至宝の君Ⅴ
そんな泣いている夫にもエリアスは平然としており、腕を組みながら心外だといわんばかりに言い返した。
「嘘はついていないだろう。確かにお前は帰りたくないと言ったが、私は一度たりとも『帰らなくていい』とは言っていないぞ。私は、『婚儀が終わった後なら、またどこへでも連れて行ってやる』と言ったんだ。――そんなことより、いつまで手を握っているつもりだ。叩き切るぞ」
「ッ!?」
エリアスの言葉に、ミレーユは瞬発的に手を引いた。
殺気を含んだ声音は本気だった。
恐怖に身震いするミレーユを、カインが庇うように背に隠す。
「母上っ、ミレーユになんてことを言うのですか!」
「ん? なにを言っているんだ。お前の花嫁の腕など切ってどうする。私はオリヴェルに言ったんだ。寝室に飾るのにちょうどいいからな」
腕を寝室に飾る?
至極当然のことのように宣うが、意味が分からない。
(ご冗談をおっしゃっている? でも、まったく冗談に聞こえないのだけど……)
エリアスの声には常に嘘偽りのない明朗さがあり、すべての決定権が彼女にあって当然だとまで錯覚させる力があった。
そんな恐ろしい発言をする妻に、夫であるオリヴェルはぼんやりとした顔で、
「腕、欲しいの?」
ならあげようか、とばかりに右手に魔力を込め出した。
上位種族でなければ直視しただけで気絶してしまうほどの魔力弾を形成し、己の腕にそれを当てようとしている。
ミレーユは口をパクパクとさせた。そうしなければ、息をすることすらかなわなかったのだ。
「だからっ。ミレーユの前でそういう乱暴な発言と奇怪な行動はやめてください!」
カインは問答無用で父親から魔弾を取り上げると、右手で握りつぶした。まるでマシュマロが溶けるかのように消滅していく様を、ミレーユは失神一歩手前で見つめた。
高濃度の魔力の渦は、触れた瞬間に大爆発を起こすほどのもの。
それをいとも簡単に作り上げ、なんの躊躇いもなく己の腕に当てようとする前竜王も、「くれ」とばかりに両手を出して待っている皇太后も、ミレーユには理解不能過ぎて思考力の低下が著しい。
「仕方ない。腕は今度でいい」
エリアスはまだ夫の腕を貰うことを諦めていない発言ののち、続けて言った。
「とにかく、嘘は言っていない。グリレス国に行きたいなら、婚儀が終わった後に連れて行ってやるから、それで我慢しろ」
「……婚儀? 誰の?」
きょとんとするオリヴェルに、カインが喚く。
「私に決まっているじゃないですか、ちゃんと説明したでしょう!」
「――ミレーユ様!」
カインの一喝が響く中、耳慣れた声に名を呼ばれ、ミレーユはハッとした。
(いけない! ちょっと意識が遠のいていたわ!)
驚きの連発でどうやら軽い酸欠を起こしていたようだ。
「ご無事ですか!?」
声の主はナイルだった。その後ろにはゼルギスもおり、兄と義姉の姿に予想外とばかりに片手で目を覆っている。
「お怪我はありませんか?! すぐにローラをお呼びいたします!」
「あ、いえ。私はまったくの無傷ですから……」
竜印がある以上、怪我とは無縁なのだが、これはもうナイルの癖のようで、上から下まで入念なチェックが始まってしまう。
その横で、ゼルギスは引き攣った口元に無理やり笑みを浮かべて言った。
「お二人とも戻られていたのですね。婚儀の打ち合わせ中にご帰還とは、相変わらず間が悪い……」
ミレーユ様との初対面の場は、それ相応に整えたかったのですが……と、一人ごちる弟のゼルギスに、オリヴェルは不思議そうに尋ねた。
「僕、ゼルギスの婚儀に出てないよね?」
「――は? それはそうでしょう。私は未婚ですよ」
兄の摩訶不思議な質問に、ゼルギスは訝しげに返す。
「なぜここでゼルギスの話になるのですか……。父上の頭の中は、どういう思考回路で動いているのか理解できません」
ため息交じりのカインの嫌みにも、彼は小首を傾げ。
「だって、婚儀は年功序列で進めないといけないんでしょう? だから僕が結婚しないとゼルギスも一生結婚できないから、はやく相手を探してくれって前に言っていたよね?」
なんでゼルギスより先に年下のカインが結婚できるの? と問う父親に、カインはどういうことだとゼルギスを振り返った。
彼はしばし思案したあと、思い出したようにポンと手を打ち。
「なるほど。私が昔、兄上にお伝えしたことを覚えていらっしゃったんですね。覚えていただきたいことはすべて忘れてしまわれるのに、そういったことは記憶に残されているとは。驚きました」
ニッコリと口の端を持ち上げてはいるが、言葉には所々毒がこもっていた。
二人のやり取りがどういったものだったのかカインはすぐに察し、ジト目で父を睨む。
「竜族に年功序列など存在していないことくらい、考えれば分かることではないですか。父上はゼルギスに騙されただけですよ」
「そう……なの?」
端整な漆黒の目が、まるで子供のようにパチパチと瞬く。そんなオリヴェルに、ゼルギスは嬉々として返す。
「ご安心ください。私もちゃんと来年には結婚いたしますので!」
「幼女と結婚しようと目論んでいることはおくびにも出さず宣言するのは止めろ!」
カインは呆れた視線を父親に、冷ややかな視線を叔父にやった。
そんな男性陣のやり取りには一瞥もくれず、ナイルはミレーユの無事を確認し終わると、そこでやっとエリアスを見て――――驚愕の声をあげた。
「エリアス様、その御髪は……あの長かった髪はどうされました!?」
「どうしたって、見れば分かるだろう。切ったんだ」
「なぜ切ったのか聞いているのです!」
どうやら以前のエリアスは短髪ではなく、女性らしく長く髪を伸ばしていたようだ。
ナイルの驚き方からいっても、やはり南の大陸でも北と同じく女性の短髪は異質らしいが、エリアスは堂々とした態度を崩さなかった。
「邪魔だったからな。旅をするのに、長い髪は手入れが面倒だ」
「……そのわりには、オリヴェル様の御髪は旅立たれる以前と変わらず艶やかに見えますが」
「当然だ。私が手入れをしたからな!」
なぜかとても得意顔だ。
あ、このお顔カイン様にそっくり。とミレーユは思った。
エリアスの表情は、いまは破壊されたこの大広間で、来賓の前でドヤ顔をしていたカインとよく似ていた。
どうやらカインは顔立ちもその性格も母親似なようだ。
場違いだと分かってはいるが、カインの知らなかった部分を知ることができたことに、ミレーユは一瞬喜んでしまう。




