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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
19/138

19 「ばーか」

「僕か。君みたいに鬼気迫る動機なんかないよ。子どものころ、『月世界への航路』って本が流行って、それで宇宙って世界を、はじめて意識したんだけれど」


 ヴェルナーは夜空を仰いだ。

 無限に瞬いていた星々の大部分は、どこかに隠れてしまっていた。

 街の街灯の光が、星の光を打ち消していたからだった。星々が遠い距離によって隔てられているのだと、思い出した。

 いつのまにか坂道は終わり、舗装された道を歩いていた。

 街灯がほんのりと照らすレンガ道が、途端に現実を突きつけてくる。


「誘われたから、というのが適切なんだと思う」


 ヴェルナーは、繋いでいるのと反対の手を額のあたりに持っていく。

 半分は照れ隠しで、もう半分は、彼の癖みたいなものだ。

 思い出せるのは、世間の流行りだからと、勉強嫌いな自分に父が本を買ってきてくれたこと。

 あるいは、望遠鏡をプレゼントしてくれた母が、星も石ころのようなものだと示してくれたこと。

 もしくは、近所の悪戯小僧といっしょに、あやまってくだもの屋を吹き飛ばしてしまったこと。

 そのどれもが、自分をロケットに向ける確かなものだった。けれど、そのどれをとっても、自分から始めたことではない。


 少なくともヤスミンカのように、人生を賭けるほどの意気込みも情熱もない。

 だから、ヴェルナーはそれを、正直に口にするしかなかった。


「あなたの正直なところ、好きよ。格好つけるより、ずっと格好いい」


 ヴェルナーを見上げて彼女はにこりとわらった。


「きっかけなんて、別に壮絶である必要なんてないわけよ。

 大学に通ってわかったことなんだけどね。

 はじめはみんな、夢に希望にいっぱいなわけ。新入生はほとんどの例外もなく、崇高な目的を抱えているように振るまうの。

 世界を変える機体をつくるんだとか、自分こそが天才で、航空機が空に浮く理由を見つけるんだってな具合ね。

 でもね、入学して、二、三年。図面を引いてみて、どうにも自分の目標は、身の丈には合わないらしいと気づくわけ。そして、夢をみることをやめてしまうの」


「みんな、賢く思われたいんだよ」


 ヴェルナーはいった。


「馬鹿に思われたくないのよ」


 ヤスミンカは即座に言い返した。


「努力することが格好悪いと思ってるのよ。自分が失敗して恥をさらした姿を見られるのが、惨めなだけだと錯覚するわけ。

 何かを学ぶときに、自分自身が悩み苦しんでやっとたどり着いた結果こそに、意味があるのにね。

 そのくせ、間違いを指摘すると、混乱するか、怒るか、逆に馬鹿にするのよ。

ふざけるんじゃないわよ」


 君もそうだったんだけどな。

 試作依頼にいったときの泣き顔を思い出したヴェルナーだったが、賢明にも口には出さない。


「だから、あなたのように、自分を飾らないところは、あなたの美徳だと思うわ。

 それに、あなたはたぶん、自分のできる範囲で精一杯、努力してるんだと思う。

 そうでなかったら、工房でロケットエンジンの開発に勤しむこともなかったでしょうし、わたしはあなたと出会っていなかったに違いないし、こうやって手を繋いで歩いていること起こりえなかったわけでしょう?」


「まあ、そうだね」


「だから、あなたがもう少し自分に自信をもってくれたなら、わたし、あなたを旦那さんにしてあげてもいいと思ってるくらいよ」


 ヴェルナーは立ち止まった。そして、ヤスミンカをまじまじと見つめた。街灯はヤスミンカの顔に影をつくるばかりで、表情まで読みとらせてはくれなかった。


「僕、そんなに情けない顔してたかな」


「わたしと自分とを比べて、がっかりはしていたでしょう?」


 ヤスミンカは肩をすくめた。ヴェルナーは恥ずかしそうにはにかみながらいう。


「僕はときどき、君が魔法使いなんじゃないかって思うよ」


「わたし、心を読む術は得意中の得意なの」


 ヤスミンカは、今という時間を心から楽しんでいる声で笑った。それから、少しだけ声を静めて、真摯な調子で続けた。


「でもね、あなたには、自分の内なる衝動をみつけないことには、苦しい思いをすることになるわ。

 わたしたちはこれから、有名になる。

 今日の試験の結果をみて、あらためて成功を確信したの。

 たくさんのひとたちがわたしたちの偉業に注目し、そして批判し、攻撃してくるわ。わたしたちの、というより、誰かが成功することを面白く思わないひとたちが、この世の中にはいっぱいるんだもの。


