13 「良いデータがとれたよ」
「こんな僻地に鉄道でも引くおつもりなんですか」
イリーナが呆れ混じりに問うと、ヴェルナーが苦笑する。
「地図にない街と外側とを繋げてくれるなら、うんと楽になるんだけどね」
ヴェルナーはからからと笑う。
イリーナが受け取ったのは、鉄道局へ問合せる旨を記した書類である。
「空を飛ぶミサイルに鉄道が必要だとは到底思えないですね」
「君は、ああ、そうか」
ヴェルナーは何かに納得すると、唐突に話題をかえる。
「君は僕の自信作を見てくれた?」
「素晴らしいミサイル、もといロケットだと思います」
「正直に言っていいよ。なんの感想も浮かんでこなかった、と」
図星を突かれたイリーナは、沈黙する。ヴェルナーは軽く笑っていう。
「ところで君は、僕の作品を見学する時間はあるかな?」
「愚問です。わたしは少佐の秘書ですよ?」
廃工場は、薄暗く、陰気臭く、かび臭い。
少しばかりの進歩は、さすがの水たまりがなくなっていることと、どことなく油臭さと焦げ臭さが混ざっているということだろうか。
「いま、ガレージを開けるね」
ヴェルナーがシャッターをガラガラと開いていく。
はじめはゆっくりと。軋みながら、ともすれば駄々をこねているようにも見える、緩慢な動き。
けれど、扉は三分の一をすぎたあたりで自らの業務を思い出したように勢いよく開いた。
差し込む陽光。
大きく口を開いたベル型のノズルが鈍く光を跳ね返して、きらりと煌く。
きっと計算された演出なのだろう。
ヴェルナーは誇らしげに胸を張っていう。
「これが、僕たちの創るロケットだ」
――ただの鉄の塊じゃないですか。
そんな心の声をぐっと飲み込んで、イリーナは笑みを浮かべる。
全長十メートルほどの、機械の塊だった。
一番奥にある金属製のタンクから伸びた配管が、螺旋状になって、中央の筒をシダのようにまとわりついている。
先端にある、ベル型の筒が大きく口を開いていて、そこからガスか何かを吹き出すのだろうなあ、と想像するくらいがせいぜいだった。
「約一トンのものをSY-05の十五倍の飛距離を飛ばすためには、二倍の速度と二十倍のエネルギーが必要になる。
ロケットの全長は、きっとこの建屋の二倍くらいの大きさになるだろうね。
飛距離と重量を考えるなら、発想の転換は不可欠でね。まったく一からの発想が必要になったんだ」
ヴェルナーはイリーナをつれて、架台に寝かされた機械を、端から順番に見ていく。
彼の説明によると、いま寝かされているのはロケットではなく、正しくはその一部ということらしい。
空力を考慮したノーズコーンや翼はなく、代わりにあるのは剥き出しの配管やノズルばかりである。
皮で装飾されていないから、無骨な鉄の塊にしかみえないんだと、妙なところでイリーナは納得する。
「単純に形を拡張しようとすると、今度は加工と輸送の両面で課題になってね。
タンクを分割しないといけなくなったわけなんだけど。金属同士を合わせても液体が漏れないようにするなんて無理だろう?
