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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
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30 「人類を月に送る手伝いをしたんだ、と」

 地面を深掘りし、一方向に煉瓦を積み重ねた発射台には、斜め四十五度に備らえた試作機があった。

 燃料の供給用と思われるパイプが機体から伸びていて、その先は分厚い壁の下を通って、タンクと隔てられいる。

 二人の若者が機体とポンプとの間を引っ切りなしに行き来し、機体の調整を行なっていた。

 丘にはすでに大勢のひとが詰めかけており、客層は、いつぞやの軍が購入した航空機のお披露目に近いものがあった。

 記者が詰めかけ、カメラを回す者がおり、それより遥かに多くの、好奇心にあふれた若者が集まっていた。

 半年前には、爆発で半壊したという山小屋の姿は既になく、小さな窓と、一面が解放された実験小屋に様変わりしており、客映えも悪くなかった。

 『来るSFの世界』という宣伝に偽りはないらしい。

 見学に訪れた誰もが、そう思った。


 まもなく、実験小屋から、小さな少女が、笑顔を振りまきながら現れる。

 彼女は、発射台の近くの即席の舞台に立つと、一礼して、愛想良く挨拶する。


「お集まりいただいたすべての皆さん、こんにちは。

 わたしは、このロケットの開発者のひとり、ヤスミンカ・べオラヴィッチです」


 彼女の明るい声に応えるように、聴衆の視線が愛らしい少女の元に集まっていく。


 ヤスミンカの姿は、端的にいうと上品の一言に尽きた。

 紺を一滴落としたような光沢のない黒い生地に、クリーム色の襟元。

 遠目でも目を引く黒のラインが一本入っている襟は、そのまま結んでリボンになっている。

 膝丈までのプリーツスカートに、三つ折りソックスという洋装に身を包んだヤスミンカは、学生服を十二分に着こなした、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さまである。


「わたしたちが何を始めようとしているか、お集まりの皆さんはすでにご存知かと思います。

 それではさっそく、ご紹介しましょう。

 わたしたちの開発したロケット。アドラー溶接エクスプローラー一号です。

 全長三メートル、重量はおよそ二○○キロ、開発費には約二○○○マルクが費やされています」


 聴衆の中から、どよめきが上がる。

 それなりの金はかかっているとは察していた彼らも、二○○○マルクという金額を前には驚きが隠せない。

 遊びで出せる金額ではないのだ。一ヶ月の生活費が二○として、百ヶ月。約八年は、遊んで暮らせるだけの額なのだから。

 あの、果物屋を吹き飛ばした悪ガキたちが、すごい物を造ってしまったらしい。

 いよいよ持って、人々の期待は否が応でも高まってゆく。


「皆さん、最上段が回転を始めましたね。回転で姿勢を安定させるんです。

 燃料供給のバルブが閉じられ、パイプが機体から外されましたね。

 もうまもなく、打ち上げが開始されます。

 助手のヴェルナー、リンドバーグ先輩、打ち上げ準備はいかがですか?


 元気よく手を振っています。

 OKのサインです。


 問題ないようですね。


 それでは、皆さん、ごらんあれ。世紀のロケットが飛翔する瞬間を。


 皆さんでカウントしましょう。


 十、九、八」


 ヤスミンカに続いて、人々が復唱する。

 パイプが外され、側にいた二人が物陰に避難する。


「七、六、五」


 小さな花火がちらつく。燃焼が開始される。

 火が大きく青くなり、力強くなった。


「四、三、二」


 エンジンへの酸素供給量が増し、ブースターから地面に向かって火柱が立つ。

 ロケットが浮き上がり、飛び立つ瞬間を今や遅しと待っている。


「一ッ」


 果たして、ロケットは浮きあがった。

 極限まで縛り付けられていた地上のくびきから解放され、勢いよく解き放たれた。

 ロケットは、火の海の中をゆったりと飛行機し、ぐんぐん上昇してゆく。

 青年らの決意をのせて。ヤスミンカの執念をのせて。彼と彼女の青春をのせて。


 高く、優雅に、滑らかに。


 ロケットは瞬く間に小さな点になり、彼方へ消えるのではと、誰もが思ったそのとき、青空を背景に白いパラシュートがぱっと花ひらく。歓声があがった。

 歓声があがった。

 舞台からロケットを見つめてヤスミンカの口元は、自然とほころんでいる。

 壁の向こうから顔をのぞかせたヴェルナーが小さく拳を突き出した。

 ヤスミンカも応えるように拳を突き出した後、寄付を募るべく観客に向き直った。


 十五時二十二分三十秒。東南東の微風のなか、青年たちのロケットが飛んだ。

 到達高度は、およそ五十四メートル。

 飛距離は、ざっくり、地平線。


 文句なしの大成功だった。


 沸き起こる拍手と歓声。

 観客に答えるように、ヤスミンカは両手をあげ、大袈裟にお辞儀してみせる。なおいっそうの歓声が渦巻いた。


「我々の活動に賛同していただける皆さん、ありがとうございます。出資をご希望の方は、管理事務所か、このヤスミンカまでお願いします。

 出資いただいた皆さんには、我々の成功の暁には、こう発言する権利が得られます。

 人類を月に送る手伝いをしたんだ、と」




 うまくいった喜びよりも、重圧からの解放された嬉しさの方が、何倍も喜ばしいことらしい。

 ヴェルナーは自分の心情を、どこか他人事のように観察していた。

 

