまく話が呑み込めず、真顔のまま固まった。
「つまり、あの二人は竜族では異例にして前例のない政略結婚なんだっ」
苦渋の表情を浮かべ、カインが苦々しく吐きだす。
政略結婚が当たり前で育った弊害からか、ミレーユは『異例にして前例のない』という言葉の方に違和感を覚えてしまうが、口には出さなかった。
「母上は虎族の大半がそうであるように好戦的な性格で、上昇志向が高い。虎族の女王という肩書よりも、竜王の花嫁の方が立場が上だと考えたのだろう」
「そう……でしょうか? お二人のご関係は少々独特でいらっしゃいますが、信頼関係は築かれているように見受けられましたが」
カインの言葉にあまりピンとこないのは、本当の政略結婚というものを母国でさんざん見てきたせいかもしれない。
ミレーユの両親もまさにそれでお互い干渉せず、たまに父が母を見つけると嫌みを投げていた。
けれど、カインの見解は違うらしい。
「あの二人に信頼関係? 母上はこの国を牛耳りたいだけで、父上はただ惰眠をむさぼりたいだけだぞ。利害関係は一致しているが、それを信頼関係とは言わないだろう。竜族の長い歴史の中でも、花嫁を勝手に決められた男は父上くらいだぞ……」
「ですが、お互い想い合う気持ちがあったからこそ、竜約を交わすことができたのでは?」
竜約のことを考えれば、一方的に決められたとは言えないのではないだろうか。
そう指摘すれば、カインの代わりに、ゼルギスが言いにくそうに答えた。
「あのお二人は、竜約を交わしていません」
「え? 竜約を交わさずとも、婚姻は可能なのですか?」
てっきり、竜約も婚姻に必要な儀式だと思っていた。
「竜約は、婚儀前の花嫁を守るためだけにある契約です。儀式として必要不可欠というわけではありません。義姉上のように魔力と戦闘力が高く、守る必要性がないのであれば竜約を交わさぬという選択もあります。……まぁ、いまだかつて あのお二人の他に竜約を交わさずに結婚した例は存在しておりませんが」
これもまた特異なことだったようだ。
「花嫁を一方的に決められ、竜約も交わさずに結婚。……前代未聞だぞ。さすがに父上を不憫だと思わなかったのか。なぜお前までもがなし崩し的に結婚を許したんだ」
その前代未聞の結婚を機に生まれた息子は、理解に苦しむとばかりに叔父を睨んだ。
「まぁ、理由はどうあれ、兄上は了承されましたからね。それで十分かと」
「嘘をつくな! どうせ、このままでは父上が自分から番を娶るような行動力を見せるはずがないと踏んで、自分にしわ寄せが及ばぬように、これ幸いとばかりに母上との結婚を推し進めたんだろう!」
カインの追及に、ゼルギスはニコリと笑うばかり。肯定もしないが、否定もしない。
たぶん、彼のこういうところがナイルたちから狡猾と言われる所以なのだろう。
「ルルっ、こいつはこんな男だぞ。安易に結婚を承諾するのは危険だ!」
「へ?……うーん、ルル、難しい話はよくわからないです」
話が長かったせいか、ルルは途中で思考を停止していたらしく、小首を傾げながら眉を下げた。
その様子から、ルルを説得することを早々に諦めたカインはミレーユの方に身体を向け、その手を取った。
「ミレーユ。君はいま、父上の威圧の影響で、正常な判断ができていないだけなんだ! すまない、父上の元始体など日常的すぎて配慮を怠っていた……っ」
「いえ、それは別段」
どうやらカインは、ミレーユの気が動転して誤った判断を下しているのだと思っているようだ。
正直、元始体に対する畏怖よりも、オリヴェルの子供のような涙と、妻に引きずられていく姿の方が衝撃は大きく、威圧の影響もさほど長引かなかった。
「ところで、ずっと気になっていたのですが。カイン様も、元始体のお姿になれるのですか?」
「……え」
大いなる興味と、ほんの少し話を逸らしたいという意図で問いかければ、なぜかカインは動揺した顔を見せた後、小さな声で答えた。
「元始体には……なれるが」
「まぁ! カイン様の元始体でしたら、ぜひ見せていただきたいです!」
初めて見たオリヴェルの元始体には畏怖を覚えたが、それがカインとなれば話は別だ。
ミレーユは瞳を輝かせて頼み込んだ。
「いや、それは無理だ! とくにミレーユの前で、あんな姿を晒すわけにはいかない!」
「あんな姿……?」
元始体はいわば始祖神の姿だ。ドレイク国の公式の紋としても描かれていながら、それほど忌避されるものなのだろうか。
「赤竜の元始体は、黒竜の元始体とは異なり、身体から業火を放ちます。業火だけでなく、威圧の放流も凄まじく。竜兵ですらしり込みするほどです」
答えたのはナイルだった。
「カイン様は幼少期に元始体の姿を閲するため、一度だけその姿に戻られたことがございます。万全を期してオリヴェル様、エリアス様もご一緒されましたが、市街にまでその威圧は放たれ、業火はお二人がかりでなければ消火できないありさまでした。以来、カイン様は元始体を取ることを封じておられるのです」
よほど気が高ぶるような事態に陥らない限り、カインが元始体に戻ることはない。
そう、元家庭教師らしい口調で説明され、ミレーユは驚きに開く唇を封じるように指を置いた。
「そのような経緯が……。申し訳ありません。知らぬこととはいえ、不躾なお願いをしてしまいました」
両眉を寄せ詫びると、カインはなにやら熟考の表情を浮かべ、
「ミレーユが見たいというなら、なんとか危険が及ばぬように元始体になる方法を――」
真剣に検討し出した。
そんなカインに、ゼルギスは呆れた視線を注ぐ。現在進行形で竜約の攻撃をしのいでいる実績から、本当に何とかしそうで怖い。
「元始体は容易に独力でどうにかできるものではございませんよ。歴代竜王の中でも、元始体に戻れた方はごくわずか。初代竜王陛下を含めても五人ほどしか存在していない、稀有な力でもあるのですから、めったなお考えはなさらぬように」
五人という数字に、ミレーユは思わず指で数えてしまう。
初代竜王を含めて五人ならば、その中のオリヴェルとカインを引けば、残りは二人。
竜族には何代目と、世代を数える風習がないため正確な数は分からないが、少なくとも数百人の竜王が歴史を紡いでいるはず。その中で、たったの五人。
「元始体のお姿を拝見できるのは、歴史の中でも限られた一部の者だけなのですね」
カインの元始体を見ることが叶わないのは残念だが、それを可能とすること自体がまさに奇跡なのだ。
称嘆を瞳に浮かべていると、ゼルギスが重ねるように言った。
「私が兄上を竜王に推したのも、元始体を取れる器あっての事です。やはり、竜王の儀式に耐えうるには、それ相応の資質がなければなりません。兄上もカイン様も難なく儀式をこなされて――」
「おい!」
竜王の儀式という、聞いたことのない事柄に疑問を持った直後、ゼルギスの言葉を遮るようにカインが強く制する。
「竜王の儀式……? それはどのような儀式なのでしょう」
ゼルギスの言い様からは、ずいぶんと難儀さが感じられた。
「あ、あれは、どうということもない数ある中の儀式に過ぎないから。ゼルギスは自分が竜王を引き継ぎたくなかった理由を正当化しているだけだ。ミレーユが気に留めるようなものではない!」
何やら必死に取り繕うとするカインの言動に、ミレーユは一抹の不安を覚えるも、それ以上の追及は叶わなかった。




