59 「わたしの部下を返していただきたく」
「わたしたちは確かに、ロケットを目標に誘導するという点で、いまだ問題を抱えております。
その開発の遅れにより、いらぬ疑念を生む原因になってしまったことは、申し訳なく思っております」
ヤスミンカはちっとも誠意を持たずにいう。
もっとも、ヤスミンカがどう返答をしようが、老人は止まらない。
でなければ、実力行使になどこないのだから。
「できない、ではすまされんのだよ、大尉。
現在、西大陸のほぼ全方位に戦争を仕掛けた我々だが、我らが国防軍の活躍により、オ・フランをはじめほとんどの国を手に入れた。
いまや敵は、ドーバー海峡を隔てた先にある、ブリテンだだ一国に過ぎない。
だが、情勢は流動的なのだ。
敵国がただの一国といういまこそが。
彼らが、オ・フランの敗北を予期していなかったいまこそが。
合衆国とサ連が行動を決めかねているいまこそが。
我が国が覇権国家として大陸を支配できる、唯一無二の好機なのだ。
君は戦場を知らんだろうから、理解し難いことなのかもしれない。
戦争は時間が命なのだ。
大金を投じても買うことのできないほどに、時間は貴重なのだ。
完璧主義は結構。
しかし、現実をみてくれたまえ。
開発の遅延。
それは、味方に対する欺瞞ではないかね?
それとも、君は、責任がとれるというのかね?
我々は新たなる戦略的価値を新兵器にみいだしながら、それが完成していないからと言い訳する未来を。
目前に迫った勝利を、指をくわえて見ているしかできず、戦況が傾き、多くの国民が死ぬことになったとしたら、我々は遺族に、なんといって詫びればよいのだ?」
「閣下。誤解を覚悟で申し上げます。使い物にならない兵器はいらんでしょう」
ここで一歩呼吸する。
ヤスミンカは、彼の言葉に微塵も心を動かされない冷徹な自分を発見しつつ、心臓のあたりに右手を添えた。
なにかを訴えるときにそうすることで、男心をくすぐる何かがあると、ヤスミンカは知っている。
「ほう」
老人は冷たく笑う。
ヤスミンカの誘導どおりに、交渉のテーブルについてきた。
交渉の第一段階は、相手に話をきく姿勢をとらせること。
ヤスミンカは内心ほくそ笑んだ。
老人の目は厳しく、異議を唱えるだけの覚悟ができているのだろうな、と無言で問うてはいた。
だが、臆することなくヤスミンカは、重々しく見えるよう胸をはり、あえてきっぱりと告げた。
「現在試算される、試作機の命中精度がどの程度であるかご存じですか、閣下」
まずは共通の理解の確立をするのが、交渉の第ニ段階である。
ヤスミンカは具体的な数字を口にする。
「十七キロです」
感情ではなく、事実のみを語る。
事実だけは、誰にも反論されることはない。
「ジェントルメンたちは、海の向こうにいる。
陸続きでなく、軍の保有する航空勢力のみでの攻略を余儀なくされている。
海を隔てているからこそ、ジェントルメンたちは持ち堪えていられる。
そうですね?」
「そうだ」
「その打開策として、わたしたちに目をつけた。
閣下の着眼点は素晴らしいの一言です。
ここペーネミュンデから射出された機体が、ドーバー海峡を踏破し、マッハ三以上の超音速かつ敵の索敵圏外から飛来する。
大気圏外から飛来するロケットの軌道予測はおろか、そもそも観測することが困難なロケットの迎撃は、容易ではありません。
しかし残念なことに、困難は、我々の側にも存在します。
ロケットがいまだ量産にこぎつけていない以上、我々のロケットは、的確に目標を叩かねばなりません」
ヤスミンカは一度言葉をきり、理解が相手の及ぶところになったのを見計らって、続きを紡ぐ。
「閣下。
首都の広さをご存じですか。
保有面積は、一五七五平方キロメートルもあるのです。
このなかに落とせば良いのであれば、数を頼めばなんとでもなるでしょう。
しかし、敵司令部を打ち抜き、決定打とするためには不十分です。
故に、誘導装置の開発は急務であり、目下、日夜を問わず開発を進めております。
閣下のおっしゃる通り、時間は貴重です。
