40 「ロケットの実力をお疑いになると?」
ヤスミンカの本気は、凄まじかった。
影もかたちもないところから、本当に三ヶ月で、ロケット筐体を含めエンジンを完成させてしまった。
完成させたというのは、誤解を招く表現かもしれない。
ヤスミンカはそれこそ、エンジンの性能について不満たらたらであったし、客観的なスペックとしても、人を打ち上げられるものでは到底ない。
だが、二十三回に及ぶ燃焼試験を重ね、全損が三回、燃焼室の交換が七回を経て、空に打ち上げても遜色ないロケットエンジンにまで仕上げたことは確かだった。
もちろん、順風満帆な開発だったとは、お世辞にもいえない。全損というのは極めて官僚的な表現であって、着火直後に機体が爆発したとか、排気管から火がふいたとか、細かくみていけば事故の連続である。
けれど、兵器開発局にしてみれば、取り立てて騒ぐほどの事故を起こすことはなかった。少なくとも、水素の暴発で屋根を吹き飛ばして街中に知れ渡るような事故、などは一度も起こすことなく開発しきっていた。
どれだけ徹夜が続くのかと震えていたヴェルナーとしては、完成に漕ぎ着けたことそのものが冗談にしか思えなかった。
あまりにうまくことが運びすぎるので、あるときヴェルナーは、部品サプライヤーにそれとなく聞いてみたことがある。彼らの返事はこうだ。
物は完成していたが、納品を遅らせるよう指示を受けていた。
誰に、と聞くのは野暮である。
ロケット開発チームである第四開発室に所属するのは、ヴェルナーとヤスミンカだけなのだから。
自分の知らないとろで作業はとっくに進んでおり、自分だけが蚊帳の外だったことが明るみになったわけである。
ヤスミンカが口にしていた三ヶ月も、という表現は、ちゃんと根拠のある三ヶ月だったのだ。
いかに自分が開発現場にいなかったかを、ヴェルナーは思い知らされた。
おそらく、アルコールで設計することを決断するより以前から、共用できる部品を徹底して選別、作成を依頼していたのであろう。
ヤスミンカの日程管理能力と構想設計力を、怖いくらいにみせつけられて、ヴェルナーはちょっとへこんだ。
けれど、ほとんど完成を目前にしたにもかかわらず、局内に妙な噂が立ち込めた。
カミナギ大佐率いる第四開発室分室が、実現不可能な夢物語を語り、失敗したらしい、と。
「うわさ、ですか」
陸軍開発局第一会議室。参集した大人たちを前に言い放った、ヤスミンカの第一声である。
「科学者という人種は、極めて流言を嫌う生き物であるという点で、君と我々の意見は一致するところであると思う。
しかし我が軍の抱える科学者たちのなかで、残念ながら、ロケット開発がすでに破綻しているとまことしやかにささやかれている以上、開発本部としては、調査に乗り出さざるを得ないのだよ」
あくまでも、私たちは不本意なのであるが、という調子で大人がいった。その言葉に頷きながら、もうひとりの大人が肩を落として申し訳なさそうにいう。
「疑念が提出されていてね。ロケットの姿勢制御に課題があり、解決できる手段がないというのが、そもそもの噂の発端であるようなのだ」
「そうであるなら、このような場に召喚されたことそのものが、わたしには極めて遺憾です。なぜならわたしのロケットは、すでに垂直方向の制御は実施しない、ということで議論に決着がついているからです」
「ほう?」
「まずは単純なモデルで考えてみましょう」
ヤスミンカは、黒板に向き直り、上に凸の放物線をかいた。
「議論をはじめるまえに、わたしたちは、ものが落ちるとはどういうことか、あらためて認識を共通のものにする必要があります。
我々人類は、ロケットのような、空に向かって飛ばされた飛翔体が、この上に凸の曲線にしたがって、地上付近で加速し、上空で飛び上がる力を失い、重力に従って落ちてくることを経験的に知っています。
この曲線は、誘導装置の可否について議論された皆さまは当然ご存知だと思います」
とびきりの笑顔をうかべ、首を傾げてみせた。皮肉の早打ちである。
「さて、この放物線をたどる飛翔体が受ける力を、こまかくみていきましょう。
機体には、大きく三つの力が加わることになります。
まず、推力です。機体の真下に備え付けられていますので、簡単のために、機体の進行方向にまっすぐ力がかかることにしましょう。
次に、空気抵抗です。進む方向の空気を押しのけて進むわけですから、進行方向とは真逆に力が加わることになります。
最後に、重力です。重力が常に、機体に下方向の力を加えて続けることは、みなさんご存知の通りでしょう。
