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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
70/138

70 「今度は一緒に、月を目指してみない?」

パイェーハリ!(さあ、夢の時間よ)


 ヤスミンカは叫んだ。

 座席が、かすかに震えた。

 ロケットが浮き上がり、加速度が生じる。

 容赦なくシートにおしつけられた。


 歯を食いしばる。

 さらには押しつぶさんと力を増していく。

 ヤスミンカにできることは、歯を食いしばることだけ。


 たまらないほどに苦しく、辛い。

 けれど、それ以上に、否応ない興奮を、ヤスミンカにもたらした。

 ロケットのもたらす加速の苦しみは、同時にロケットの強靭さを物語っているのだから。


 やがて加速は頂点に達する。

 ヤスミンカは、顔の筋肉が引っ張られる感覚をものともせずに、叫ぶ。


「いける、いけるわ! わたしのロケットは、宇宙にだって、月にだって!」


 自分の興奮がどこまで届いていたかについては、残念ながらわからなかった。

 なぜなら、気がついたときには、ヘッドホンはノイズばかりを吐き出す無用の長物になってしまっていたからだ。

 細やかな振動はあったが、異常な振動はなく、やがて、振動そのものが消え去った。


 燃焼が止んだのだ。

 

 身体が感じていた重石があっさりと消え去った。

 ヤスミンカは奇妙な浮遊感に襲われた。


 奇妙な浮遊感。

 

 ヤスミンカは堪えきれなくなって、簡単な実験を試みる。

 それは至極単純な実験だった。

 

 はめていたヘッドホンを手放すだけ。


 ヤスミンカは、興奮と微かな不安とで震えながら、実験を遂行する。

 すると、地上では起こり得ない事象が観測された。


 物体の浮遊である。


 それは人類が初めて到達した世界。

 慣性と重力により、運航される、仮説そのままである。

 すなわち。


「ここが……」


 真空とヤスミンカとの間をへだてるのは、厚さ五ミリの金属のみである。


 半径十キロ圏内には、生き物がいないという事実。

 いるのは、ヤスミンカという、一個の存在のみ。

 相対的に測ることのできない、絶対的な孤独。

 ただの真っ暗な闇の中に放り出され、間違えて、ただ生きている。


 そう、まだ、生きているのだ!

 どうしようもない孤独を抱えながら!

 

 ふつふつと湧き上がる、笑い声。

 それが自分の笑い声であることに、しばらく気がつかなかった。


 気がついたのは、重力の存在を思い出したからである。

 すなわち、ヘッドホンが、膝に落ちてきて、彼女を現実に引き戻したのである。

 落下が始まったのだ。


「まって、もう少し!」


 ヤスミンカの願いもむなしく、ロケットはすでに落下軌道に入ってゆく。

 まだなにも確かめていないのに。


 自分も浮かんでみたいし、水がどうなるか見てみたいし、外を眺めてみたい。


 けれど、シートに拘束されたヤスミンカは、身動きが取れない。

 無慈悲にも、機体は重力の井戸のへ向かって、ますます加速し始める。


 そのとき、ひとつの奇跡が起きた。

 直径十センチに満たない小窓が、ヤスミンカの最も望んでいた景色を写したのである。


 それは、球としての輪郭だった。

 青い球体と、どこまでも深い闇のコントラスト。


 蒼い世界と、暗闇の境界線。

 そして、その暗闇の中で、無数にきらめく、星々の姿。


 ――綺麗。


 言葉を失った。

 そして次にでてきた言葉は。


 ヴェルナーにも見せてあげたい、だった。 


 地上に置いてきたはずの感情。

 宇宙という絶対的な未知の世界が目の前に広がっているのに、これほどの驚異的な感動が胸の内を占めているのに、なぜ、彼のことを……。


 まさにその瞬間である。

 ヤスミンカは、薄布の隙間から、世界の心理を垣間見た。


 すなわち。

 この世界には、命を賭けるに値する命題が存在し、それは、孤独な在り方では決して価値を見出せないということ。

 そして、ひとは、その命題に価値を見いだすために、どこまでも自分の世界を広げる、強い生き方を目指すべきなのだ、ということ。


 彼女の世界が、絶対的な思想から、逆の方向にゆっくりと傾きはじめていく。

 まるで、ロケットが地に引かれるように、加速しながら。

 

 そうよね、ヴェルナー。

 わたしは、あのとき、すでに知っていたはずなんだ。

 わたしは、一緒に、宇宙を目指してみないかって、言っていたんだもの。


 彼と一緒に、という行為。


 優先順位とか、両者が並び立たないとか、そういう次元の話ではないのだ。

 彼の方が大切に思えることがあるかと思えば、ロケットに命を賭けたくなる日があってもいい。


 やりたいことを、やりたいようにやるのだ。


 そのために、あらゆる手段を投じて、実行するのだ。


 やりたいようにやれば、間違えることもある。


 それでいい。


 疑って疑って、目の全てを疑って、思いっきり間違えた末に見出した、答え。

 ヴェルナーといっしょに、宇宙を目指したい。

 この感情こそが、わたし。

 これこそが、わたしにとっての、真理。

 

 また間違えるところだった、とヤスミンカは笑う。

 一度は、手放してはならないと誓ったはずなのに、と。

 でも、今度の笑いは、孤独ではなかった。

 そんな風に笑える自分を、彼女は心から頼もしく思った。

 もっとも、彼女の笑い声は、機体の悲鳴のような軋みにかき消されてしまったけれども。


 落下する機体は、水切り石のように何度か弾み、それからガタガタと音を立てながら、本格的に落下し始めている。

 

 死を覚悟するほどに、機体が揺れている。

 縦方向に、回転が加わっている。


 これは、いよいよまずいかもしれないと、ヤスミンカは思った。

 ここから、機体が無事に降下してくれなければ、死ぬ。

 脱出装置がうまく働かなかったら、おしまいだし、パラシュートが開いてくれなかったら、元も子もない。

 合衆国軍に敵と認識されたらお陀仏だし、そもそも、うまく自分を売り込めるかも未知数だった。


 しかも、生き残ってからが大変なのだ。

 急ぎ、新しいロケットを組み上げなければならないし、その成果でもって、自分の夢を人類の目標にすり替えなければならない。


 そしてなにより、ヴェルナーを、サ連の連中から取り返さなければならない。

 

 ヴェルナーは、めちゃくちゃに優秀なのだ。

 サ連ロケット開発の中心になるだろう。


 まず間違いなく、彼を相手取って二国間宇宙開発競争をやってるほうが、簡単に違いない。 

 だというのに、ヤスミンカの心は晴れやかだった。

 なにせ、やりたい事も、必要な条件も、明瞭になったのだから。


「ヴェルナー。今度は一緒に、地球を一周してみない?」

 

 ヤスミンカは、自信をもって、その言葉を口にする。

 結構な思いつきだと想ったが、どこか響かないその言葉に、彼女は首を傾げた。

 しばし思案し、妙案が浮かんでにんまりする。

 ヴェルナーがみたら、できるだけ遠くに用事を思いつくような、微笑みである。


「ヴェルナー。今度は一緒に、月を目指してみない?」


 人類が月に降り立つまで、あと二十年。

 二人の物語は、ここから始まった。

ここまで読んでくれてありがとう! 

面白ければ、ぜひブクマ&評価をしてください!

感想欄に更新があると、餓死寸前のピラニアみたいに飛びついて喜びます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 先ずは完結おめでとう㊗️ 第1部完という終わり方に色々言いたい事はありますが、それは作者も十全に認識していると思うので、あえて突っ込みません。 作品をもう一度読み返して思ったのは、学生時…
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