 ひどい気持ちでもない。

 でも、飛び上がって喜ぶ感覚でもない。


 目元は血走り、黒く落ち込んでいる。

 先ほどまでは、自分でもびっくりするくらい、恐怖に固まっていた。

 いまは、身体が軽い。力は全く入らないけれど。


 チャンスは一度だけ。失敗したら終わり。

 この一回で、結果を出さなければならない。

 誰の目にも明らかなくらいに、まっすぐに飛んでもらわなくてはならない。

 でなければ、ほんとうに、開発が続けられなくなってしまう。

 失敗したときの事を考えると、胃がキリキリと痛んだ物だ。


 それは、終わりの見えない恐怖だった。

 ゆっくり休みたくとも、気分が追い立てられるようで、ちっとも休まらなかった。

 直近の一週間は、ほとんど徹夜みたいな状況だった。

 一刻もはやく暖かいシチューが食べたかった。柔らかい毛布で寝たい。冷たくて硬いだけのコンクリートはもう嫌だ。

 朝食だけは、意地でも喫茶店に通ったのは、ヤスミンカとの朝食だけが、彼にとって最後の日常だったのだから。


 文字通り、人生を賭けた打ち上げだった。


 今は、まだ、手のこんだだけのおもちゃにすぎない。

 飛距離には限界があるし、安定してもいない。

 風が吹けば、目的から外れてしまう程度の些細な機械。

 だが、それでも。

 この機械仕掛けのおもちゃは、いずれ、世界を席巻する。

 

 そうなった世界を、誰よりもはやく覗き込んだ。

 ふわふわした、足場のついていない感覚。

 ただ、やってやった、という気分。

 ぼうっと座り込んで、腕を組んでみて、やっと気がついた。


 そうか、これが、充実感というやつなのか。

 

 ヴェルナーは、ひとり、たったいま気づいたばかりの感覚を噛み締めていた。

 だから、基地に入ってきた工場長にも気がつかなかったし、声をかけられたときには文字通り飛び上がった。


「おめでとう」


 最大のスポンサーである。それも、打ち上げ直前は三日も続けて足を運んでくださって、整備に力をお借りしていた。


 ひと夏と、たった三ヶ月。


 たったそれだけの期間でロケットを完成せしめたのは、一にも二にも、工場長の力添えがあったからこそだとヴェルナーは誰よりも理解していた。

 資本はもとより、技術者としても、多大なる力添えをもらっていた。

 構成こそヤスミンカが完全に独力で作り上げたものであるが、彼女の思い描いた夢を形にするには、やはり工学的問題が累積していたのだ。ヤスミンカの描いた図面には、平凡な誤謬が散見されており、彼女が如何に天才であろうとも、工学をものにするには決定的に時間が足りていない。


 そんなヤスミンカの設計を実現してくれたのが、工場長と、その周りの下職人組合である。特に、号令があったからこそ、職人たちは黙って動く手足ではなく、より良きものを作ろうと議論する集団になり得たのである。彼らは、ヤスミンカの外部にある、第二の頭脳だった。