それを可能にしたのが、この継ぎ目構造のOリングなんだ。
Oリングってわかる? ただのゴムの輪っかなんだけど、これが実に優れもので――」
もちろんイリーナは知らなかったし、たいして興味もない。
ただ、彼女が首を振るよりも早くヴェルナーは、作業着のポケットから、小さな輪っかを取り出した。
イリーナは仕方なく受け取る。黒色の、指輪サイズの小さなゴム。みたところ、なんの変哲もない、ただのゴムである。
けれど、ヴェルナーはそれが、本当に素晴らしいのだと熱弁を振るう。
「――僕の考案したシール構造を形にした魔法の部品さ。
普通であれば、隙間が生じてしまう隙間を、溶接して重量を増やすかわりに、僕は弾力と密着性に優れたゴム部品、すなわちOリングの使用すればいいんじゃないかって思ったわけ。
ゴム特有の弾力と密着性が、金属同士の微細な隙間するんだよ。一部品に持たせるのはひとつの機能に絞るべきなんだけど、Oリングは、副次的に、燃焼時に生じる細やかな振動までをも吸収することがわかってね。
軽量化と大型化の両方に貢献する完璧なアイデアだと思っているんだ」
堰を切ったように語るヴェルナーを、彼女は目を細めながら見ていた。
ヴェルナーは子どものように目を輝かせながら、肩を震わせる。
「全長五十メートルもの機体の組み立てを可能にする構造は出来上がった。
でも、これからが本番なんだ。R−5で一二○○キロ、続く次世代R-6、あるいはR−7で八〇〇〇〇キロの距離を飛ばしたい。
成否を握っているのが、新しい高性能なエンジンの開発なんだ。
そして、こいつを完成させて、僕たちが、世界中の人々をあっといわせてみせる。
人類の科学力が、宇宙に手を伸ばせるんだって証明する。
そうなれば、宇宙開発の機運が高まるぞ。何千、何万、いや、世界中の人々がロケットが飛ぶ世界を夢見るようになるんだ。
宇宙時代が来る。
おとぎ話だって、小説の中だけだって笑われていた時代が、歴史になるんだ。
こんなに興奮することは、他にちょっと、比類ないね」
そこまで話したところでやっと、ヴェルナーは少女を置いてきぼりにしていることに気がついた。
ふっと肩の力を抜くと、目に笑いを浮かべながらヴェルナーはエンジンのノズルをこずく。
「それじゃあ、ちょっと燃やしてみようか」
外で隠れているよう指示されて、イリーナは仕方なく工場の外へでる。
意外にも、外はそれほど寒くない。
つまり、工場の中とそう気温差がないということである。
――昼間でこれほど冷え込んでいるのに、あの人はなんでこんなところで寝れるのかしら。
いつのまに準備したのか、百メートルほど離れたところに土嚢を積み上げた壁があった。
分厚い土の壁越しに見るエンジンは、やはり奇妙に見える。
試験の準備を終えたらしいヴェルナーが、イリーナに向かって合図をしている。
イリーナが手を振り返すと、彼は大きく頷いて、作業に戻っていく。
彼の顔は遠目でもわかるくらいに紅潮している。ずらりと並ぶ、とは言えないまでも、複数ならぶ計測機器の操作をするのが、楽しくて仕方がないらしかった。
当のロケットは、架台で位置を調整し、エンジンのノズル部分だけを建屋から突き出した形になっている。
そのロケットは、漠然と眺めていたときより、幾分、『よく見る』ことができるようになった。
詳しくはわからずとも、なんらかの法則により、秩序だてて組み上げられた機械だと、理解した。
自分だけでは思い至らなかったところまで、きっちりと考えられているらしいことも漠然と受け止めることができた。
けれど、大変申し訳ないが、イリーナには、ごちゃごちゃした配管が巻きついた鉄の塊という、初見の感想を拭うことはできていない。
ぼんやりと、ただ、眺め、退屈を感じ始めたイリーナが欠伸を噛み殺そうと目に涙を浮かべたその時。
突如、閃光が走った。
遅れてやってくる、顔中をびりびりと震わせる轟音。
肌に突き刺さる、びりびりと震える空気。
あたりを舐めつくし、すべての音という音をエンジンの咆哮で上書きするような音圧だった。