敵が、こちらの動きについてこられていない時間は、いくら金を積んだとしても、買うことのできないのですから。
敵はこちらの準備を待ってはくれないのです。我々としても危機を感じています。
ですから閣下。
許可をいただきたいのです」
胸を張り、相手を見つめて、最後まで堂々と主張した。
どんな人物であれ、事実を否定することはできない、数字という事柄。
人類が共にわかりあうために発明した、数字は、客観的に誰が見ても正しく、否定することができない。
白を黒とするつもりであれば、相手は交渉ではない別の手段をともなってくる。
事実のみを積み重ねる。
結果、老人は、尋ねざるを得ない。
意見に耳を傾けざるを得なくなる。
大切なのは、自分で結論にたどり着かせること。
相手の言葉に耳を傾ける価値がある、と自発的に思ってもらえるように。
「なにかね」
交渉の最終段階。
事実を積み重ね、合意を得た上で、相手の予想だにしなかった解決策を提案する。
どんな言葉が有益か、ヤスミンカには考える時間があった。
そのなかで、最も効果的で、かつ、自分の望みを叶えうるもの。
ヤスミンカは確信を込めて、強い口調で断言した。
「最悪の場合には、人の手で飛行させる許可を」
老人の瞳が、ぴくりと反応する。
「着弾寸前に脱出することを前提とはしております。ひとの身で誘導するのです」
ヤスミンカは、唇を舐めた。ひび割れて、唾液が染みた。
「ひとを乗せるほうが、機械よりはるかに軽く、高性能なのです。まことに遺憾ながら」
老人は、ヤスミンカを見つめた。
ヤスミンカは、微笑んだ。
交渉がうまくまとまりそうだから、ではない。
意外と、するりと本音がでてしまったからだ。ひとを乗せて飛ばしたいという夢。
この瞬間だけは、ヴェルナーのことを忘れていた。
同時に、ひとを使うことに慣れた人間は、相手の献身を望む。
命を捨てさせるという究極の献身は、老人の心に響いたに違いないと、ヤスミンカは確信する。
老人は、考えこむように沈黙した。
その沈黙を破ったのは、ヤスミンカでもなく老人でもない、第三者の来訪だ。
「失礼いたします」
「会議中だぞ」
思考を邪魔された老人は、不満げな態度を隠しもしない。
だが、来客の対応中だと知っている秘書が、あえて話に割り込むのだから、聴かざるを得ない。
耳打ちで知らせを聞いた瞬間にうかべた老人の表情を、ヤスミンカは忘れない。
彼の表情は、何事よりも雄弁に、この国の未来を予見していた。
戦争に負けるのだ、という未来を。
サ連への宣戦布告か、合衆国の参戦か。
あるいはその両方か。
祖国が敗戦へ向かう報せをきいたのだ。
しかし、老人の苦渋の表情はほんの一瞬の間のことで、先ほどと同様の張りのある声で、ヤスミンカに告げる。
「ヤスミンカ君。君の覚悟は受け取った。
君が自身の立場と役割を理解してくれているのであれば、私は君へ、出来る限りの協力を約束しよう。
遺憾ながら、戦争はまだまだ、続くようだ。これからも、君の力を借りたいのでね」
「ありがとうございます、閣下。
我々の目的の達成には、徹底的な力投こそが唯一の要諦であると確信しております。
そのためには、限りない予算と労働力が不可欠なのです」
「そうか。では、わたしも力投せねばならないね。できうる限り協力しよう」
「感謝いたします。では、まず、わたしの部下を返していただきたく。名前は――」
「ヴェルナー君のことは、よく知っているとも。
君が訪ねてくるまでのあいだ、ずっと話をしていたんだからね。
残念ながら、彼は私に好ましい印象を抱いてはいないようだ。
彼とも良い関係を築きたいと、伝えて置いてくれたまえ」
ヤスミンカは、銃を持たさないでいてくれたことを、初めて神に感謝した。
内心荒れ狂うヤスミンカ。
老人は、そんなヤスミンカの心を逆撫でする言葉を投げかけたのだった。
「それから、ひとつ、条件がある。
君のいう誘導装置がうまくいかなかった場合、乗り込んでもらう最初の人員は、ヴェルナー君にお願いしようと思うのだ」




