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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
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21 「これが、君の頑張った結果だ」

 ロケットの周りには、基地のどこに居たのか、というくらいに人が集まっている。

 誰もが一様に、息を呑んで打ち上げを見守っている。

 イリーナは無意識のうちに、胸元で祈るように手を握りしめている。

 はじまりは一瞬だった。

 突然、火柱がロケットの下端から立ち昇る。

 雷が鳴り続けているのかとおもうような爆音で、身体が揺らされる。


 ロケットの力強い脈動。

 

 巨大な筐体が、よっこらしょとその身体を持ち上げ、ぐんぐんと速度を増していく。

 機体の通りすぎた後には、足跡のような細長い雲。

 いつのまにか、彼女の世界から、音が消えていた。

 あるのは、視界全てが一面の青空だということ。

 そこに、一筋の雲がひかれていく。


 ビルのように大きな鉄の塊が、本当に空を飛んでいた。


 冗談だと思っていた何かが現実になったような戸惑いをよそに、ロケットの生み出した光と雲が、地平線の向こう側へゆく光が点になっていく。

 ロケットは、自分自身が渾身の力を振り絞って、手にした成果の一部だった。


 イリーナは、ただひたすらに、空を見上げた。

 呼吸すら忘れてしまいそうだった。今まで感じたことのない感覚が、身体中にほとばしる。

 全ての時間を費やした結果だからこそ湧き上がる、言葉では表し得ない感情。

 彼女は鳥肌が止まらず、気がつけば、音のなくなった世界でひとり、大声で喝采していた。


「これが、君の頑張った結果だ」


 ヴェルナーはすこし誇らしげに、イリーナの頭をわしわしとなで続けるのだった。





 すこしだけ平静さを取り戻したイリーナは、わざとらしく咳払いする。

 ヴェルナーは内心を微笑ましく思いながら言った。


「ところで、次はビルくらいの高さのロケットを打ち上げたいんだ」


「どのくらい飛ばしたいんですか?」


「飛距離は一二〇〇キロ。ちなみに、これの飛距離は六〇〇キロくらい」


 イリーナは、ざっと重量と比推力の関係を思い浮かべる。運動を取り出せる熱量を線形的に拡張し、同時に材料特性表を思い浮かべる。

 コンマ一秒に満たない時間で一息に結論にたどり着き、イリーナは即答する。


「既存の技術では無理です」


「なぜ?」


「教科書通りの答えで恐縮です。ですが、ざっと思い浮かべただけでも、材料が持ちません。いまだ人類の知らない合金があるなら、話は別ですが」


「やっぱりそう思う?」


 ヴェルナーは心得ているように首肯する。教え子の成長を喜ぶ教師みたいな顔である。

 試されていたんだと気づいたけれど、特に腹が立たないことが、イリーナは意外だった。あれだけ時間をかけて鍛えられたのだから、当然だとすら思う。

 むしろ、その程度の答えで満足してくれるな、という心境である。


「あのエンジンを四基ばかりたばねれば、ぎりぎり行けるかも知れませんね」


 ヴェルナーは、すこし眉を動かしてみせる。


「じゃあ、余裕をとって五基のクラスタリングを試してみようか」


「は?」


「ロケットエンジンを五基束ねて利用する」


 ヴェルナーがこともなげにいう。

 イリーナは、あれ、と思った。次の瞬間には、彼の間違いを正さずにはいられなかった。


「運動量だけを見れば、不可能ではありませんが。コンマ一秒の間にマッハ幾つという数字まで加速する噴煙を同時制御するだなんて、とても正気とは思えません。

 一度の燃焼で燃料全てに点火できなければ、不完全燃焼になります。つまり、余計にススができてしまい、しかも推力が大幅に悪化します。

 これは、燃焼室を細長くすれば、解決できるでしょう。でも、燃焼室が長くなると、今度は燃料を同時に着火できなくなります。

 そもそも、燃焼室への燃料供給口一つでは均一に混ざらないんです。供給口を増やすと、今度は品質がままなりません」


 そこまで一息にいったところで、ヴェルナーの言葉が理解できた。

 噴流を制御しろ、とは言われていない。

 彼の主張は、着火のタイミングだ。

 エンジンを五つ束ね、同時に着火させることで、推力を稼ごうというのだ。

 要するに、着火の難易度や燃焼室のサイズを誤魔化す、折衷案。


「わかり、ました」


 イリーナは、彼の案を受け入れざるを得なかった。

 諸々の問題の中で、一番簡単そうだと腹落ちしたからだ。

 イリーナが地道に積み上げてきたこれまでの実験結果と経験が、かすかに光ってみえた。道標として。あるいは、可能性の兆しとして。


「できそう?」


「出来なくはありません。でも、相当巨大な機械になりますよ。どうやって運ぶんです……」


 何か脳裏で閃き、彼女は思わず言葉を失った。記憶をたぐり寄せること、数秒。


 ――あ。


 以前、ちらりと聞いてた言葉が蘇ってくる。あのときは、何を馬鹿なと思ったが、打ち上げを見たいまなら自然と理解できる。


「だから、運輸省と一緒に、鉄道局と」


 彼は、いたずらを言い当てられた子どものように、首をすくめてみせる。

 トン単位のものを直立で動かす技術的な困難さを、彼はあえて選択しないのだ。

 石壁のような巨大な格納庫を用意する代わりに、横引きに組み立てて、列車か何かで引いていい。それが、彼の下した結論だった。


 与えられた条件で頑張るのではなく、環境を整えて、条件を最高に近づいけていこうという発想だった。 


 そんな発想は、イリーナにはない。

 奇抜な発想は、その一部分だけを切るとるのなら、底抜けの阿呆で構わない。

 けれど、ヴェルナーは結果を出す男である。

 彼がいうのだから、本気で、ロケットの輸送には鉄道を使うのが、最適解なのだろう。

 手札を自分で引き寄せるような、行動力。

 結果を叩き出す、確かな手腕。

 イリーナが初めて出会う天才は、ボサボサあたまにひょろりとした痩せ形で、のほほんとした笑顔の素敵な男である。

 彼は、手持ち無沙汰な様子で頬をかきながらいう。


「まあ、それはおいおい考えるとして」


 彼は素朴な顔で、イリーナに笑いかける。


「イリーナ、おめでとう」


「なにがですか?」


 打ち上げの成功ならば、誰に言われるまでもない。

 自分が一番喜んでいるという自覚と自負があるのだから。次は、もっと深いところまで踏み込んでやる。そんな気概に満ちている。

 だが、彼が言ったことは、イリーナの予想とは、すこし違っていた。


「さっき即答できたことだよ。君の燃焼に対する知見は、ちょっと僕には真似できない。きっと、君にしか見えない景色だと思う」


「ふへ?」


 イリーナは頭が真っ白になる。

 何か気の利いたことを言わなければ、と思うのだが、言葉はなにも浮かんでこなかった。

 打ち上げの時は、音が消えた。彼の言葉では、彼以外の世界が消えた。

 彼は、手をひらひらさせながら、廃工場へ歩いていく。


 その姿が、どうしようもなく――。


 いまこの瞬間に感じている自分の気持ちを適切に表す言葉を、イリーナは、遂に見つけられなかった。

 ただ、後々振り返るときがきたら、彼女はこんな風に思い出すかもしれないだろう、と思う。

 こうして、わたしの世界は動き出したのだ、と。

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