女神さまと深夜の戦い
時刻は深夜。
楽しい夕食も自慢の風呂にも、まるで興味を示さなかった女神は、月明りの下一人ウッドデッキで退屈そうに海を眺めていた。
……何か、他に出来ることはないか。
リビングで、女神を遠目に見ながらそんなことを考えていると――。
「少し、いいかしら」
かやぶきのパラソルの下、エリーナが女神に声をかけた。
「どうぞ」
「これ、私とユーキが出会った時に取り合いになった物なの」
そう言ってエリーナは、碧色のポットから注いだお茶を女神に出した。
「私は生まれのこともあって、ずっと誰かとぶつかってた。それこそ人を見れば誰でも敵だと思うくらいに」
それから出会いのきっかけになったポットのフチに、そっと触れる。
「でも、今は違う」
そう言って女神に視線を向ける。
「街を離れて、背負っていたものを下ろしたら見え方が変わった。そしたら、自然と笑えるようになったの。それにはユーキが、ユーキの作ったこの場所が必要だった。私は今、出来るならこれからのエミナの、ユーキの力になりたいと思ってる」
エリーナは、そう言ってほほ笑んだ。
「ユーキがいる毎日が……大切なの」
見たことのない顔。
あんなに優しく笑うところ、初めて見た。
「そうですか」
しかし、それでも女神は変わらない。
無表情のまま、お茶を一口すすると。
「ですがそれは他の形や他の場所、他の人でも良かったのではありませんか? 偶然今回は、そこに彼がやって来たというだけで」
「そんなことない。ユーキと出会わなかったら今もきっと、私は傷だらけのまま誰かと戦ってた。ここは何物にも代えられない場所。そしてユーキは大切な人。私は、私たちは皆そう思ってる」
エリーナは真っすぐに女神を見る。その青い瞳でただ真っすぐに。
女神も、まるで何かを試すかのようにエリーナを見つめ返す。
そんな無言の時間が続き、やがて。
「…………静かに」
突然、女神が目を鋭くした。
「何かが……来ます」
「え……?」
女神の言葉に応えるように、突然エミナの海岸線に霧が立ち込めていく。
足元が揺れ、波が荒立ち始めた。
なんだ……あれ。
現れたのは、三メートルに届こうかという大きさの人型をした……黒山羊。
大きな巻角に凶悪な目つき。その手には三又の大槍。
「どうして、ここに魔族がっ!?」
そのあまりの異様さ、恐ろしさに驚きの声を上げるエリーナ。
女神が立ち上がり、息をのむ。
「……おかしくはありません。海岸沿いに突然できた見慣れない建造物。その特殊さに魔族たちが警戒し、偵察にやって来たとしても……っ」
その邪眼が赤く輝き、黒山羊の悪魔が動き出した。
砂煙を上げながら、低空飛行でコテージに特攻してくる!
「させるかあッ!!」
飛び出して来たマリアンヌの振るう剣が、槍とぶつかり火花を上げた。
「エリーナ様とここに来てから、日々は変わりました。壊させるつもりはありません! ……そうだろう!?」
その言葉に応えるかのように、悪魔の背後に現れたのは一頭の巨獣。
変身を解いたクロウが、その鋭い爪で飛び掛かる!
「ワタシのような魔獣にすら、ユーキたちはその手を差し伸べてくれた。ここは我が誇りをかけて守らせてもらうぞ!」
その強烈な一撃に、悪魔の背が大きく切り裂かれた。
「グアアアッ!!」
振り返り様に黒山羊をが放つ薙ぎ払いを、クロウは跳び下がってかわす。
しかしそれを追うように、黒山羊は目が覚めるような勢いの爆炎を左手から放った。
「クッ、やるな!」
燃え上がる業炎の威力はあまりに強烈。慌ててクロウが身をひるがえす。
しかしこの隙を突き、マリアンヌは距離を詰めていた。
突き出された槍をかわし、振り上げた剣でその上体を斬りつける。
「ギェェェェ――――ッ!!」
クロウとマリアンヌの連携に手傷を負わされた黒山羊があげる、悲鳴にも似た咆哮。
その目がギラリと輝くと、辺りを薙ぎ払うように強烈な熱風が駆け抜けていく。
「くっ」
熱波に場の全員がひるむ。
すると黒山羊はその隙を突き、槍を手にしたまま猛スピードで特攻を仕掛けにいく。
その目標は――コテージか!
「させるか! ……ッ!?」
駆け出した俺の前に飛び出してきたのは――――アリサっ!?
「……なくなりそうだったエミナがあるのはユーキが来てくれたから。だからわたしも今、こんなに笑っていられる」
ウソだろ。
あの悪魔の攻撃を、受け止める気かッ!?
「わたしは、みんなに手を差し伸べる優しいユーキが大好きなの! ずっと、ずっとここに一緒にいたいんだよっ!」
コテージ目前。立ちはだかるアリサに向けて、黒山羊が大槍を振りあげる。
そして投擲。
「ダメええええええええ――――ッ!!」
マズい……ッ!! 間に合えええええ――――ッ!!
全力疾走。
俺は抱きかかえるような形で、アリサに飛び掛かる!
直後。三又の槍は頭上を通り抜け、コテージの壁を突き破った。
……ここだっ! スキルを使うんだッ!
「クラフトォォォォォォォォ――――ッ!!」
砂は一瞬して石壁へと変化する。
加減はなし、一撃に全力を叩き込む!
砂塵を巻き上げながら天高く突き立った山型の石壁は、問答無用で黒山羊の腹を貫いた!
「ギェエエエエエエエエ――――ッ!!」
断末魔と共に、山羊の悪魔が動きを止める。
やがてその巨体は、崩れゆく石壁と共に霧散し始めた。
「これは……」
禍々しい霧が晴れると、クロウがポツリとつぶやく。
「幻覚か?」
……は? 幻覚だって? 一体どういうことだ?
振り返ればそこには槍もなく、コテージにも傷一つない。
どうして……さっき確かに大槍がコテージの壁を突き破ったはずなのに……。
おかしな状況に、俺たちが戸惑っていると――。
「…………試す形になり、申し訳ありません」
突然そう言って、女神が頭を下げた。
「指摘の通り、さきほどの魔族はギフトスキルの一つを用いた幻覚です」
「幻覚……どうしてそんなことを」
「あなたたちにとってこの場所が、志田悠貴が、どれだけ大切なものなのかを確かめたかったのです」
月を背に、女神はそう言った。
「あなたをこの世界に送ったことに意味はある。アルテンシアを良くするためにギフトスキルが使われているということを……認めます」
「それなら……俺、ここに残っていいんですか?」
「このような形は初めてですが、私は一度『向こう』に戻り、責任を持ってこのことを説明してまいります」
「「ユーキっ!」」
アリサとエリーナが飛びついてくる。
「ユーキさん!」「……良かったな、ユーキ」
マリアンヌとクロウが笑う。
「……よろしく、よろしくお願いしますっ!」
俺が頭を下げると――。
「皆さんも、このような真似をして本当に申し訳ありませんでした」
女神も再び頭を下げた。そして。
「そうだ、アリサさん」
「はい」
「戻って来た時には……私もゲーム、ご一緒させてもらってもいいですか?」
「もちろんっ!」
向けられたアリサの満面の笑み。
女神はそれに応えるようにほほ笑み返すと、まばゆい光を残して姿を消した。
気が付けばエミナには、いつもの穏やかさが戻っていた。
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