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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
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11 「ちょっと待ちなさい!」

「はぐらかさないでください」


「これは僕の仕事だよ。僕の力になってもらうんだから」


「じゃあ、先ほどの家族連れはなんなんですか」


「エンジニアだよ。金属材料の加工に長けている人を要求したら、彼がきたんだ。実力は定かじゃないけど、ナキアの中央研から飛ばされたっていってたから、自信はあるんじゃないかな。僕のアイデアを形にしてもらえると、期待してるところ。

 まあ、使えなくても、やっつけなくちゃいけない仕事は山のようにあるから、全く問題ないんだけどね」


 そういって肩をすくめるヴェルナー少佐を見ていると、イリーナの心に、不意に、嫌な予感がよぎる。


「ひょっとして、少佐が道端で死にかけていたことと関係があったりしません?」


「そうなんだ。小さな女の子連れだったから、つい」


「自分の住居を譲ってしまった、と」


 やっと謎が解けた。計画の中核ともあろう人で、佐官という人の上に立つだけの実力を認められている階級の人間が、なぜ、街のはずれの置き去りのようになっていたか、という問いへの、彼女なりの答えである。

 ここで得意そうだったり、誇らしそうにしているのであれば、イリーナも辛うじて、心情が理解できたというものだ。

 だが、ヴェルナー少佐は情けなさそうに頭をかくだけである。


 ――僕がもっとうまくやれてたらよかったんだけど。


 そんなことを言い出しそうな塩梅である。

 大人になればなるほど、世の中の摩訶不思議な部分が垣間見えてくるものだとイリーナは学びつつある。

 だが、自分の命を質屋に入れて、人助けをする人間がいるとは、思ってもみなかった。

 イリーナには到底理解できない生き方である。


「なぜ、そこまでする必要があるんですか?」


「だって、僕たちはみんなで、ひとつのチームなんだから。誰だって欠かすことのできない大切な仲間だ。仲間のために手を尽くすってのは、そんなに不思議なことじゃないと思うけど」


 あきれて言葉もでないとは、このことである。

 いつか、悪いひとに喰われてしまうんじゃなかろうか、というのがイリーナの感想だった。

 いや、すでにサ連に喰い物にされているのかもしれない。

 手を広げすぎて、全部中途半端で終わるだろうというのが、彼女の見立てである。


 そして、気づきの三つ目は、ヴェルナー少佐が本気でロケットを開発するつもりらしい、ということである。

 かけている情熱が尋常ではない。

 彼は、一度たりとも、アパートに帰っていない。

 彼が行き倒れた方角からしても、このアパートが目的地だったのだろうと、イリーナは考えていた。

 彼が通訳ではなかったことが、心底意外なことであるが。

 アパートといっても、人が入っていなかった荒屋敷である。部屋は幾つも空いていて、住んでいるのはイリーナだけというぐらいに、古びた屋敷である。


 そんな部屋であるから、住むためにはやらないといけないことが山のようにあることは、イリーナも理解している。

 天井の埃をはらい、床を掃き清め、建て付けの悪かった窓枠を取り替え、軋んで凝り固まっていた扉の蝶番に油をさす。

 使われなくなって久しい暖炉の灰と埃を吐き出し、薪を用意し、暖炉を使えるのもまた一仕事だ。

 それから、水回りの設備を確認し、必要であれば配管工事からお願いしなければならない。

 それだけのことを一人でやれるわけがない。

 加えて、部屋には家具はおろか、寝台のひとつもないとなれば、下の階にいる自分に声が掛かるだろうと思い、イリーナは悠然と構えていた。


 ところが、上の階からは物音ひとつしない。

 裏戸の薪も、一向に減る気配がない。

 その答えは、廃工場二階の角を訪れたときに、明らかになった。

 彼は、どこからか調達したマットレスを工場に持ち込み、そこを寝ぐらとしていた。


 油と部品とに囲まれて、埃だらけのマット。

 そんな劣悪な環境で眠って、しかし起きている間は鬼のように動き回っているのである。

 しかも、時折、情熱に駆られた笑みをみせながら、である。

 彼の顔に、邪念はない。兵器を作っている顔では、決してない。

 ひとを傷つけて平気でいられるひとであれば、素直に自分を抱いていたに違いない。

 だから彼は、正真正銘のお人好しで、そんな彼が、取り憑かれたように、本気で、己の全身全霊をかけて、取り組んでいるのだ。


 ――なにが彼を、そこまで駆り立てるのだろう?

 

 糸が切れたようにマットに突っ伏す彼の寝顔を見やりながら、イリーナがぼんやりと考えた。

 綺麗な寝顔である。

 純粋な少年をそのまま大きくしたような、小憎たらしい顔である。

イリーナが指を伸ばして、ほっぺたに悪戯しようとした矢先、ヴェルナー少佐は目を覚ました。


「ああ、おはようイリーナ。今朝は早いね」


 ヴェルナー少佐は大きく伸びをした。


「もう十時です。少佐がそんな態度だと、下のものに示しがつきませんよ」


「ごめんよ。ちょっと寝癖がとんでもないことになっているかもしれないけれど、勘弁してくれると嬉しいな」


 検討違いなことをいいながら、彼は立ち上がる。肩を回すと、ばきばきと、空気を割っているようなすごい音がする。


「そんなに凝るまで身体を追い詰めるだなんて、変わってますね」


「そうかな?」


「背中とか肩とかばきばきで、仕事になるんですか?」


「ベッドで寝ることがそもそも珍しかった時があってね。いまはむしろ、ベッドだと居心地の悪さすら感じるくらいだよ」


 そういって、もう一度伸びをする。


「さて、今日は何があるんだっけ」


「本日の午後に、ナキア中央研から始動モーターが届くとのことですが」


 意味もわからない単語を読み上げるイリーナ。

 彼はその言葉ですっかり目を覚ましたらしく、元気よく下に行こうとする。


「ちょっと待ちなさい!」


 イリーナが呼び止める。ぴしゃりとした口調の、有無を言わさぬ、強い言葉だった。


「どうかした?」


 とぼけた声を出す彼は、おそらく呼び止められた原因に心当たりがある。


 ――わかっていてそうするだなんて、本当に子どもなんじゃないかしら。


 イリーナは心のなかでぼやきながら、強い態度のままにいう。


「寝癖の自覚があるのに、そのまま人前にでるだなんて、間違ってます。はやくそ、そこに座りなさい」


 イリーナは勢いに任せて椅子を指差すと、はっきりと宣言する。


「髪くらい、ちゃんとしてあげますから」

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