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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
51/138

51 「迷惑を掛けられるのが幸せだって」

「僕のやる気の半分は、賢くも、自分の才能に振り回されることもある、素直な女の子への、純粋な好意なんですよ」


 ヴェルナーが嘆くように言った。

 薄暗い照明のホールには、大小の丸テーブルが狭い間隔で設置され、客たちがテーブルを囲んでいる。

 視界の端ではヤスミンカが、ひとまわりもふたまわりも年上の部下と一緒になって、油っこい食事の片手間にカードに興じていた。

 彼女の年齢には不釣り合いな趣味だったけれど、無邪気に勝ち誇る姿は年相応で、ヴェルナーは止めるに止められない状況になっている。


 負けが込んでいれば、止める口実になっただろう。

 だが悪いことに、彼女は、巻き上げられているのではなく、巻き上げる側である。

 ヤスミンカにかかると、大人の賭け事も、知的な、人生の美学を表現した有限ゲームになるらしかった。


 ヤスミンカが賭け事の鬼であると悟ったヴェルナーは、発想を転換することで、深く考えないようにしている。

 きっかけがなんであれ、彼女が個人的な交友を持つことは、歓迎すべきことである、というように。


 彼女とカード片手にテーブルを囲み、ゲームでじゃれあいながら、ときどき、思い出したようにロケットが無事に飛んだあとの話をする。

 決まっている未来でもなく、具体性もない。

 冗談めかした口調で、互いの気持ちを一致させるために。

 どれだけ理論的であろうとも、深層意識の段階で、他者の感情をおもんばかるのがひとの本能である。

 誰かと腹を割って話す機会は、物事を円滑に進めるために、きって切り離せないことでもあるのだ。

 

 その感覚を肌で学びつつあるからだろう。

 ヤスミンカは歓迎会と称して、食事を皆でとるようにもなったし、ちょくちょく、各員の研究室にも足を運んでいるらしい。

 数年前までは、無駄なことだと唾棄し、しかし遊んだ経験がない事を気にしていた事を考えれば、ずいぶん成長していると、ヴェルナーは思っている。


 だが、自分の部屋を訪ねて来るのも、そうした義務感からなのだと思うと、一抹の寂しさを感じずにはいられない。


 ヤスミンカはいずれ、自分の翼だけで羽ばたくときが来るだろう。

 そのとき、側にいることができるだろうか。


 自分はいままさに、すばらしい日々が去ろうとしている足音をきいているのではないか。


 ヴェルナーは一気に中身をあおり、苦々しげにうめく。


「ヤースナはまだ、恋愛というものをわかっていないんです。

 迷惑を掛けられるのが幸せだって、ちっともわかっていないんですから」


 また一ゲームが終わったらしい。

 彼女は、平静を装いつつも、勝利に興奮していることを完全に隠し切れてはいない。

 少なくとも、ヴェルナーの目にはそうみえる。

 ちょうど、子どもが大人たちに認められて、得意になっているようだった。


 ヤスミンカはいま、ちょうど子どもと大人の境界に位置する。

 カードを眺めながら髪をかき上げる動作や、グラスを傾けたときの何故か澄ました表情、あるいは物思いにふけるときの真剣な横顔。


 それらの何気ない動作のなかに、ときおり現れる何か。

 その、言葉にできない何かは、鋭くヴェルナーの心を揺さぶるのだ。

 それは、容姿というより、彼女の強い意志が生み出すなにかであり、彼女がそばにいるからこそ感じる、生命力のようなものだとヴェルナーは思っている。


 そんな魅力溢れるヤースナのためだからこそ、彼女の花びらのように柔らかそうな唇の紡ぎ出す言葉がどんなに難しい要求であっても、万難を払って叶えようとしてしまうのだ。


「君が漠然と抱えているその悩みは、単なるコミュニケーション不足ではないかと思うのだけれど?」


 向かい合う席でグラスを傾けながら、カミナギ大佐がいった。

 ヴェルナーは手をあげてウェイターにおかわりを頼んで、頬杖をついた。


「ヤースナが恋愛の何たるかを学ぶまで、僕が何かいうことはありませんよ」


 ヴェルナーは言い切り、それから付け加えた。


「僕が耐えられる限りですけど」


 大佐はくつくつと喉の奥でわらった。


「ロケット開発のキーバーソンも、ただの悩み多き青年ね」


「僕しかいなかったんですよ、単純に」


「次から次に打ち上げられるトラブルの本質を見極め、ヤースナちゃんに引き継ぐか否かを判断できる程度には技術に精通していて、かつ、あの子には叶わないと心から納得している人物じゃないといけないんだとわかった上での発言なら、よく分析できていると褒めてあげるわ」


「過分な評価、ありがとうございます」


 ヴェルナーが神妙に頭をさげると、大佐は頭をふった。


「まあ、わたしの評価はどうだっていいのよ。

 いまは楽しい場所のはずなんだから。

 でも、ひとが思い通りに動いてくれるのは、なかなか楽しいでしょう?」

 

 繊細かつ返答に困る問いだった。

 ヴェルナーは卑怯にも、お代わりをウェイターから受けとることで、聞こえないふりをした。


 この研究所のなかにいる人間は、個々の能力には優れていても、集団として一つのことを目指すのは極めて苦手とするらしかった。

 ヴェルナーは、単に、見ていられなかっただけなのである。


 だから、間を取り持った。

 ただ、それだけのこと。


 ヴェルナーは、自分が命令を下すことが向いているとは思っていない。

 けれど、想定外なことに、やってみると実に楽しい。


 実際、ヴェルナーが答えあぐねているという事実が、彼の答えを如実に示している。

 カミナギ大佐は、それがわかる人物だったからこそ、話題を進めることにした。


「よく飲むね」


「ここのミルクは、新鮮で美味しいんです」


「お酒じゃないの?」


「僕はまだ、ぎりぎり未成年ですから。もちろん、ヤースナも」


「じゃあ、しっかり食べなさいね」


 言われなくても、すでに十分に頂いているヴェルナーである。

 適度な塩と香辛料の効いた、酒によく合う、肉汁したたるステーキ。

 焼き上げたばかりのライ麦パン。

 特に、ライ麦パンは、ごわごわとしたちょうど良い硬さで、麦の風味が旨いと評判で、ヴェルナーも大変気に入っている。


「ここ数日、かなりいいものを出すようになりましたよね」


「パリィからの直納だからよ」


 戦争に勝ったからだ、とカミナギ大佐はいう。


 パリィを占領したことによる目に見える変化は、生活が豊かになったことだった。

 陸の孤島と揶揄されるペーネミュンデの酒場でさえ、これまでみたこともなかった酒がずらりと並び、人々の雰囲気が華やかになった。

 研究員の食事には、一品目つくようになっている。

 貯め込んでいた酒がふるまわれる。

 美酒に酔い、戦勝に酔い、祖国のなした偉業に酔った。誰もが、明日からの平和を信じた。


 ヴェルナーも例外ではない。

 浮かれていたのだ。

 だから、カミナギ大佐の冷ややかな言葉に、凍りついてしまった。


「あなたたち、戦争にけりがつくまで、待っていたでしょう?」

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