エリーナとエミナの夜
大富豪大会から数時間。
親父さんたちが家に帰ると、コテージはウソみたいに静かになる。
俺は一人、ウッドデッキで深夜の海を眺めていた。
ここはただ、休むための場所。
それを証明するなんて言っちゃったけど、これで大丈夫だったのかな……。
できることは全部やったつもりだけど……貴族のお嬢様にそれが通用するかどうか。
「……ちょっといい?」
そんなことを考えていたら、不意に掛けられた声。
振り返ると、夜風に長い金糸の髪が揺れていた。
月明りの下、ウッドデッキにやって来たのは……エリーナだった。
「ここは、毎日こんな感じなの?」
青い目を海に向けたまま、そんなことを聞いてくる。
「そうだなぁ。今日は少し豪華な感じだけど、大体こんなノリだよ」
「そう……あなたはどうして、ただ何もしない休みを過ごす場所を作ろうなんて思ったの?」
「実は、割と思いつきなんだ。俺はここに来るまで感情なんか全部死んでんのかって感じの、楽しいこと、面白いことなんて何もない毎日を過ごしてた。それが偶然ここエミナにやって来て、この海を眺めて、うまいものを食べて、アリサや親父さんたちの笑うのを見て、憑き物が落ちたっていうのかなぁ。とにかく楽になったんだよ」
そう。一度色々忘れてみたら、びっくりするくらい身も心も楽になった。
その後ようやく、いろんな感情を取り戻していったんだ。
「それでここに住みたい、そんな場所を作りたいって思ったんだよな」
「……そうなの」
エリーナは立ったままでいる。
月光に照らされた青い目の少女は何も言わず、ただ。
だから俺もなんとなく、言葉を続けることなく海を眺めていた。
今夜も、あり得ないくらい星が綺麗だ。
するとやがてエリーナは、小さな声で。
「――――ごめんなさい」
……え?
予想外の言葉に、思わずあっけに取られる。
今、俺に言ったのか? エリーナが?
思わず視線を向けるとエリーナはすぐに踵を返し、部屋へと戻って行った。
静かな夜のデッキにまた、俺一人が残される。
幻聴じゃ……ないよな?
「ユーキさん」
思わぬエリーナの言葉に驚いていると、長い黒髪を下ろしたマリアンヌが入れ替わるようにやって来た。
「少し、お話しておきたいことがありまして」
「話しておきたいこと?」
「はい……エリーナ様のことです」
マリアンヌは普段の凛々しさとは違う、どこか切実さを感じさせる顔をしていた。
「エリーナ様は、少し複雑な家庭で育ちました」
つぶやくような声量で語り出す。
「端的に言えば王都の貴族の……愛人の子ということになります。王都ともなれば、貴族にも派閥や軋轢がある。立場を守るためにも、御父上はエリーナ様の存在を隠したかったのです」
「だから王都から離れた街の貴族に預けられた……そんなところ?」
「はい、そうなります」
なるほど、エリーナは追い出される形でラフテリアに来ることになったのか。
「それだけではありません。通われている学校の同級生もまた貴族。薄々エリーナ様の持つ背景に気づいているのでしょう。どこか、遠巻きにせせら笑われているような雰囲気があって。だから自分を守るために強く出て、それが敵を作って、また強く出て……その繰り返し。先日ユーキさんと陶磁器をめぐって争ったのも、常に気を張っているからなんです」
……ああ、もう誰も彼もが敵に見えてるような感じなのか。
だからすぐに『戦うスイッチ』が入ってしまうんだろう。
「このようなことを勝手に話題にされてしまうのは、エリーナ様にとっては屈辱かもしれません。ですが……先ほどの様な活き活きとした姿を見たのはもう、何年ぶりになるか。何かが変わるとしたら今しかないと思いました。そして」
「そして?」
「ユーキさんにも何か、そういったものを乗り越えたかのような雰囲気があったので」
「……なるほど。分かりました」
「このような形で乗り込んで来ておきながら、申し訳ありません。ユーキさんには聞いておいていただきたく思いまして」
そう言って頭を下げると、マリアンヌは部屋へと戻って行く。
「マリアンヌ」
「はい」
「もう、酔いは大丈夫なの?」
あわあわと、分かりやすくうろたえるマリアンヌ。
「そ、それは言わないでください……」
「なんだったら、もう一杯作りましょうか?」
そう言うと、ビクッと身体を震わせた。
「…………ダ、ダメですよ。ダメです」
そう言って、視線を右に左に迷わせる。
すごい。こんなハッキリと人が誘惑にフラつくところ初めて見た。
……でも良かった。
きっと俺は、知るべきことを知ることができた。
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