 あることないこと、たくさん言われるわよ。

 的外れで、笑っちゃうくらい。わたしは教授や学生をたらし込んで、裸にしていたずらしようとする変態で、精神病院に何度も入った札つきの淫乱かつ同性愛者らしいわ」


「ヤースナ、意味わかってる?」


「さあ。悪口の意味を調べてもしょうがないでしょう。

 そんなことより、あいつら、わたしの論文を教授が代筆したに違いないっていうのよ。

 教授職にあぐらをかいて学内の権力闘争に明け暮れる年寄りが、わたしと同じ着想を得られるはずがないのに」


「ヤースナ……」


 ヴェルナーが、なんと言えばいいのかわからず言葉を探していると、ヤスミンカははっきりという。


「本当になんとも思ってないわよ、わたしは。

 あの人たちの頭で、わたしに比肩しようって発想がまず間違ってる。それを認められない彼らが、心からかわいそうだと思うわよ。


 わたしは、傷つく暇があったら、前に進みたい。


 わたしは、お母さまとの約束を叶えられる力があると信じているし、叶えるべく行動しているし、叶う未来を想像している。この気持ちは、誰になんと言われたって、揺らがないわ。

 だって、わたしがそうしたいんだもの。この、わたしがってところが重要なのよ。わかる?」


 語っているうちに、怒りがこみ上げてきたのか、ヤスミンカは自分の髪をわしわしとかきみだし、ぶつぶつと呪いの言葉をつぶやきはじめた。

 やっぱり、気にしているんじゃないか。

 ヴェルナーは、それとなく頭を撫でなでる。

 すると、すぐにおとなしくなった。

 むしろ、もっと撫でろというように、頭を押し付けてくる。ヴェルナーがわしわしとなでつけると、やっと満足したように離れて、テケテケと二、三歩前にすすんで、振り返ってみせる。

 両の手を腰にやり、ない胸をはって、ヴェルナーをまっすぐに見つめた。


「はじめは偶然でもいいし、とりあえず手を出して見た、で構わない。

 でも、それだけじゃ、続けられないし、続かないくらいには、大変なことよ。宇宙を目指すということは。

 いまは順調だからいいけれど、なにかあったら、嫌になっちゃうに違いないの。難題にぶつかって、ほかの事が良さそうにみえて移り気をおこしちゃうかもしれない。

 誰かに後ろ指をさされて、やめろって言われ続けて投げ出してしまうかもしれないし、お金の切れ目が縁の切れ目になるかもしれない。


 だから、探して欲しい。

 宇宙を目指す、あなただけの理由を。

 子どものように、無邪気に、まっすぐに、ただ、できると信じるなにかを。


 それがあれば、身につけた思考法で、目的にたどり着く道を探し続ける。逆に、これができないと、十年越しの夢にはたどり着けないの」


 ヤスミンカはいった。

 どこまでもまっすぐで、とてもあやうく、折れそうな脆さをはらんでいるように見える少女は、心の奥底の光の届かないところに、誰よりも確かな芯をもっていた。

 ヴェルナーは、胸の内側がざわつくのを感じた。そのざわつきは、不快ではなく、彼女を応援したくなる、不思議な感覚だった。


 たぶん。

 ヴェルナーは思考する。

 この胸のざわめきこそが、宇宙を目指す理由の最たるものなのだと思う。なにか一緒に成し遂げてみたい、と理屈なしに思わせてくれる、君の存在。

 まっすぐに、目的に猪突猛進するヤースナがいるからこそ、助けてあげたいと思うこの気持ちこそが、自分が取り組む原動力ではないだろうか。

 なにより、ヤースナの側にいるだけで自分も、と思う。

 これが、確かなものにはなり得ないのだろうか?


 ヤスミンカは、じっとヴェルナーを見つめていた。

 髪はぼさぼさで、服もどことなく汚れて彼女が真摯に向き合っている以上、自分も、誠実に応える必要がある。

 ヴェルナーは言葉を選びながら答える。


「僕は強い人間じゃないからね。数人だけなら我慢できると思うけれど、周りの誰もがってなったら、逃げ出してしまうかもしれない。

 自分はじぶんで、他人は他人だって、君みたいに言えないからね」


「いまの、あなたならね」


 ヤスミンカがいった。ヴェルナーはうなずいた。


「これからのあなたは?」


「君と一緒なら」


 ヤスミンカは破顔した。

 その微かな動きで、街灯の光が、ヤスミンカを浮かび上がらせた。

 手足がすらりと細くて、目が輝いていて、不敵に笑う唇に、ヴェルナーはつかの間、息を呑んだ。

 ヴェルナーは目をほそめて、絞り出すように尋ねた。


「ひとつ気になっているんだけどね、ヤースナ。君は僕の、どこを買ってくれているんだい?」


「わからないの?」


「わからない」


 ヴェルナーは首肯した。


「僕が嫌われる理由なら、百は思いつくのだけれど」


「試作屋さんでは、泣かされたものね」


 ヤスミンカはからからと笑った。そして、学校の先生みたいに、指を立てていう。


「わからないなら、いまは苦しむときね」


「君はなんというか」


 具体的な言葉が見つからないまま、ヴェルナーは声を上げた。しばし思案し、悪戯好きの悪魔の誘惑に耳をかす。


「その厳しさは、ひょっとして僕を旦那さんにしたいからなのかい?」


 きょとんとした顔で、ヤスミンカは瞬きを繰り返した。

 ヴェルナーをみあげ、一拍おいて言葉の意味を理解した彼女は、目を細めて、唇の端をゆがめていった。


「ばーか」

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