第1話 新たな変化
「ちょっと無名君!? 左手の位置が危ないです、もうすこし左しないと手を切っちゃいますよ!」
「何度も刃が当たっているが、特に傷はつかないぞ?」
「それはステータスのおかげですから! とりあえず包丁を置いてください!」
俺はしぶしぶといった様子で包丁を置いた。
どうせ傷はつかないからと考えていたが、料理において先達である真奈のいう事ならば聞いた方がいいだろう。
こういった雑さがいけないのかもしれないな。
真奈さんを助けるために、ダンジョンランキングを公開してから一週間。
お互い呼び名が変わったということも、少し前の俺からしたらかなりの変化だが、それ以上の変化が俺の生活では起きていた。
まず、やっと人権ができた。
今までなんやかんや成り立っていた俺の生活基盤は、政府の誰かしらが用意したものだったのだが、ダンジョンランキングを公開してめでたく国民の一人として認められた俺は、もろもろの本人手続きを行う事ができるようになった。
ただ、その時いちいち場所を移さなければいけなかったり、重役ばかりと話をしなければいけなかったりと面倒くさかった。
有名人は大変なんだなぁと身をもって実感することになった。
次に、住む家が変わった。
実は色々話し合いを終えて、割と自由に動けるようになった俺は、もうあの軍人用住居に住まわなくても良くなった。
あそこに住む人たちはミリタリーのメンバーとは言え、ダンジョンランキング一位となれば騒ぎになると考えた真奈の上司である大杉さんは、俺に住居を移すように提案したのだった。
まぁ、そこまでは良かった。俺も納得したし、こともスムーズに運んだ。
きっかけは、ある人のお願いからだった。
♢
いろんな手続きや話決めをある程度終えて、最後に家決めとなった俺は、とりあえず候補を持ってくるので数日ほどお時間をください、と言われた。
無いとは思うが、もし誰かに見つかったら騒ぎになるので、タクシーで帰ることに決め、車内でぼんやりと今後の予定を考えていた。
そんな俺に、真奈さんからメッセージが送られてきた。
『時間あれば、少しお願いしたいことがあるのですが……』
彼女への借りは、自分の中ではもう返しきれないくらいになっている。それに、友人として頼みは聞きたいと思っていた俺は、とりあえず内容だけ聞いてみた。
すると、彼女の実家に来て欲しいというのだ。
なにやらダンジョンでの出来事を知った彼女の家族がどうしても俺にお礼を言いたいらしく、直接会いたいと言っているだとか。
ちなみに彼女は訳あって、今はいつものマンションではなく実家で暮らしている。
とくに用事もないので了承の返事をすると、今からでも良いと言うので、俺は送られてきた場所へ向かったのだった。
「おぉ~! よくぞ来てくれた」
「すみませんお忙しい所をわざわざ」
どうぞどうぞと通され、席に着いた俺に、真奈さんが申し訳なさそうにしながらお茶を出してくれた。
まずは、とおじいさんからダンジョンでのことについてお礼を言われ、それから少し話を聞いていると、どうやら彼女の家族はこのおじいさん一人だけのようだった。
「うちの可愛い真奈ちゃんを……」
「だからあれほど無茶はしないでおくれと……」
「そもそもあの男が言った話では……」
と、真奈さんをとても溺愛しているようで、今回の彼女に起きた事に大層腹を立てた彼女のおじいさんは、彼女に軍を抜けろと言うのだった。
彼女的には決めあぐねていたようだが、ミリタリーのトップ連中も、今回の件はこちらが悪かったと受け入れており、判断は彼女に任せるという姿勢らしい。
「真奈や、もうダンジョンに挑むなんて危ないことはしないでおくれ。十分な暮らしができる程はお金が溜まったのだろう?」
「でも私、冒険者の仕事が気に入ってて……」
ミリタリーでなくとも、一般冒険者として活躍すればいい。政府の人達もそんなようなことを言っていたし、おそらくそれを期待してあちらも彼女の脱退を受け入れたのだろう。
しかし、このおじいさんは冒険者業そのものをやめて欲しいと思っているようだ。そこには、先日の件が大きく影響しているのだろう。
可愛い孫が心配でならないが、好きな事はさせてやりたい。そんな相反する思いに頭を悩ませるおじいさん。
そしておじいさんに心配を掛けたくはないが、今の自分のやりたいことを諦めきれないと、なかなか結論を出せない真奈さん。
部外者である俺は何も言えず、ただただ二人の成り行きを見守っていた。
「……そうだ! 君が! 君が真奈ちゃんの側にいてくれ!」
「えっ!? おじいちゃん! それは流石に!」
……え?
「ろくな礼をできず、さらにこんな願いまで図々しいとは思っておる……だが、君しか、君しか信用できんのだ……」
おじいさんの言葉に数秒硬直したが、思考が戻ってくる。
たしかに、このおじいさんの言う事は分かる。彼女の保護者に当たるこのおじいさんは、真奈さんがどんなことをしているのか、そしてその危険性を知っているはずだ。
ランカーとして、副隊長として最前線で戦う彼女には、同じプロの仲間がいたからこそ、このおじいさんもダンジョン探索を許したのだろう。
だが、そのメンバーも今回の出来事で信用することができなくなり、一般冒険者なんて、こういってはなんだが有象無象だ。
戦力的にも人格的にも、可愛い孫娘を任せるには少々、いや、大分心許ない。
だが、俺はどうだろう。
戦力はおそらく彼女経由で伝わっているだろうが、この国どころか世界中でトップ。
一度命を助けているので、人格的にも信用していい。
確かに、これ以上ない人選だ。
「分かりました。任せてください」
「えっ!!!」
「本当かい! なんと有難いことか……。真奈ちゃんをよろしく頼む、無名君」
「ちちちょっと無名さん!?」
友人として、彼女を守るのは別に何の問題もない。
それに、俺もおじいさんと同意見である。彼女のことは心配だし、尊重したい。俺が適任だと思われたのなら丁度いい。喜んで引き受けようじゃないか。
この気持ち……これって……鯉?
すみません。