至宝の君Ⅶ
そんな二人のやり取りに見ていたミレーユは、ずっと保留にしていた返答が決まった気がした。
「やはり、ゼルギス様以上にルルにあう伴侶は、いらっしゃらないのではないでしょうか」
「! では、ルルとの結婚をお許しいただけるのですね!」
思わぬところでミレーユからの結婚の承諾を得られたことに、ゼルギスの顔に喜色が浮かぶ。
「ミレーユ!?」
「ミレーユ様っ、突然どうされました?!」
面食らったのはカインとナイルだ。
「あれから私も熟考させていただきましたが、いまのゼルギス様のお言葉で決心がつきました。ゼルギス様なら、ルルの難点も寛容に受け止めてくださると」
「父上の後始末役と、ルルの伴侶を同レベルで考えてはいけない!」
カインは驚愕を顔に張り付け、ミレーユの両肩に手をかける。顔は驚愕に満ちており、額には汗すら浮かんでいた。
「ふぇ? ルル、ゼルギス様と結婚するんですか?」
「ルルは、私と結婚するのは嫌ですか?」
ゼルギスは光の速さでルルの目の前に立つと、いつぞやの求婚と同じくルルの手を取り、姿勢を屈めて問う。ルルは少し考え込み。
「嫌じゃないですよ。いつもお菓子くれますし! うーん、よくわかんないけど。ルル、ゼルギス様と結婚します!」
「よく分からずに返事をするなっ、父上の二の舞になるぞ!」
「「へ??」」
二の舞と言われ、ミレーユとルルの頭に疑問符が飛んだ。
「ゼルギス、お前もお前だ! 父上のときもそうやって適当に言いくるめた結果がアレなんだぞ。また同じ過ちを繰り返させるつもりか!」
「お言葉ですが、兄上と義姉上については私だって予想外でしたよ。確かに、原因の一端が私からの兄上への苦言にあったことは認めましょう。ですが、まさかああなるとは思わないではありませんか」
「お二人のご結婚に、何か問題でもあったのですか?」
ミレーユがつい我慢できず問いかけると、見るからにゼルギスの表情が曇った。
「それは……その。……義姉上に関しましては、最初の段階でこちらが勘違いをしておりまして」
「勘違い、ですか?」
ゼルギスにしては、やたらと歯切れの悪い言い方だった。
そういえば、ミレーユが皇太后の話を聴こうとすると、皆こんな感じになる。
「義姉上は、母国では大変人気のある方で、臣民からの支持も厚く、《至宝の君》と謳われていらっしゃいました。ただ、至宝の君というのは…………この先は、口で説明するよりも姿絵をご覧いただいた方が早いでしょう」
そう言って、ゼルギスは扉の前で待機していた女官に目配せし、なにかを持ってこさせた。それは以前、来歴の回廊でミレーユが見たものと同じ、皇太后の姿絵だった。
「こちらが婚儀直前の義姉上です」
何度見ても光り輝くような美しさ。身体の線に沿った漆黒のドレスは、スタイルの良さを際立たせている。
「そしてこちらが――」
ゼルギスは、傍らに置いてあったもう一枚の絵を手に取る。
こちらの絵は、白の衣装に身を包んだ美しい青年が描かれていた。
右手に長剣を持ち、左手を腰に当て 、堂々とした風格の立ち姿で、切れ長の金眼をこちらに向けている。
衣はクラウスが着用していたものとよく似ており、虎族の民族衣装だとすぐに分かった。衣装を着崩していたクラウスとは反対に、襟まできっちりと閉められているため、短く整えられた金髪と共に清涼感がある。
長椅子の上で足をブラつかせていたルルが、姿絵をまじまじと見つめ指を差す。
「あ、さっきの不審なイケメンです!」
「!? ルル、私よりもですか!?」
不審なイケメンという単語をルルの賛美と捉えたのか、ゼルギスが動揺のあまり姿絵を床に叩き落とした。
「す、姿絵がっっ」
ガシャンと大きな音を立てて転がる絵を、ミレーユが慌てて拾い上げる。
名のある絵師に描かせたのであろう美しい絵が、万が一にでも破れでもしたら大変だ。
四方から確認しても、どこも損傷していないことにホッとしていると、我に返ったゼルギスがごほんと空咳をした。
「こちらは、兄上と婚約される前の義姉上です」
「え……?」
ミレーユは今一度姿絵を見比べた。
青年の姿絵は、確かに先ほど対面したエリアスそのものだが、義姉という名詞があまりにも合わない。
「双子のお兄様がいらっしゃる、ということは……」
思わず失礼を承知で尋ねるも、ゆっくりと首を横に振られ、
「いいえ。本人です」
と告げられてしまう。
「どちらの絵にも誇張は一切なく。当時の義姉上がそのまま模写されていると言って差し支えありません」
「は、はぁ……」
どちらの姿絵も絵具を何層にも重ねて描かれており、その技法や色味から見ても画家は同じなのだろうと推測できた。画家が違うから、作風も違うということでも ないようだ。
「婚儀前まで、義姉上の装いはこちらの男装姿のみでした」
そこで一端言葉を切ると、ゼルギスはどこか遠い目をして言った。
「至宝の君というのは、虎族にとって次期王位継承者であり、名君として名を馳せることが確実視された、選ばれた者だけに与えられた尊称なのです」
次期王位継承者であれば誰でも手にできる尊称ではない。過去に与えられたのも、虎族の歴史の中でもわずか二人のみ。
その二人はもちろん男性で、女性ではエリアスが初だったという。
「この見た目と、尊称が与えられるほどの実力。なおかつあの豪気な性格。――どう見ても、男だと思うではありませんか」
「そ、そ、そ……」
そうですね、と同意することができず、ミレーユは言葉に詰まった。
「話は、約二十年前に遡ります――」