エミナにまた陽は昇る
「なあ、女神さま……」
「……なに?」
エミナに残ることができるか否か。
それをはかるための、幻覚による試練。
あれから数日後。女神は無事、俺の滞在許可をもらって戻って来た。
その夜は約束通り、皆でゲームをして盛り上がった。
エミナの仲間たちと過ごす時間は、やっぱり最高だ。
ただ。新たに一つ、深刻な問題が浮上した。
「もう……帰ってくれよ」
「いやよ」
……これだよ。女神が帰らない。
「なんでだよ、もう一週間だぞ」
女神は天界から戻ってきて以降、ずっとコテージの一室に居座っている。
しかも片付けができないものだから、部屋は散らかり放題だ。
「だって……居心地いいんだもの」
「は……?」
「新鮮な魚介を使ったおいしい料理。温かみのある木製の浴槽に流れ込むお湯が、疲れた身も心も癒してくれる至高のお風呂。トロピカルドリンクには程よいアルコール。そして身体がクラゲになったのかと思わせる、おばあ様のマッサージ。きれいでまぶしい海を見て過ごす毎日……」
おい、なんか語り出したぞ。
「正直に言わせてもらうと、あの夜も夕食からカクテル、そしてお風呂へのコンビネーションの時点で女神としての職務を放棄して、このまま居ついてやろうかと思ったくらいよ。アリサにゲームの誘いを受けた時はいよいよ自分を抑えるのに苦労したわ」
何言ってんだ、こいつ。
「アリサもエリーナも可愛いし、マリアンヌは綺麗だし、クロウはふわふわだしでもう最高よ! ……それに私、夢があるの」
「なんだよ?」
「自作のお酒をひょうたんから直飲みしたい。するめマヨと一緒に」
……聞いて損した。
ひょうたんから直飲みしたら、もう女神の看板は下ろす他ねぇだろ。
「なあ、綺麗だけど不愛想なあの女神はどこいったんだよ。こんなの……ただの怠け者じゃねえか」
そう言うと女神は突然震え出し、拳をドンと床に叩きつけた。
「大体ねえ! わたしだって最初はもっと優しい笑顔で、すごく女神らしかったのよ! でも、死んだばかりの人に武器をあげるから戦ってって言ったら、皆怒るんだもの! 中には死人にまだ鞭を打つ気なのか人でなしの屑女神って襟首をつかまれた状態で言われたこともあるわ! 私だって仕事だから言ってるのに!」
「もしかして、俺に有無を言わせずスキルを押しつけたのも……」
「……悪かったわよ。でも、ああでもしないとまた怒られると思ったんだもの」
「今までそれでよくやってこれたな……」
「もちろん、特に酷かったヤツにはオリハルコンでできた靴下を握らせて転移させるくらいのことはしたわ。今ごろ魔族と蹴り合いでもしてるんじゃないかしら」
うわぁ。同情が一気に引いていく。
「ていうか、そもそもここに居続けていいのか? 仕事だってあるだろ」
「そうね。別の神がわたしを連れ戻しに来る可能性もあるわ。そうなればまた大変なことになるかもしれないわね」
「帰れ! 今すぐに!」
「いや! いーやー!」
女神は全力で柱にしがみつく。
なんだこいつ、力めちゃくちゃ強いな!
「一度スイッチがオフになったら、もうあんな生活に戻れるわけないじゃない! 他にも女神はいるのに、どうしてあたしばっかりあんな役回りさせられるのよ!」
「知らねえよ! ていうかお前は転生転移の窓口なんだろ? 後続のヤツらはどうするんだよ!?」
「もうセルフサービスで異世界に行けばいいのよ! 自分で世界もギフトも選んでね!」
「そんな天界があってたまるかぁ!」
「なによぉ! あたしにだって優しくしてくれたっていいじゃない! アリサとかエリーナにはいつもあんなに優しいのになんであたしはダメなの!?」
「なんかお前だけ方向性が違うんだって! ただ堕落してるだけの感じがするんだよ!」
「そんなことないわ! あたしは清く正しい女神ですもの! 皆と同じようにやがて立ち上がって、そして前を向くのよ!」
「いつ頃だよ!」
「明日かもしれないし…………三十年後かもしれないわ」
「やっぱ帰れ! 今すぐ!」
「いやああああ!!」
「あの、女神様……言われた通りカクテルを作ってきましたが……」
柱にガッチリしがみつく女神の脚を全力で引っ張っていると、カクテルを手にマリアンヌがやって来た。
すると女神は途端に身体を起こして――。
「さあ今日もやるわよマリアンヌ! アリサを大富豪の座から引きずり降ろしてやるんだから! そして今夜こそ、思う存分クロウを愛でさせてもらうわ!」
「……君たちはワタシをなんだと思っているんだ」
通りがかりのクロウが、それを見て嘆息する。
「これが……堕落じゃなくてなんなんだ」
ていうかマリアンヌも女神に使われてるだけじゃない。
