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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
63/138

63 「みんな、そろってるわね」

 その日は、気分の良いことが続いた日だった。

 いつになく、早く目覚めたが故に、綺麗な朝焼けを見ることができた。

 私生活ではヴェルナーの代わりに、朝食のゆで卵を上手く茹でることができて褒められたし、仕事でも懸念していた過酸化水素の量産にも目処がたったという連絡があった。

 いつもなら通じないはずの冗談が研究員に通じたことも、彼女の気分向上に一役買っていた。


 不満といえば、量産立ち上げのために、ヴェルナーが現場に駆り出されたことくらいだった。

 良いことが続きすぎて、怖いくらいの最高の日だった。


 だから、その日の終わりは気分良く外食に、満腹になったヤスミンカが研究所に戻ってきたその瞬間にサイレンが響き渡ったとき、単純に思ったのだ。


 わたし、死ぬんだな、と。


 警戒警報サイレンとほぼ同時に、そこかしこで、悪魔が口笛でも吹いているようなヒュゥウッという音がする。

 直後に、悲鳴があがり、あたりがオレンジ色に染まった。


 真夏のぬるい風が、オイルと焼け焦げた臭いを一緒くたにして巻き上げる。

 燃えていた炎が風に煽られ火柱になる。


 もう一度頭上からヒュゥウッという音が聞こえたところで、ヤスミンカははっと身を翻し、駆け出した。


 ところで、どこに逃げれば良いの?

 どこか冷静に、そんな考えが浮かんだ直後、彼女の背後で、空から落ちてきた焼夷弾だか爆弾だかが地面にめり込み、地中を耕しながら四散した。


 とっさに伏せるヤスミンカに、砂埃が襲いかかる。

 窒息しかける恐怖。

 あるいは、あたりを炎が舐めるえぐみのある臭い。

 

 咳をすると、鉄の味がした。

 ヤスミンカのすぐそばで、燃料を撒き散らしながら落ちてきたのは、焼夷弾。

 ことのほか、よく燃えている。


 その炎は、あるいは炎がもたらす熱は、暴走したエンジンのように鮮烈だった。

 しつこく燃え続けたエタノールエンジンだ。

 わたしの設計した、直立するロケットを根本から飲み込む炎を生み出す、強力無慈悲なエンジン。


 搭乗員は、守ってやる防壁ががなければ死んでしまうであろう。

 いままさに、危険に晒されている自分のように。


 そこに、刹那的なものはない。

 水素を爆発させたような瞬間の破壊力はなく、執拗な嫌らしさに満ち満ちていて、いまにも己を飲み込んでしまいそうだった。


 ヤスミンカは、身体を震わせて走った。

 息が乱れていた。

 とにかく、訳もわからずに走った。

 

 が、その彼女の前に、建物が崩れ落ちる。

 炎をふきとばすほどの土砂が舞い上がり、ヤスミンカの視界は真っ暗になった。

 自身は翻弄され、束の間浮きあがったとき独特の、内臓の浮遊感があり、それから、全身を強く打ち付けた。

 痛くないところを探すほうが難しいくらいに、彼女はなにかに翻弄された。


 ヤスミンカは目を擦った。

 砂利がちくちくと彼女の目をさいなみ、涙がでた。

 全身が訴えかけてくる痛みだけが、まだ生きていることを彼女に教えていた。

 

