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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
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29 「僕たちに必要なのは」

 考えることを始めなければならない。

 それを辞めると、ひどいことになる。


 ヴェルナーがヤスミンカの失踪で学んだことのひとつだ。

 ロケットを飛ばすためには、多くのものをすて、打ち込むことが必要だと思い込んでいた。

 けれど、それは間違いだということが、ヤスミンカの行動で明らかになった。

 

 自分なりのやり方で、ロケットを飛ばす必要がある。

 むしろ、積み上げてきたものの全てを、すり潰す勢いで使い切らねばならないのだ。

 資金繰りがあきらかになるにつれて、その思いはますます強く、確かなものとなる。


 ヤスミンカは、放っておくと湯水のごとく研究費を積み上げていくし失敗した前科がある。リンドバーグはこれからの進路のことで開発にかまっている暇がない。

 消去法的に、ヴェルナーは、資金を捻出するために頭を振りしぼることになる。

 三人の中で、まともに資金を管理できるのは自分しかいない、というのが、早々に出したヴェルナーの結論である。


 一番頭を抱えたのは、帳簿がヤスミンカの頭の中にしかないことだった。

 家の売却額に驚き、基地一帯の一括購入額に愕然とし、試作費から打ち上げ毎の燃料費、細々としたホテル代などを聞き出していく。ヤスミンカとの出会いからわずか二ヶ月間で動いた費用の強大さに愕然とした。とてもとても、個人で太刀打ちできる額ではない。


 そもそも、SY-01、SY-02だけで二○○○マルクが吹っ飛んでいるのである。当然であるが、一○○やそこらで、職人の手を何人も必要になる特注品が造れるわけがないのである。

 ヤスミンカの見込みでは、排熱ポンプ周りを改良して試作するSY-03は、一五〇〇マルクはくだらないとのことである。ちなみに手持の資金は、当座の生活費として見込んでいたヴェルナーの十七マルクである。

 顔を突き合わせて、現状を振り返っていた三人のうちの二人は、ため息をついた。


「一五〇〇マルクって、どうすりゃ稼げるんだろうな」


 リンドバーグが乾いた笑い声をあげる。


「そうねえ。家がもう一軒あれば、簡単に準備できるのだけれど」


 ヤスミンカは軽い口調でいう。ちなみにヤスミンカは、本当におけらである。計算と記憶力だけはやはり驚異的で、なんと最後の一桁まできっちり使い切っていることが、聞き取り調査で判明している。


「お金じゃないんだ」


 ヴェルナーはいった。


「一五〇〇マルクというただの数字。稼ぐんじゃなくて、ロケットを飛ばすためには、それをどこからか調達する必要があるってだけだ。僕たちに必要なのは、発想の転換だよ」


 ヴェルナーは確信する。

 これからやるのは、お金を支払って物をもらうのではなく、名声と技術を利用して、夢にお金を支払ってもらうゲームなのだと。

 狐につままれた二人には、説明するよりやってみせた方が早いと判断したヴェルナーは、その日のうちに行動を起こす。

 もっとも、ヴェルナー本人もうまくいくかどうかは未知数である。

 だが、ためらっていては始まらない。

 はっきりしていることは、これまで通りのような、お金を支払って対価をもらうやり方では、資金の調達は不可能だということなのだから。




 正午すぎには、ヴェルナーはヤスミンカを引き連れて、溶接からずっとお世話になりっぱなしだったアドラー溶接の工場長と面会していた。

 挨拶もそこそこに、ヴェルナーは、「これが、我々の目指すものです」といってヤスミンカのロケットを見せた。

 次に「僕たちには確実な実績あります」として、焦げたロケットノズルを見せた。

 これは不幸な事故の残滓であるが、技術革新でもっとも課題になるゼロをイチにすることは既に終えていて、あとは時間をかけて、実践により技術を磨くだけだと告げた。

 決定的な証拠として、ヤスミンカがすでに設計し終えたロケットのノズルと燃焼室の図面を示してみせた。

 金はあるのかと尋ねられると、隣で控えている少女をみながら、できるだけ悪そうな笑みを浮かべて、「彼女が稼いでくれます」と切り返す。

 それから工場長をみやって、「いまの反応で確信しました。あなたはとても、善良な方だ」といって、外堀を埋める。

 「以前のお取引で、工場長の技術力は知っています。僕たちの目標を達成できる技術者は、技術立国ドクツといえど、ここにしかないのです」と持ち上げた。

 その上でヴェルナーは告げる。


「工場長が生きているあいだに、人間が月面で仕事をする場面を目撃することになるでしょう。その時、ひとを運ぶロケットを作るのは僕たちです」


 そして極めつけはこれだ。


「ロケットの名付け親になる権利はいりませんか?」


 命名権の売買。

 夢を応援してくれる大人を抱き込むための、苦し紛れの策。

 見方によっては、投資家にスポンサーを依頼したということになるのだろう。

 だが、ヴェルナーにとってみれば、そんな大それたことではなく。

 元手がゼロで、かつ、売れるものを必死に考えた結果が、命名権だっただけである。

 


 果たして、交渉の過程で、どれが決め手になったのかは定かではない。

 ただ、現金ではないものを引き換えに、試作機を組む機会を手に入れたことは確かだった。




 夏の長期休みのことごとくを、ヴェルナーはロケット開発にかけた。けれど、まったくといっていいほど、終わりがみえてこなかった。やることは無数にあり、こなすべき仕事は無限にあるように思われた。

 休学という選択肢が常にチラついていたし、本気でそうしようかと思ったこともあった。けれど、ヤスミンカはそれを望まなかった。学ぶことが出来る時期には、存分に学ぶことこそが、ひとには必要なのだというのである。

 ひといきに大学へ行ってしまったからこその言葉だと、ヴェルナーは受け止めた。しかも彼は、彼女の静かに泣く姿をみている。素直に従うべきところだなのだろう。

 学ぶ機会を真摯に受けとめ、黙々と知識を積み重ねる。勉学を通して、系統的なものの考え方を身に付ける。そうすることでしか、ヤスミンカの隣に堂々と立つことができないのだ。


 腹は括ったものの、学業との両立は大変だった。特に下地のない数学の講義は苦痛であり、講義だけでなく、開発進捗の管理、ヤスミンカと工場長間の板ばさみ、キャッシュフローを逐次監視に加えて、試作機そのものの組み立てもこなさねばならない。

 一日もはやく打ち上げたい、という気持ちを心の支えにしようとしていたが、そのために為さねばならぬものの多さを目の当たりにして、途方にくれた。心構えそのものを修正する必要に迫られていた。


 学期が始まってからの三ヶ月は、あっというまだった。その間に、もっと忙しくなるのでは、自分が擦り切れて挫折し、うちひしがれてしまうのではという脅迫めいた不安にさいなまれた。

 けれど慣れというのは不思議なもので、徐々にペースが掴めるようになってくる。

 ヤスミンカといつもの珈琲屋での食事中に、ふいに、力を抜いてリラックスしている自分を発見して、ため息をついた。


 自分はもう、大丈夫だ、と。


 ヴェルナーの余裕を察したヤスミンカが、ヴェルナーの存在を橋頭堡にして、学校に転入、構内を活歩するという兼ねてからの計画を実行にうつし、ヴェルナーの平穏な学生生活を脅かしたのは、それからまもなくのことである。

 そして、ヴェルナーは不名誉な称号を受けるはめになり、ヤスミンカの知名度、あるいは悪評はまたしても増したのである。


 それから程なくして、彼らは打ち上げの日を迎えた。

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