本人もちょっと楽しみ始めてる。
……まったく、どうしてこんなことになっちまったんだか。
駆け出していく女神とマリアンヌを見ながら、俺は「やれやれ」とため息をついた。
◆
目を覚ますと、そこはリビングの端っこだった。
足元にはグラスを手に眠りこけるマリアンヌと、広がったトランプの上で眠る女神。
結局俺も、昨夜は一緒になって遊んでしまった。
……女神のこと言えねえな。
一人リビングを抜け出して、ウッドデッキへ。
「夜明けまで、もう少しってところか」
海風が吹き抜けていく。
空は幻想的な、赤紫から紺色へ続くグラデーション。
どこまでも広がる海に、かすかに陽光が顔を見せる頃。
なんとなく、エミナの海を眺めていると――。
「ユーキ」
アリサがやって来た。
「昨日も楽しかったね」
ちなみに昨夜も、女神とマリアンヌは意気込みむなしく負け続けた。
「みんながいてくれて、毎日楽しいよ」
アリサは笑う。いつもの人懐っこい笑顔で。
「……あんな無理はもう、しないでくれよ」
魔族の前に立ち塞がったアリサの姿を思い出して、ついそんなことを口にする。
幻覚とはいえ、あの時はもう気が気がじゃなかった。
「ごめんね、なんだか夢中になっちゃって。ここが壊れちゃったら……ユーキが連れて行かれちゃうのかなって……」
「コテージならクラフトで作り直すこともできるけど、アリサがいなくなったら意味がないんだよ…………ありがとう」
「うんっ」
魔族の放つ一撃の前に立ちふさがる。
今思い出しても恐ろしい。でも、あれが決め手になったように思う。
あれだけ本気の思いを見せたら、女神だって動かざるを得ない。
コテージと、そこに立つアリサを見つめる。
……ここが、エミナが俺の居場所だ。
不要な理不尽に我慢をし続ける必要も、敵意や害意への怒りを押し殺し続ける日々も、感情をなくすほどの繰り返しの日々も。
もう、必要ない。
「……たくさん、大変なことがあったんだよね」
「アリサ?」
そう言ってアリサはそっと、俺の頭を胸元に押し付けるようにして抱きしめた。
「アルテンシアに、エミナに来る前にたくさん大変なことと戦ってきたから、強くて、優しい。そんなユーキだからエリーナも、マリアンヌも、クロウも、わたしも、助けてくれた」
そのまま俺の頭を、優しく撫でる。
俺はそのまま、動けずにいた。
目を閉じると、ウソみたいに安心する。
そして何より……そう言ってくれる人がいることがうれしかった。
異世界の見知らぬ砂浜に、使い方も分からないスキルを押し付けて派遣された。
これも、前の世界から続く理不尽みたいな感じだったけど……。
今にしてみればやっぱり、エミナで良かった。
そのおかげでこんなに毎日が明るく、大切なものになった。
「ユーキ」
アリサはめずらしく、ささやくような声で俺を呼んだ。
それから真っすぐに俺を見ながら。
「大好き。これからも一緒だよ」
そう告げてそのまま――――俺の頬にそっと唇をふれさせた。
「…………アリサ」
かすかに耳を赤くしたアリサは、その大きな瞳を俺を見上げて。
「ちょっとだけ……恥ずかしい」
そう言ってほほ笑んだ。
照れるアリサ。その可愛さに思わず見とれていると――。
「ん、んんー。あれ、二人も起きてたの?」
エリーナがリビングから顔を出した。
小さくを伸びをしながらやって来ると、不意にその視線を俺に向ける。
「なんかちょっと、うれしそう」
「そっ、そうか?」
「んー……」
ジロジロと見つめてくるエリーナ。
そんな視線から逃れていると――。
「わあ……」
アリサのあげた声に、思わず俺たちも視線を奪われた。
昇り出した陽光が、海面を輝かせていく。
「……なんだか大変だったけど、やっぱりここに来て、ユーキに会えてよかった」
そう言ってエリーナがそっと身体を寄せて来た。
「ユーキが来てくれて、本当によかった」
アリサが、俺の手を握る。
エミナにやって来る新しい一日。
今日は何をしよう、そして何をすることになるんだろう。
もちろんここでだって、前の世界にいた時のような難題や理不尽が訪れるかもしれない。
アリサが笑う。
でも。今は一人じゃない、皆がいる。
だからそんな難局を乗り越えることだって……。
「――――今なら、できるよ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回で無事、完結を迎えることが出来ました。
当初は二週間ちょうどで終わる形を想定していたのですが、少しだけ長くなりました。
そう遠くないうちに、コメディ×アクションの新作を載せていこうと考えております。
そちらも何卒、よろしくお願いいたします!
それではまた!