 地面に伏せるようにして、なんどか目を瞬かせて、こぼれてきた涙だけを拭った。

 頭上では、任務を終えた敵機が弾薬庫の蓋をとじて、大きく旋回している。

 遅れてやってくる友軍機が、復讐すべく銃器で噛み付いている。

 きっと、リンドバーグ先輩だ、とヤースナは思う。


 引き金を引くと同時に爆発する黒色火薬。

 夜空にチカチカと瞬く、火薬の発光。銃口からはじき出される弾丸。

 自分と同じように吹き飛ばされた弾丸は、敵機に命中することなく夜の闇に消えていく。


 はかない弾丸だなあ、と思考した直後。

 ヤスミンカの心は方々に飛んだ。


 そうだ、答えは初めから側にあったのだ。

 ヴェルナーの悲鳴にも似たどなり声。

 叱りつけられたきっかけ。飛翔するSY-02。

 液体水素と、計算尺。

 収束するのは、かつて遊んでいたペンシルロケット。


 まさにその瞬間、ヤスミンカは、神秘のベールの隙間から、新たな神秘を垣間見た。


 光明は、爆発の中にあったのだ。


 ヤスミンカの閃きは数学を通じて現界し、工学の知見を経て形状を獲得し、ヤスミンカの指先を通じて理解可能な言語へと変換される。


 座席を打ち出すのがダメなら、全部を吹き飛ばすのだ。

 爆撃機が基地を蹂躙したように、容赦なく。

 全てを打ち出して仕舞えばいい。


 パイロットの座るコックピットをそのまま、切り離してやれば、問題は全て解決する。

 パイロットの座席に爆薬を積めるくらいならば、キャビンそのものを吹き飛ばせばいいだけの話ではないか。


 今までその発想が出てこなかったことが不思議なくらいだった。

 だが、確かなひらめきだった。

 構想を練り直すことになる大改造となるだろう。

 だが、何度もロケットを組み上げるなかで磨きあげた直感が、工学的に問題がないことを告げていた。

 大丈夫。矛盾はなく、構造的な欠陥もない。全てをすげ替えてしまうほうが、よほど構造は簡単だ、と。


 ヤスミンカは、四つん這いで地面をまさぐり、先がとがった小石を見つけた。

 わずかに残った建物の壁に駆け寄り、がりがりと書きつけた。

 右手の小指と薬指が、あまり考えたくない方向をむいていたが。

 けれど、恐怖の前には些細なことだった。


 彼女を突き動かす、恐怖。

 死の恐怖ではない。

 自分のアイデアを忘れてしまうかもしれない、という恐怖だった。




「できた」


 ヤスミンカが顔をあげた。

 快心の出来だった。

 これほど夢中になったのはいつ以来だろう。

 大仕事をやり遂げた充実感と万能感のなかで、ヤスミンカは大きく伸びをした。


 それから、やっと、空襲を受けていたことを思い出した。みんな、大丈夫だろうか。

 そうなってはじめて、視覚が情景を情報として取り入れることを思い出した。


 手元を照らしていたのは、爆撃により生み出された炎ではなく、陽光だった。

 本当に日が昇ってしまったようだ。どうりで、途中で手元が見やすくなったわけだと、ヤスミンカはずれたところで感心した。

 そして、自分を中心に、見慣れた顔が勢ぞろいして、遠巻きに自分を眺めていることに気がついた。

 ヤスミンカはきょとんとして、首を傾げる。なぜ、皆が集まっているのか、本気で理解できなかったのだ。


「あれ、空襲は」


 場の誰もが、ざわめいた。

 皆の視線が、救いを求めるようにヴェルナーに集まっていく。

 ヴェルナーが、代表して尋ねた。


「ヤースナ、なにができたんだい?」


「なにって、ひとが宇宙に行く方法。

 具体的にいえば、脱出装置ということになるのかしら。

 矛盾するようだけど、キャビンごと、爆薬で吹き飛ばしてしまったほうが、安全なのよね。

 勘だけで概算すらしていないけれど、いまとり得る唯一の解だとおもうの」


 ヤスミンカは、察しが悪いヴェルナーに、抗議の意味をこめながら答えた。

 それから、勝手知ったる顔が勢揃いしていることに気付いて、嬉しそうに顔をほころばせた。


「みんな、そろってるわね。それじゃあ、今後の打ち合わせをしたいのだけれど」


 またもや、場がざわついた。

 ヤスミンカは、あたりの惨状を見て、納得する。

 

 現場を正しく認識するに、ペーネミュンデの現場は、研究機関というより、焼け焦げた廃墟と表現するのがふさわしい。

 あたりには無数の瓦礫が漂っていたし、なかには死んだふりをして、獲物に襲いかかろうと考えている不謹慎な弾頭なんかもあるだろう。

 復興には相当に時間がかかるかもしれない。それならば、どこか別の、攻撃を受けなさそうなところへの移住を提案するのも悪くないかもしれない。


 けれど、ヤスミンカは、自分の意思がないがしろにされた気がして、面白くなかった。


「なによ。復興のことはちゃんと考えるわよ」


 そんなヤスミンカを見かねて、ヴェルナーが気の毒そうにいった。


「その前に、手当てしてもいいかな」


 誰を、とヤスミンカはきき返そうと口をひらいた。

 けれど、彼女が何かを口にするまえに、身体のあらゆる部位が、彼女に痛みを訴えた。


 彼女は、自分が怪我をしていることを、思い出した。


 痛みを自覚すると、どんどん痛みが増してくるような気がした。

 特に、先ほどまでは平気だった右手なんかは、酷使されたことを非難するかのようにずきずきとたんだ。

 冗談みたいに腫れあがってきてすらいた。

 服装も、ぼろぼろで、擦り切れていて、焦げ目すらついている。

 火傷に、裂傷に、打ち身に骨折と、怪我の博覧会のような様相である。

 ヤスミンカは、恨みをこめてヴェルナーをにらみつけた。

 いまになって、火に囲まれた恐怖が思い出されて、身体が震えてくる。


「助けにくるのが、遅いのよ」


 ヤスミンカは泣きそうな声でいった。

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