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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
32/138

32 「そう遠くない未来に」

 気づくも何も、リンドバーグが辞めたという事実があるだけではないか。

 ヤスミンカは、ヴェルナーの意図がさっぱりわからないままに頷いた。


 ヴェルナーは彼女が納得しやすい表現を探して視線をさまよわせ、思い当って苦笑する。

 彼女には、やはり数字しかない。


「ロケットって、どのくらいの速度で飛ぶんだっけ」


 ヤスミンカは、なにをいまさらという目でヴェルナーをみたけれど、素直に答えた。


「秒速七・九キロメートル」


「そうだね。ひとが見える地平線の距離は、せいぜい五キロだろう?

 それじゃあ、ひと呼吸したあとには、ロケットはもう、地上観測では追いかけられないところまで、移動してしまっていることになるだろう」


「そうね」


「僕たちはの技術は、まだまだ未成熟だ。宇宙に打ち上げられる技術を確立したとして、それが壊れないなんてことは、間違ってもいいきれない。

 これはつまり、搭乗するパイロットに、機体の命運を委ねることになるわけだ」


「ええ」


「つまり、一秒の判断の遅れが、即座に人命に直結する究極の環境に、パイロットは置かれることになるわけだ。しかもそれが、自分の命だとわかった上で、判断を下さないといけないわけだ」


「あ」


 ヤスミンカが声をあげた。


「残念ながら僕の身内には、それが出来るひとはいないんだ。君も先輩も、多分そうだと思う。

 命の危機に直結する極限の環境で正しい決断を下せる人間になるには、過酷な訓練が必要だってことは、ちょっと考えただけでも明らかだ。

 加えて言うなら、ちょっと趣味に費やすには高すぎる費用になることもね。


 そこで先輩は、こう考える。


 税金を使って、自分を訓練してくれる環境が、目の前にあるじゃないか、と」


 ヤスミンカは、右手で目元を抑えて、うめき声をあげた。リンドバーグの飄々とした様子を、思い浮かべているに違いなかった。


「僕が思うに、リンドバーグ先輩はまったくもって、宇宙を諦めてはいない。

 もちろん、彼の夢に造ることは諦めてしまったかもしれない。

 でも、ややこしそうなところは、僕とヤスミンカに任せておけって思ってるんじゃないかな。

 開発を任せておいても大丈夫だと考える程度には、僕と君を信頼してくれているんだと、僕は思うな」


「そうなら、はっきりと言ってよね。わかんないじゃない」


 ヤスミンカは深々と息を吐き出した。どことなく、ふてくされているようにも見える。ヴェルナーは笑った。


「だどる道は違えても、そう遠くない未来に、道は繋がっているんだ。だから僕たちも、頑張らないとね。戦闘機で求められる判断力は、四十歳くらいが限界らしい。

 僕たちは、彼のおじさんになってしまわないうちに、ロケットを組み上げる必要があることになる」


「夢にも期限があるってことね」


「まあ、十年でつくるって豪語する君には、そんな必要はないかもしれないけれど」


 ヴェルナーはからからと笑った。


「ちょっと嫉妬しちゃう。あなたたち、本当に仲がいいのね。わたしにも、そんなひとが欲しいわ」


「僕じゃだめ?」


「督促してるわけじゃないのよ」


 それからヤスミンカは、ヴェルナーに耳を寄せるように手招きした。そして、彼にささやくようにいった。


「わたしの秘密、知りたい?」


「いいね。ひそひそ話は大好きだ」


「わたし、あなたのこと、友だちだって思ってる」


 ヤスミンカが、いたずらっぽくわらった。

 ヴェルナーは告げるかどうか迷った。ヤスミンカ、緊張を隠しきれていないよ、と。

 ヴェルナーは顔をほころばせていった。


「ヤスミンカ。僕も重大な秘密を打ち明けてもいい?」


 彼女は答える代わりに、耳をよせた。


「僕も親友だと思ってる」


「秘密は守るわ」


 ヤスミンカは、これ以上なくらいの満面の笑みを浮かべた。


「でも、君に守れるのかい?」


「守れるわよ」


「リンドバーグ先輩との秘密を、守れなかった気がするけれど」


「秘密っていうのはね、相手の知らないことを知らないうちに握っているから、秘密なのよ」


「違いない」


 青年は微笑みながら相槌をうつ。


 それからも二人は、心ゆくまで雑談を重ねた。雑談に目的なんてない。会話を重ねることが目的なのだ。それは、いつも理論や効率を追い求めるヤスミンカにとって、初めての経験だったに違いない。無邪気に話す彼女は年相応の幼さと喜びに満ちている。


 ときおり小難しいことを話してみて、反応をうかがって、くだらないことを口にして、ときに膨れてみせて、寂しがってみる。いまの時間が、自分が嫌いだと言っていた目的のない会話だということに、


 ヤスミンカは気づいているのだろうかと、ヴェルナーは思う。でもまあ、目的がないわけではない。次なる開発に向けての、助走みたいなものなのだから。


 この時間が永遠に続いたらいいのに。


 ヤスミンカの御高説を聴きながら、ヴェルナーはいまこの瞬間に、確かに存在する幸せについて、深くかみしめた。




 閉店時間になって、店長がひやかしにきたところで、お開きになった。非日常が終わってしまう物悲しさを感じながら、帰路につく。どちらからと意識するまでもなく、二人は自然と手をつないでいた。


 いくつかの角をまがってゆくにつれ、それらの道筋が、彼らを日常の生活へと、引き戻してゆく。

ややこぢんまりとした古い家にたどりつくころには、すっかり日常の生活を思い出していた。


 だからこそ、アパートの前に場違いなガソリン車が止まっていて、そばにたたずむ二人の男が、退屈しのぎに煙草をくゆらせるのをみて、違和感を覚えた。


 彼ら二人は、長身で、厚手のコートを羽織り、職業を示す特徴的な帽子をかぶっていた。

警察官である。あろうことか、ヴェルナーらの姿を認めると、彼らはまっすぐ歩いてきた。


「ヴェルナー・ベルベットさんですね」


「あのう、なにか」


 ヴェルナーの中に、警鐘が鳴り響く。


「出頭命令がでています。ご同行いただけますか?」


 警官が、無表情な声で告げた。

 ヤスミンカが彼の腕にすがりつく。

 ヴェルナーは、日常が壊れていく音を聞いた気がした。

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