 ロケットがアドラー溶接の名前を冠するのも、ある意味では自然な成り行きである。

 工場長は当初の予定通り、命名権以外に費用を受け取りはしなかった。

 それが契約だからというのだ。


「ありがとうございます。おかげさまで打ち上げを成功させることができました。

 今回の結果は、工場長のお力添えがあって初めて、実現することができました」


 ヴェルナーは頭を下げた。

 工場長は、初めて会ったときとはうってかわった丁寧な口調で青年にいう。


「礼は結構。これはビジネスですから。

 むしろ、とても良い経験をさせていただいた。これで我が工場の技術力を世間に知らしめることができたわけですから。

 想像以上にひとが集まってくれている。かなりの宣伝効果が期待できそうだ。君の夢へ投資したことは、どうやら間違っていなかったらしい」


「そういっていただけると」


「ところで君は、これからも開発を続けるのかね」


「ええ。今回の打ち上げの見学料でも、そこそこ儲けが出そうな塩梅ですし、出資者も現れるかもしれませんから」


「そうか。では、次回作にも期待だな。是非、我々と組んでいただけると嬉しく思う」


「もちろんです」


「それと、これが本題なんだがね。

 無粋な誘いかもしれないが、ヴェルナーくん。

 卒業後、もし行くあてがなくなったら、うちに来てもらえないだろうか。

 君たちのように、自分の夢に他人を巻き込める人材は貴重なんだ」


 工場長はそこで言葉をきった。ヴェルナーが注目するのをまって、咳払いをした。


「わたしも、ですか。ヤスミンカだけでなく?」


「先ほどの打ち上げは、彼女ひとりの力でできたと?」


 工場長は、面白そうにいった。君の苦労を知っているのですよ、と言わんばかりの笑みだった。


「どういうことでしょう?」


「君のような、天才を管理できる人材もまた貴重だということだ」


 ヤスミンカの要求と、現実的技術限界の狭間で、妥協点を提示し、落とし所を見つけること。ヤスミンカがやれといい、工場長ができるわけがないという。この両者の間に割って入り、心理的に致命的な決裂を生まないために神経をすり減らしたヴェルナーの苦労を、大人は、評価しよう、と言ってくれているらしかった。


「僕は大したことはしていません。ただ、ちょっと、上手に話をすすめただけで」


「そのちょっとが、なかなか難しい。

 そもそもとして、私が君たちに投資したのは、あの女の子が見違えるように魅力的にみえたからだ。

 以前とは、どこか空気が違った。

 いまの君たちなら、何か面白いことをやってくれると思ったんだ」


 言外に、勢いとはったりにやられたわけではないと告げられている気がして、ヴェルナーは密かにへこんだ。


「この先も、出来得る限りあの女の子の側にいてあげなさい。

 彼女はまだまだ幼い。けれど、彼女の身のうちに潜む直感は本物で、その才能に振りまわされてしまうきらいがある」


 工場長は、本当はその一言を伝えたかったのだろう。彼はヴェルナーの肩をたたくと、彼は返事も待たずに立ち去ってしまった。


 大人は気がつくのが遅い。ヴェルナーはひとり、誰もいない基地のなかで、つぶやいた。


「僕は、ヤースナのよき友人でありたいと思っていますし、現にそうだと思っていますよ。僕の思い込みでなければ、ですけど」


 それから、遠くに見える黒い雲をみとめ、余韻に浸っていたがる自分を叱責し、発射台その他の撤収にかかる。そんなところに大役を終えてきたヤスミンカが見えたので、声をかける。


「おつかれ、ヤースナ」


 こちらをみたヤスミンカは、しかし感動に震える訳でもなければ、喜びに満ちた顔でもない。

 どちらかといえば、とげとげしい。


「あれ、なんか怒ってる?」


「怒ってないわよ」


「ごめん。強引だったことは自覚してるよ。でも、君の制服姿は可愛かったし、華やかな舞台でとても映えていたよ。

 それに前にもいったけど、司会をしてもらうのは、イメージ戦略的に不可欠だったし……」


 面と向かって、褒めてもらうことに慣れていないヤスミンカは、彼を遮るようにぴしゃりといった。


「司会の事なら、そんなに嫌じゃないから。むしろ、楽しかったくらい。ちょっと、あなたの先輩から奇妙な相談を受けたってことに困惑してるだけ」


 鋭く強い口調でいうヤスミンカ。淡々と怒気をはらませた口調だったが、耳まで真っ赤だったりする。

感情を全く隠せていなかった。


 確かに、司会については怒っていないらしい。

 打ち上げの次くらいの心配事が何事もなく片付いたので、ヴェルナーは密かに胸をなでおろした。

 けれど、そうであるなら、なにが納得いかないのかヴェルナーには見当がつきかねた。


「なにかあったの?」


「別になんでもないわ」


 ヤスミンカは、またしても切り捨てるようにいった。

 そうは言いつつも、目線は左上をさまよっている。ヤスミンカが嘘をつくときの癖だった。


「ひょっとして、先輩?」


「本人に聞いて。わたしから言うことじゃないから」


 元気のない理由はそれか、とヴェルナーは察してうなずくにとどめた。

 およそ検討はつく話だ。

 先輩は十八。

 早ければ来年、遅くても再来年には、進路を決めねばならない年齢だった。

 兵役か、進学。

 先輩はきっと、決断したのだろう。


 なるほど、隠し事が苦手なヤスミンカにとっては、触れられたくない話題だ。

 だが、やはりわからない。

 ヴェルナーは、搦手を諦めて、素直に尋ねた。


「じゃあ、なんでそんなにささくれだっているんだい?」


「だって嫌でしょう。せっかくのわたしの作品が、なんでドクツ語と英語の混血児なのよ。エクスプローラーとかもう、格好つけて失敗しましたって主張してるようなものじゃない」


「でも、スーパーヤスミンカ号よりはマシじゃない?」

 

 ヤスミンカがこれまで怒っていなかったとしても、このひとことは決定的だった。

 彼女は、大きく目をみひらく。

 信じられない、という感情を隠しもしない。

 ぷいと横を向いたヤスミンカは、帰り道まで一切、口を聞いてはくれなかった。

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