聴覚的だけでなく、触覚にも嗅覚にも生じる。
触覚へは燃焼からくる熱量が、嗅覚には、排ガスの匂いが。
なにより、人間の認識覚の八割を占める視覚に訴えかけてくるのは、制御された火柱だった。
青になりきれぬ赤い炎が、ノズルから水平に吐き出される。噴出速度は音速を超え、同時に吐き出された排ガスがコンクリートの斜面を駆け上がり、またたくまにに白い雲になる。
訳のわからぬパイプと鉄の塊は、明確な意思をもっていた。摂氏数千度にも及ぶ、想像もつかぬ強大なエネルギーを制御し、利用し、己の望みのために働かせようとする、野心的な試みだった。
国家や歴史を変えてしまうような、前人未到の活力を感じて、鳥肌が立つ。
歴史に名を刻むであろう瞬間に立ち会うことになるという、直感。
得も言われぬ巨大な流れを支配しているようだった。
――これは、実際に凄いものなのかもしれない。
ただ、天に昇るためだけに欲する。
おとぎ話だと笑われるようなことを、本気で目指し、生まれ出るその瞬間を垣間見ているという直感。
先ほどまでは笑い話だった。でも、実物を目撃してしまった以上、言い訳はできない。
これだけの力があればできる。
いや、まだ、かもしれないである。ほんの少しだけ、爪の先のほんの先端だけ、些細な気の迷いだと一蹴してもなんら問題ないくらいちょっとだけ、思った。
できる、と。
だが、彼女が圧倒されていたのは束の間だった。
体感で約十秒後。
エンジンを縦に裂くような閃光が走る。
あっ、とイリーナが息を呑んだ次の瞬間、奔走していたエネルギーがひとの制御を振り払い、暴れ狂った。
構造上の弱点、すなわち、溶接部や曲げにより応力集中が生じた箇所から、一気に溢れ出し、コンマ数秒の単位で、エンジンを炎が包み込む。
そして、爆散。
ヴェルナーは、ただただ、言葉もなく、息をすることも忘れて、試験棟を凝視していた。
イリーナは、そんな彼と、エネルギーを支配下に置く強力な鉄の機械とを交互に見つめる。
イリーナは、何に惹かれているのか全くわからず困惑した。
先ほどまでただの鉄の塊であった。いまは、自壊し焼けこげ、元の用途は想像だにできない、ただの鉄の塊である。しかし、徹底的に組まれた鉄塊であった。
訳のわからぬ鉄とパイプの塊は、明確な意思を持っていた。とてつもない熱量を制御しようとする、野心的な機械の塊だった。
しかし、イリーナにとっては、鉄の塊がどうであれ、とるべき対応はひとつである。自分の立場に被害が及ばぬよう、予防線を張ることである。
イリーナは肩をすくめていった。
「失敗してしまいましたね」
「失敗? あー、まあ、確かに失敗しちゃったね」
彼女の上官は困ったように頭に手をやると、わしわしとかきむしりながら振り返った。
彼は、自然な仕草な笑みで形づくられている。
「でも、良いデータがとれたよ。次は失敗しない」
イリーナやヴェルナーだけであれば、一生遊んでくらせるだけの、数千、数億のお金が掛かった装置を吹き飛ばしたことを、かけらも問題にしていない。
この事故の責任を誰が取るんですか、という俗物的かつ社会的な対策だけを考えていたイリーナには、想像もつかなかった反応だった。
あまりにも異質。
イリーナの半生では一度も出会ったことがない種類の人間で、一生の間でも一度出会うかどうかという類の人間である。
彼は、ままならぬ世の中を嘆いて、退屈な毎日の中にある身近でささやかな幸せを人生だといって慰める類の人間ではない。
彼は、自分には無理だと初めから諦め、周りが努力するのを鼻で笑う類の人間ではない。
彼は、他人の失敗をあげへつらい、嘲笑することに慣れきった人間ではない。
実験は失敗。
いくらかかったかわからないロケットのエンジンは、みるも無残な鉄の塊に成り果てた。彼は、良いデータが取れたというが、その意味はイリーナにはわからない。
だた、彼の覚悟だけは、はっきりと理解できたのである。
彼が、本気で宇宙を目指しているということを。