これらの力は、ベクトルです。ベクトルは合成することができ、機体の進行方向に一致します。
ここで興味深いのは、どれだけ推力を得ていたとしても、同様のことが起きるということです。すなわち、どのような角度で打ち上げても、機体はまるで跪かされているかのように頭を下げ、軌道は自然と下向きになる。
しかもこの機動は、ランチャーから発射される角度によって、自在に制御可能なのです。
つまり、到達高度は自在に操作でき、かつ、複雑な制御を実施しなくても、ロケットは進行方向をむき、ターゲットに襲いかかることが可能なのです。
この無誘導重力ターン方式は極めて単純で二つのパラメータで使用可能となります。射出の向きと、放物線の頂点に来たという一度だけの判別です。
ただし、この飛行には技術的に大きな壁が立ちはだかります。
即ち、推力を調節するための細やかな燃焼を制御できるエンジンが、これまでの歴史には存在しなかったということです。
もちろん、この問題について、皆さんはすでにお気づきのことでしょう。
わたしが国民の皆さまから頂いた血税を使い、開発してきたエンジンは、人類史で唯一、必要なときに、局地的で破壊的な燃焼を起こし、かつ、不要なときには燃焼を停止し、燃料を節約することができるのです。
加えて申しますと、わたしたちは、すでに機体の調整段階にはいっております。そう遠くない未来、皆さまを招待することができるかと」
「遠くない未来とは、具体的にどのくらいなのだね」
出来るかどうかにしか興味がない大人の発言だった。
まったく講義のしがいのない生徒である。ヴェルナーを連れてこなかったことを心底後悔しながら、ヤスミンカはいう。
「そうですね。三日もあれば」
この打ち上げ方式は万能ではない。当然のことながら、三軸のうち一軸の制御を放棄している以上、風や機体の振動、燃焼制御の物理的限界により、想定した飛行経路から逸れる要因は蓄積する。
そうなると、ロケットの打ち上げ機能は十分に発揮できない。
その反面、ヤスミンカ自身が説明したように、誘導方法が破壊的に簡略化でき、かつ、ロケットを誘導する装置が不要となる。
つまり、質量比の削減に直結する。
トランジスタの重量が負担となる今日のロケットにとって、まさに最適解ともいえる打ち上げ方式である。
そして、ヤスミンカは、最適という言葉が大好きな人間だった。
会場にいる人間は、真偽はとかく、自他を説得できる理由を欲する類の人間であった。
彼らにとってみれば、ものがあって、ちゃんと機能していればいいんである。
会議は、ヤスミンカの方針を飲み込みつつあった。すなわち、試作機をみて判断してくれ、というある意味単純で明快な説明である。だが、決まりかけていた空気に、水をさしたものがいた。
「異議あり」
そう発言してたちあがったのは、当事者ではない、いわば外野の人間だった。
神経質そうなひょろりとした色白で、胸元に鷹をあしらった徽章をつけている。軍隊を大雑把なくくりで区別するところの、空軍の将校、階級は中佐であった。
会場の空気がどすぐろくなった。なぜ神聖な陸軍参謀本部に、飛ぶしか能のないやからがいるのだと。臨席を許されているだけならまだしも、何故に、発言がゆるされているのかと。
しかし彼は、場の空気をいっさい感知していないかのごとく、なめらかに話し始めた。
「ご高説ありがとう。けれど、ヤスミンカくんの講義には、ずいぶんと無理があるように見える。
発射した時点で軌道が決まるというのは、幾分自由度に欠けると告白したしたようなものだろう。
それとも、陸軍の皆さまは、ロケットを砲弾の一つと捉えていらっしゃるようだ。つまり、正確な敵国の地形データか、あるいは観測手が必要ということになるのでは」
怒鳴り散らしたい陸軍の方々が堪えたのは、そばで控えている制服の存在を意識したからだ。
胸元に、鉤十字のついた服を着ているその老人は、飛ぶ鳥を落とす勢いのナーツィ党員の徽章である。
世界恐慌に際し、公共事業としてアウトバーンの建設に着手し、兵役を復活させることで雇用を生み出し、見事にドクツ経済を立て直したナーツィ党。
軍の予算が潤沢なのも、ナーツィの方針に他ならない。彼らの意向には、常に気を配らねばならないのが、開発局の立場だった。
「予算が限られている以上、そのような打ちっぱなしの兵器を開発している余裕があるのですかな?」
ヤスミンカは、淡々とした口調で問い返した。
「ロケットの実力をお疑いになると?」




