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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
33/138

33 「あなたのいたずらの、後始末よ」

「だって、まだ十時よ。寝るにはもったいないじゃない!

 もっとおしゃべりしたいのよ。もっと夜更かししたいのよ」


 自分勝手な発言にも、ヴェルナーは夜更かしは大好きだと、笑ってくれた。

 つい先日までは、普通に起こりえたはずの情景だった。


「それで、この流動性という定義は、熱力学的なものでもなければ、物質によるものでもなく、運動学的なものなの。従って、連続体としての固体、液体の区別は厳密には」


 理屈が大好きな自分は、流体力学のなんちゃらかんちゃらの諸原理についてトウトウと語り、ヴェルナーはうとうとする。

 自分がむくれると、鷹揚に受け止めてくれる。

 年上の男性に、そんな態度をとれる自分が不思議だったし、ありがたかった。

 そんな日常は、ついこの間の出来事だ。


 ヤスミンカが部屋を見回した。がらんとした部屋に、彼の声が聞こえた気がした。けれど、彼の笑顔も、彼の声も存在しない。


 日常は、もろくも崩れ去るものなのだ。


 ヴェルナーが警察に連れていかれてから、すでに五時間がすぎていた。ヤスミンカ自身、連行されると身がまえたが、ひとつふたつ質問されただけで、危ないことに関わってはいけないと優しく諭されただけで解放されていた。

 がらんとした部屋のなか、ヤスミンカはひとりでシャワーを浴び、ひとりで服を着替えて、ひとりで寝床に入る。


 眠れない。

 まったく。

 気がはやるばかり。

 一睡もすることなく、夜が明けた。


 ノートとペンだけをもって、アパートを後にする。

 ヴェルナーがしていたように見様見真似でパンを焼き、卵をゆでている間に、今朝方届けられたのばかりの食材を厨房に運び込む。その食材と一緒にとどけられた朝刊の見出しで、ヤスミンカははじめて事態を知った。


『ロケットから火の手。軟着陸用パラシュート、機能せず』


 でかでかと一面を飾るのは、黒焦げになったロケットの残骸である。

 市民団体が打ち上げたロケットと呼称する飛翔体が、減速することなく地表に落下。

 小さな小屋に落ち、残っていたガソリンを撒き散らして炎上したと、と語っていた。

 小屋そのものはみすぼらしいもので、事件当時、小屋は無人であったため、怪我人はでなかったという。


ーーなお、炎上したのは、街の交番である。


「なんてこと……」


 事態を重くみた当局は、関係者に事情を聞いており、警察の威信をかけて、再発防止に努めるという言葉で、記事は締めくくられていた。


「パラシュートに燃え移って、即刻落下したんだわ」


 ヤスミンカはうわ言のようにいった。


「冷却系そのものに欠陥はないと考えていいかしら。構造的な変更は加えていないものね。原因はなにかしら。燃焼が制御できなかった?」


 妙に頭は冴えていた。思考が溢れ出てくる。なんなら、歌が聞こえるといってもいい。

 しかし、いま考えねばならないはずのことを考えるには、努力が必要だった。

 たとえば、ヴェルナーとどう連絡をとればよいか、だとか。


「想定外の振動が生じたとか?使い回しがたたっての疲労破断?

 いいえ。発射間際まで、機器が示すデータは完璧だった。横風で機体が逸れることは、想定の範囲内よ。

 ならば、そもそも、こちらが意図した高度でパラシュートが開いたかどうかを、検討すべきだわ」


 ヤスミンカは、ひとりごとはそれほど多くないと思っている。少なくとも、いまこの瞬間まではそうだった。いまは、とかく、なにかをつぶやいていなければ、言い換えれば、意味のない思考を続けていなければ、おかしくなりそうだったのだ。

 おもむろにたちあがり、店の中を行ったりきたり、しゃがんでみたり、ペンを握ってみたりしたていたが、まったくと言っていいほど、なにも手につかなかった。時間だけがすぎていく。

データがないと原因特定なんて不可能だ。事象は無限大に発散に向かうばかりで、結論が導かれることはない。

 これは、仮説だけでなんら解答を得られない類の問いなのだから。

 

 わからない。

 どうしたらいいのか。


 ヤスミンカは、己の出した結論に途方にくれる。

 本来であれば、怒り出すはずなのに。

 いてもたってもいられなくて、何かに当たり散らしたくなるはずなのに。いつから自分は、情けない自分になってしまったのだろうか?


 つい八時間前までは、騒がしかったはずの店内には、ひとっこ一人いない。ヤスミンカには、店内が異様にがらんどうに感じられた。

 つい先日まではカウンター越しにはヴェルナーがいて、ちょっとゆですぎで固めのゆで卵に文句を言って、それで今朝はいよいよ打ち上げだねなんていったりして。


 でも、いまはどうしようもなくひとりだった。


 ヴェルナーは帰ってこない。


 気がつけば、日が傾いていた。赤い夕焼けが、一日の終わりを告げている。青年の居ないアパートに帰る気にはなれなかった。

 億劫ながら立ち上がって、店の灯りをつけるスイッチに背伸びをしたちょうどそのとき、国民車のエンジン音が聞こえた。


 閉店の看板を無視し、扉をくぐる者がいる。


 入り口に吊るされた鈴が、からんころんとなった。ヤスミンカは驚いて振り返った。入ってきたのが青年ではなくてがっかりした。


 軍属の女性だった。フィールドグレーを基調にした、八つボタンが特徴的な礼服は、女性が軍人だと告げている。片肩から胸元にかけての飾緒が、将校なのだと知らしめていた。

 背筋が伸び凛とした姿で、ヤスミンカの前に立ち、敬礼をしてみせた。


「こんばんは、ヤースナちゃん」


 そういって、極上の笑みをうかべてみせる。

 表情とは裏腹に、強く冷静な眼差はちっとも笑ってはいない。

 見ればみるほど、高貴な印象のなかに鋭い冷たさを感じさせる女性だった。やわな上品さではなく、意志の強さでなにかを獲得した経験のある者に特有の、不敵さがある。

 ヤスミンカは、白衣の女性を思い出した。飛行場であった、奇妙な研究者を。まったくといって良いほど、まとう雰囲気が異なるけれど同一人物であると確信する。


「あなたには白衣が似合っていると思ったのだけれど」


 あなたは民間人じゃなかったのか、と言外に皮肉をこめてヤスミンカはいった。軍人の彼女は鼻を鳴らしただけだった。


「自己紹介をいただいても」


「陸軍中央研究所所属主任研究員。ヨーコ・カミナギ。階級は技術大佐」


「カミナギ大佐、ご用件は」


「あなたのいたずらの、後始末よ」

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