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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
57/138

57 「我らが親愛なるヴェルナーのために」

「やっほー、お嬢」


「あなた、こんなところで何やってるの」


「そりゃあもちろん、パイロットですよ。

 それも、エース中のエース。

 試作機のパイロットですよ。

 そんな引っぱりだこな俺は、親友『たち』の危機と聞きつけ、文字通り飛んできたところですよ。

 そしたら、いままで聞いたことないくらい、しおらしい声を出すお嬢がいるじゃないか」


「しおらしいって、あなたねえ」


 場違いなくらいに軽い調子だった。

 状況がわかっているのか、と問いただしたくなるくらいの能天気さだった。

 だからヤスミンカは、あきれたような口調で返事をすることができた。


 彼は、あいも変わらず砕けた調子で続ける。


「お嬢にあんな可愛らしい声を出させるだなんて。

 あいつ、うまくやったんだなあ」


「ほっときなさいよ」


「羨ましいったらありゃしない。

 そんでもって、お嬢さんの心を揺さぶるあいつに、一発かましてやらなきゃ気が済まないね」


 ヤスミンカの言葉は取り合わず、喉の奥でくつくつと笑う。

 ヤスミンカの脳裏に、冗談っぽく肩をすくめるリンドバーグの姿が目にうかんだ。


「変わらないわね」


「そうですとも。

 俺はちっとも変わってないし、あいつもお嬢も変わってないだろう?」


「ええ。わたしもヴェルナーも、あなたが出て行ったときからちっとも変わってないわよ」


「じゃあ、俺たちは、周りの大人たちに助けてもらえるくらいには、人気者だったってことも変わらないよな?

 だったら、お嬢。

 軍の最高機密の値打ちものを持ち出してでも、あいつを助けたいと思ってるやつがいるってことを、少しは思い出してもいいと思うぜ」


 軽い語調の、しかし、重い言葉だった。


「俺も、連絡をくれたカミナギ大佐ってひとも、たぶんお嬢と同じかそれ以上に、あいつを助けたいと思ってる」


「わたしが一番よ。それだけは譲らないわ」


「見せつけてくれますねえ」


 リンドバーグが斜にかまえた声でいう。


「まあ、これだけ思われたのがヴェルナーなんだ。

 だから、きっと、大丈夫だ」


 彼の言葉には、なんの根拠もなかった。

 けれど、ヤスミンカは素直に受け入れることができた。

 彼を助けたいと思ってくれていて、思うだけでなく、実際に手を貸してくれる人がいるのだ。

 自分の大切なものを全て投げ打ってでも、駆けつけてくれるひとが。


 ヤスミンカは、意識して深く息を吸い、深く吐く。

 一連の動作は、彼女の緊張を解きほぐすのに役にたった。

 窓から見える空は、ちゃんと夕焼けに赤く、色づいていた。


 きれいだ、と素直に思った。

 思える自分に、満足した。


 すると、いたずら心みたいなものが湧き上がってきて、恥をかかされたことに対して、仕返しをしてやりたくなってくる。

 心とは不思議なものだとヤスミンカはつくづく思う。


「ところで、先輩。格好つけて出て行ったけれど、まだ別れ三年目よ?」


「さみしいこというなよ。親友の窮地に、戦闘機を拝借できるくらいにはなったんだぜ」


「それは無理を通してくれたあなたの上官のおかげでしょう」


「なんて可愛くなくなってしまったんだ!」


 リンドバーグが大袈裟に嘆いてみせる。

 ヤスミンカは少しだけ、笑うことができた。


「この機体、どうなの? ロール系の運動性は潰滅的でしょう?」


 自分の知らない技術には大いに興味をそそられるし、自分の好奇心が戻ってきたことにも満足した。

 自分は、ちゃんとものを考えられる勘所を取り戻しているのだ。


「ご明察。操縦桿が冗談みたいに重いんだ。

 絶対飛んだことのない人間が思いつきで作ったね。賭けてもいい」


 リンドバーグはおもちゃを褒められた子どもみたいな声でいう。


「こんな事態でもなけりゃ、曲芸飛行を披露してやるところなんだが、急ぎなんだろう」


「もちろん」


 ヤスミンカは即答した。

 友人の存在に感謝した。

 色のついた世界は、雲の上を跳ぶのは爽快ではあるが、いまは優先すべきことがほかにあった。


「それじゃあ、我らが親愛なるヴェルナーのために、本領発揮といきますか」


 彼の軽口と共に、強烈な加速がヤスミンカを襲った。

 座席に身体が沈み込み、顔の皮膚が後ろに引っ張られるように感じた。

 なるほど、座席をいいものにするわけだと、ヤスミンカは毒づいた。

 すっかり、いつもの自分だった。


 ヤスミンカは、恥ずかしくなった。

 ひとりだと思っていた自分が。

 結局、ひとに助けてもらっているじゃないか、と。


 親愛なる、とリンドバーグはいった。

 その言葉の形容する先には、ヴェルナーだけでなく、自分も含まれていることに、喜びを感じた。

 自分がひとりではない、ということを、忘れてはいけないのだ。

 どんなことがあっても。


 たとえ離ればなれになってしまったとしても。


 ひょっとしたら、とヤスミンカは思う。

 世の中が見えているつもりで、肝心なことを見落として生きてきたのではなかろうか?

 天才として扱われていることに引け目を感じて、自分から距離を置いたことはなかったか?

 才能だけを必要とされ、もの扱いされることに慣れてしまい、諦めてしまっていた自分がいるのではないだろうか?

 世界は冷たいのだと思い込むことで目を背けてきた自分がいたのではないだろうか?

 

 ヤスミンカは髪をわしわしとかき乱して、湧き上がってくる感情をぐしゃぐしゃにした。

 そうしないと、本当になみだが溢れそうだったから。


 ヤスミンカは目を瞬かせながら、夕陽に照らされた資料にざっと目を通す。

 交渉材料がところ狭しとばかりに羅列されている。

 素直な心で頷きつつ、最後の走り書きに目を通す。

 そこには、殴り書きで、こう書いてあった。


 自分が貴族であることを思い出せ。


 ヴェルナーを助け出したいのなら、あらゆる手段を使えという。

 重い、価値のある言葉だった。

 いまごろは満足げに葉巻をふかしているのだろうヨーコ・カミナギを想像すると、やはり感謝する気にはなれず、ヤスミンカはキャビンの壁面を蹴ろうと足を振り回す。

 もっとも、ベルトを着用したヤスミンカの足は、空を蹴るばかりだったのだけれど。

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