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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
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09 「ここがどういう場所か承知しているのかしら?」

 約束の店は、奥まった入り口にもかかわらず客がそれなりいて、ヴェルナーは目を丸くした。

 数人で談笑しているテーブルがいくつも並び、店内では料理を運ぶ小女が忙しなく行き来している。店の作りはといえば、間口は狭く、奥が深い。

 手前側は食事を主とした客用で、奥まった隅は、時間をかけてゆっくり飲みたい者向けの場所といった配置になっていた。

 もちろん、ヴェルナーが案内されたのは酒場の奥の方で、そのテーブルにはすでに数種類の料理が並べられていた。

 ヴェルナーを認めた大佐はアルニーニャの懐中時計をぱちんと閉じていう。


「遅いわよ、ヴェルナーくん。あんまり遅いから、迎えでもやろうかと思ったわ」


「じゃあ、せめてもう少しわかりやすい店にしてください」


 引きつった笑顔のまま、ヴェルナーは形だけの抗議の声を上げる。けれど、彼は背筋をぴんと伸ばしているし、かかとはきっちり揃えている。

 顔の左半分を覆うような火傷の痕が刻まれていようがいまいが、ヴェルナーにとって大佐は、おいそれと近寄れない雰囲気であることに変わりはなかった。

 むしろ、輪を掛けて近寄り難くなっている、と表現して差し支えないと思っている。

 けれど、ヴェルナーが苦手とする人は多くとも、ヴェルナーを苦手とする人間はこの地球上にはいないらしい。

 大佐はいかにも寛いだ様子で葉巻に火をつけると、ふかぶかと吸い込んで息をはく。


「座ったら?」


 ヴェルナーが座ると、給仕が彼の方にも、香辛料入りのワインを運んでくる。


「とりあえず、乾杯」


 ヴェルナーは、酒に弱い事も忘れて、一息に飲み干した。

 というより、お酒の力を借りなければ、いろいろ尋ねられない気がしたのだ。


「このステーキ、肉はいいけどソースがまだまだなのよ。きっとコックが若いのね」


 大佐は、店の雰囲気にそぐわぬ優雅な手つきでナイフを肉の上で走らせ、上品に口元に運んでいる。


「あら、食欲がないの? 今日はわたしの奢りよ? 久しぶりのご馳走だとおもうのだけれど」


 ヴェルナーは食器を手にしたが、結局一度も使わないまま皿に立てかけると、意を決して尋ねた。


「その傷、どうしてたんですか」


「シベリヤで、いろいろあったのよ」


 大佐は、口の端を歪めていう。


「凄みがでてきたと思わない?」


 ヴェルナーの心に、やるせない感じの、つかみどころのないもやもやした感情が湧き上がるのを感じる。どれだけ気を揉んだのか、知っているのだろうか、と。

 もちろん、口に出さないだけの分別は持っているのだが。


「まさか、大佐が軍で敏腕を奮っているだなんて、思いもしませんでした」


「この国では、過去が簡単に書き換わるのよ。覚えておきなさい。ちなみに、ひそひそ話はこういう酔っ払いに囲まれている方が、よっぽど安全だということもね」


 ヴェルナーは首肯する。


「ちなみに、元のコロリョフさんは」


「過去のわたしは死んだわ。取り調べの傷が元になった壊血病で。ちなみに彼は、正真正銘の男性だったわ」


 ヴェルナーは今度こそぐったりと机に突っ伏しそうになる。

 天を仰ぎながら、亡くなったコロリョフさんの冥福を祈る。呼び出された文言が名誉回復が云々という話だったので、きっと彼は無実の罪で投獄されたのだろう。

 本来は謝罪されてしかるべきところだが、この国では、罪が無かったこと、になるらしい。

 サ連とは、そういう国であるらしい。過去は容易に書き変わるのだ。


「ちなみに、今日は彼の誕生日なの。一年前から年は取らなくなってしまったけれど」


 大佐が、珍しく神妙な顔でいう。

 ヴェルナーは頷いて、肉に齧り付き、目を丸くする。

 隠れ家という雰囲気を売りにしている店であるにもかかわらず、肉はちゃんと噛み切りやすいよう、肉の繊維に気を配った調理がなされている。

 味わい深く、手のこんだ料理だった。

 久方ぶりの、しっかりしたご馳走に舌鼓をうち、弱い酒を片手の談笑という雰囲気になってしばらくして、大佐が思い出したような口調で尋ねてきた。


「島を体験してみてどうだった?」


「加工技術が未熟ですね。材料もあまり良くないですね。鉄は国家なりとは上手い表現だと、まざまざと実感しています。

 もっとも、SYシリーズの猿真似は、サ連の技術者さんたちにとっては面白くなかったかもしれませんが」


