49 「あなた、いま、幸せ?」
ヴェルナー・ベルベットはもちろん凡人で、十九歳を迎えたばかりの若造で、ペーネミュンデ陸軍研究所に所属する研究員のなかで、断トツに頭の回転がわるかった。
ヴェルナーは、奇抜な発想も、天才としかいいようのない閃きも持ち合わせてはいない。
場違いな場所にいるのではないかと悩んだことも、一度や二度ではない。
けれど、ペーネミュンデに所属する誰もが理解していた。
天才鬼才のよせ集め集団のなかで、平々凡々な能力しかもたないと自嘲するヴェルナーだけが、ロケットを組み上げられる唯一の人間だということを。
ヴェルナーは出来てしまうのだ。
奇抜な発想をもたない代わりに、全体を見渡し、夢と現実に折り合いをつけ、嫌がる研究者をなだめ、理不尽な要求にいらだつ現場との間をとりもち、とにかく完成を急がせる軍上層部を説得することが。
これら全てを同時並行しながら、数千、数万点におよぶ部品の手配と保管を一括管理し、巨大なロケットに組み上げていく場所を手配し、打ち上げ時の天気を気にしながら一気に組み上げてしまうことが。
ひとつひとつは、いわゆる普通のことでしかない。
けれど、普通がいくつも積み重なってこんがらがり、訳のわからなくなりつつある進捗を普通にこなすのは、凡人にはできない。
普通のことを普通にこなし続けられる人間が、凡人ではありえない。
しかも、数日、数週間、数ヶ月単位で日程を進めていく根気のいる作業は、天才が最も苦手とする類の業務だった。
ロケットを組み上げる。
夢と希望と情熱とに満ち溢れていそうなこの表現の裏には、実直な努力家が不可欠なのだ。
そして、天才たちは、頭が回ってしまうが故に、ほかの誰かと合わせるということが出来ない。
出来ないとわかっていることを、やりたがる人間はいない。
誰もやりたがらないから、専門分野を持たないヴェルナーがやるしかなかった。
時が経ち、いつの頃からか、皆、気がついた。
面倒なことは、ヴェルナーに丸投げしたほうが、上手くいくらしいということに。
気がつけばヴェルナーは、天才と一般人の橋渡しのような役割を担うことになっていた。
彼のもとにはありとあらゆる情報が集められるようになり、それらを忙しいという一言だけでこなしてしまうヴェルナーは、能力の方向が違うだけの鬼才の持ち主であることを、本人以外の誰もが理解していた。
ちなみに、ヴェルナーがよろしくやってくれることに気づいてから、ヤスミンカはものすごくはりきるようになった。
開発を進めれば進めるだけ、ヴェルナーがとりあえず使えるものにして、持ってきてくれるのである。
自分の考えた技術が、恐ろしいほどの勢いで形になるのである。
楽しくないわけがない。
ただし、人は誰しも、一日は二十四時間しか使うことができない。
ロケット開発に時間を注ぎ込むに従い、他のことに割く時間は短くなってゆくのは、致し方のないことだった。
だからこそ、ヤスミンカは、ヴェルナーとの時間を大切にしようと心に決めていた。
「あいかわらず、散らかっているわねえ」
ヤスミンカが彼の居室に訪ねたとき、彼の部屋一面をまるまる使った黒板には、ロケットの開発進捗管理表とニュートン法で近似解を求めた跡と、乙女の口にできない罵詈雑言とが一緒くたになっている。
ヴェルナーも黒板とチョークの愛用者になっていることに喜びを感じているところに、返事が返ってくる。
「どこが散らかってるんだって?」
肝心のヴェルナーは、振り返りもせず、熱心に机にむかい、なにやら熱心に資料作成に取り組んでいた。
ヤスミンカが近づいて彼のヘッドホンを取り上げたところで、やっとペンを置くありさまだった。
ヴェルナーは大きく伸びをして、肩をまわした。
ばきばきとヤスミンカにも聞こえるくらいに、不健康な音だった。
けれど、彼の不健康さとは対照に、部屋は健全そのもので、黒板以外にあるのは、本棚と、彼の仕事机と、ヤスミンカのための椅子くらいのものである。
「あなたの頭のなかよ」
ヤスミンカがからかうようにいった。
ヴェルナーは苦いものを飲み込んだときの顔をしていった。
「いつまで経っても、やることがなくならないんだよね」
「そうだと思って、迎えにきたのよ」
「なにかあったっけ?」
きょとんとした顔で、ヤスミンカをみつめた。
ヤスミンカはため息をつくと、取り上げたばかりのヘッドホンの通話ボタンをおし、告げた。
「ヤスミンカより各位。今日の歓迎会は一番遅かったひとの奢りよ」
にわかに、館内が騒がしくなった。確実にみんな忘れていたな、とヤスミンカは密かに思った。
「工場長に工場ごと引っ越させたのは、あなたじゃない」
「しまった。もうそんな時間だったか」
軽い口調で、ヴェルナーはいった。
彼の頭の中からは、ひととして大切なことがいろいろと抜け落ちているように感じられた。
ヤスミンカは急に、不安になった。
ヴェルナーに無理をさせている自覚はあったけれど、やるべきことに忙殺された彼が、他人を気にかけなくなっているのだとしたら、由々しき事態だ。
少なくとも、ヤスミンカが好意をもっているときのヴェルナーに、そんなことはなかったはずである。
自然と、手が彼の袖に伸びていた。
ヤスミンカは、恐る恐る尋ねた。
「ヴェルナー、あなた、いま、幸せ?」




