至宝の君Ⅸ
「兄上……」
いつものこととはいえ、頭が痛い。
竜王の血を引いていない他種族が、竜王を継ぐなど不可能だ。
たとえエリアスが他種族の中では圧倒的な力を持っていようが、オリヴェルの魔力とは比べようがない。
そんな実現不可能な提案は、エリアルを揶揄っているようにしか聞こえないだろう。
案の定エリアスは席を立つと、オリヴェルの前に歩み寄り、椅子に座ったままの彼を見下ろして凄むように言った。
「私が竜王に。――つまり、お前は私を娶りたいということか」
「……はい?」
いや、そんなこと言ってないだろう!
と、思わず兄の代わりに指摘したかった。
(何かに秀で過ぎた者は、変わり者が多いんですかね……)
どうやら彼も、兄と同様の謎理論を持っているようだ。
ゼルギスは完全に自分を棚に上げつつ、これ以上収拾がつかなくなる前にと、仕方なく間に入ることにした。
「エリアス殿、確かに竜族にとって婚姻は個人間で決定がなされます。相手が男であろうが女であろうが、邪魔立てされるものではございません。ですが、竜王は別です。兄上には、次の王のためにも女性を娶っていただかなければなりません」
そうでないと、後継ぎ問題が自分に覆いかぶさってくる。
ゼルギスは保身のために、そして兄のつまらない逃避発言を訂正するつもりで、一番体のいい逃げ口上を口にした。
だが、これが失敗だった。
「どういう意味だ!? 我が国随一の才媛才女にして、類まれなる美貌を持つエリアス様を男扱いするとは!」
「なんたる侮辱! 竜族とて許せんッ!」
一気に殺気づく虎族側に、ゼルギスは目を見開いた。
才媛才女? 才女? 女?
普段ならすぐに事態を把握する能力に優れたゼルギスだったが、これには頭の回転が鈍った。
思わず恐る恐るエリアスに問う。
「え……、男性、ですよね?」
「私は一度たりとも自身を男だと偽ったことはないが」
さらりと返され、竜族側全員が「えっ!?」と顔を見合わせた。
こちらの驚愕など事ともせず、エリアスはオリヴェルに詰め寄った。
「それより、どうなんだ。お前は私を娶りたいのか?」
「……めとる?」
自分の発言が元でこんな意味不明な展開になっているというのに、オリヴェルの脳は完全に眠りの態勢に入り、目がうつらうつらしていた。
「竜王の花嫁ならば、その権限は竜王と並ぶと聞く。竜王になれとは、すなわちそういうことだろう?」
「いや。ちょっと、待ってください!」
さすがにそれは特異な思考回路過ぎるだろう。
オリヴェルの特殊性に慣れているはずのゼルギスですら、一瞬絶句してしまう。
「兄上、ちゃんと訂正を――」
慌ててオリヴェルに訂正を促すも、彼はすでに半分寝ていた。
そんなオリヴェルの態度に業を煮やしたのか、エリアスの足が動く。
軽やかな足さばきは座っていた椅子に命中し、椅子を蹴り上げられたオリヴェルは、その衝撃で床に転がった。
放っておくとどこでも寝ようとするオリヴェルは、椅子よりも地面や床を好むため、転がされてもとくに驚いた様子はなく。放っておけば、そのまま寝入ってしまうだろう。
しかし、夢の国に旅立つ前に、仰向けの体勢になっているオリヴェルの顔の横に強烈な打撃が入る。
頑丈な御影石に亀裂を走らせた原因は、エリアスの足技だった。
たとえ打撃がオリヴェルに当たったとしても、頑丈な身体ゆえに擦り傷一つつくことはないが、見ている方はなかなか衝撃的な絵面だ。思わず息を呑んでしまう。
「私が、お前の花嫁になる――」
頭を少し後ろに反らせ、顎を前に出す。
どう贔屓目に見ても求愛の類ではなく、尊大で挑戦的な威嚇だ。
「それでいいな?」
おざなり程度の疑問符はついていたが、とても確認とは言えない、明確な決定事項であり命令だった。
眠かったのか、めんどくさかったのか、はたまたどうでもよかったのか。
オリヴェルは眠そうな顔でこくりと頷いた。
――――同意したのだ。
ええええ?! という、ドレイク国側の悲鳴にも近い驚愕を完全無視し、エリアスは淡々と告げた。
「決まりだな。赤爪は婚資として私が貰い受けるが、今後赤竜が生まれれば返してやろう」
のちに、ドレイク側の側近は言う。
あれはどんな盗賊団でも敵わぬほどの、恐ろしい強奪の現場だったと――。