 なんとか次世代ロケット開発につながる加工技術を身につけてもらいました、とヴェルナーはいう。

 大佐は喉の奥でくつくと笑う。


「どんなに優れたアイデアがあったとしても、技術がアイデアに追いついていなければ、実現することはかなわないものね。

 ヤースナちゃんのアイデアに追従するために駆けずり回ったあなたの言は、重みが違うわ。私生活はどう?」


「寒い中を生き延びることに必死です」


「寒いときに、抱けるものがないんですものね」


 そうなんです。時々ベッドに潜り込んでくるヤスミンカは、すごく暖かくて柔らかくて良い匂いがして――。

 そんな彼女の姿に、セルゲーヴナ少尉の裸体が重なってヴェルナーは頭をふる。

 酒の周りが異常に早い。身体が熱っていて、くらくらする。

 大佐はたしなめるようにいう。


「わたし以外のひとの事を考えていたのね。ずるいひとね。そんなにヤースナちゃんが大切なら、ずっと側で見張ってないと」


 ヴェルナーは、複雑な心境を押し殺して答える。


「それではダメだったんです。主力のエンジニアが残らなければ、サ連は間違いなくヤースナを狙ったでしょう。

 まともな技術者が手に入らなければ、ミサイル技術においてサ連は合衆国に大幅な遅れを強いられることは明らかでしたからね。

 いまの第一書記を見る限り、彼は敵だけ自分を狙える兵器を持つことを許容できるほど、度量の大きい男ではなさそうですから」


「ヴェルナーくん。つくづくあなたは、エンジニアより政治家か商人の方が向いていると思うわ」


「それ、ヤースナにも言われました」


「では、上手く回してもらわないとね」


「何を?」


「あら、ロケットを作るのが、あなたの望みだと思っていたのだけれど?」


 その通りだった。

 なんのために、サ連に渡ったか。

 だが、V2のコピーを完成させた以上、ドクツ人の技術者に用はないのではないか、と思わずにはいられなかった。

 だからこそ、納得がいかない。


「大佐。であれば、知識を吸収したサ連の技術者でもよかったのでは?」


「ヴェルナーくん。わたしはこの国で、最高の仕事ができないといけないの。まずい仕事とわたしの仕事が結びつくのはよくないわ。

 そのうち、ロケット開発が国の重要戦略に置かれたときに、一番知見のある人間であるとして、サビエトを席巻したいと考えているのだから」


「本当に、それだけですか?」


「あのままあそこにいれば、ドクツに送りかえされていたわよ」


 大佐は話の流れを少しだけずらして答えた。ヴェルナーは、少しだけ厳しい口調でいう。


「僕が、この国では誰の息の掛かっていない純粋なエンジニアだから手元に置きたかったのでは?」


「あら、わかっているじゃない。そんなことを確認したくて、そんな怖い顔で睨んでいたの?」


 ヴェルナーは、自分の目つきが険しくなるのを自覚した。


「セルゲーヴナ少尉は、なんなんですか?」


「首輪よ」


 大佐はあっさりという。


「首輪?」


「わたしが着任してすぐに送り込まれてきたのよね。それで、わたしの痛くもない腹を探るものだから、ちょっと面倒くさくなっちゃって」


「なにをやったんですか、大佐?」


「だから、痛くもない腹だっていってるじゃない。それとも、あなたも可愛らしい番犬になるつもりなのかしら?」


 大佐が意地悪そうな笑みをたたえて尋ねた。


「いいえ」


「そう、残念ね。でも、可愛い子を側に侍らせられるのって、男冥利に尽きるんじゃない?」


「僕はヤースナ一筋です」


「あらあら、あの子も大変ね」


 大佐のいうあの子が、ヤスミンカのことなのか、セルゲーヴナ少尉のことなのか、ヴェルナーにはわからない。


「でもやっぱり、焼けちゃうわ。せっかく食事に招待したというのに、殿方はさっきから別の女のことばかり。流石の私でも、面白くないと感じてしまうみたいなのよ。味わい深い体験だわ」


 そう言って、にっこりと微笑む。普段のような斜にかまえたところのない、真っ直ぐな笑みを向けられる。

 ヴェルナーは途端に居心地が悪くなる。


「冗談よ」


 大佐は肩をすくめると、立ち上がる。


「わたしはそろそろ、退散しようかしら」


「意外にも楽しい時間でしたよ、大佐」


「あら、あなたの楽しみはこれからでしょう?」


 意味がわからず、ヴェルナーは眉をひそめた。


「ヴェルナーくん。ここがどういう場所か承知しているのかしら?」


 まだまだきょとんとしているヴェルナーに、大佐が甘くささやく。


「ここの給仕、美人さんが揃っていると思わない?」


 ヴェルナーも、慌ててコートを羽織るのだった。

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