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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第一章 ヤスミンカ・べオラヴィッチ
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18 「そんな、子どもみたいな夢」

 足元は暗すぎてなにも見えなかった。

 代わりに空を見上げながら、ヴェルナーとヤスミンカは互いに手をとりながら、ゆっくり道をたどった。

 道があるところに木々はなく、星がよく見えた。

 その日は月の出ない新月で、夜空は星々の天下だった。彼らは橙に赤に紫にと、思いおもいの色に輝いている。

 しばらく黙って歩いていたヤスミンカは、ふと、思い出したように口にする。


「お母さまは、あの塵のようにみえる橙の星のあたりいらして、わたしを見守ってくださっているのよ」


 ヤスミンカが懐かしむようにいった。


「お母さまだけじゃなく、お婆さまも、大婆さまも。ずっとずっと、わたしを見守ってくださっているのよ」


 ヤスミンカは、一度ため息をついてから、続ける。


「もちろん、そんなはずはないのは承知しているわ。

 星々がただのガスの塊で、色が違うのは単に燃える温度が違うからで、そもそも星々は気が遠くなるくらい離れ離れで、孤独な存在だって、わたしの頭はちゃんと理解している」


 ヤスミンカなりの気遣いなのか、自分の事を知ってもらいたいからなのか。彼女はとうとうと語る。

 しばし考え、ヴェルナーは、つい先ほどの話を思い出した。

 長くなると言った、ヤスミンカの言葉を。

 何が君を駆り立てるのか、という問いの。

 心を開いても良いと思ってくれたことに、ヴェルナーの心は少しだけ弾んだ。


「大事な思い出なんだね」


「ええ。おばあさまが亡くなったとき、いつまでも泣きやまないわたしに、母が話してくれた優しい嘘。

 あのときの温もりは、とても心地がよかった。


 それからわたしは、星を見上げるのが大好きになった。

 おばあさまは星になったんだって。困ったときに、あなたを導いてくれるお星さまになったんだって。


 何年か経って、やっとお婆さまのいない寂しさを忘れられるようになったころ、お母さまは、枕もとにわたしを呼んで、同じように抱きしめてくれたわ。

 あのときの温もりは、もっと心地よかった。お婆さまが亡くなるときみたいに痩せていて、つんとする薬の匂いがしたけれど。


 わたしを抱くお母さまの力はとても弱々しくて、だからわたしがかわりに、ぎゅっとしてあげたの。お母さまは苦しいって、苦情をいったけれど、それでもわたしは、ずっと抱きしめていたの。だって、そう遠くない未来に、お母さまを感じられなくなることがわかってしまっていたから。


 お母さまは、わたしが満足するまで、黙って抱きしめられていてくれたし、いつまでも頭をなでてくれた。そして、おばあさまの時とおなじ嘘をついてくれた。

 わたしもお星さまになって、あなたを見守っているし、道に迷ったときは、導いてあげますよって。

 ちょうど、いまのわたしたちに夜道を教えてくれているみたいに」


 ヤスミンカの口調は落ち着いたものだった。

 けれど、普段のはつらつとしたヤスミンカとはとてもかけ離れていたものだから、ヴェルナーには、彼女が泣き出したいのを堪えているような気がした。

 彼の気持ちは、繋いでいる手から少女に伝わる。強く握るという形で。

 ヤスミンカは、答えるように握り返すと、明るい声でいう。


「ありがと。別にわたしは、寂しいからこの話をしたわけではないのよ。

 あなた、わたしに尋ねたじゃない?

 なぜ、わたしが宇宙を目指すのかって。だから、そのきっかけを話しているだけ。いまだったら、なんだか素直になれそうだったから。こんなセンチメンタルな感情を抱くことなんて、もう一生ないだろうから。


 とにかく。

 お母さまに抱きしめられたあの日、わたしは、約束したの。

 わたしは、星までいく方法を考えて、いつかお母さまの側にいってあげますって。

 そんな、子どもみたいな夢。


 あのときはまだ、わたしは本当に幼くて、星々は本当に人の魂だと信じていたし、側に行く方法なんか検討もつかなかったけれど、それでも約束したのよ。

 お母さまは、それじゃあ待っていようかしら、といって笑ってくださったわ。最高に良い笑顔だった。


 それが、わたしの頑張る原動力。わたしが学問を志した、大切な思い出」


 そういうとヤスミンカは、深いため息をついた。それから、がらりと変わった明るい声でいった。


「正直に告白するとね。お母さまが亡くなってからのわたしは、頑張りすぎちゃってたみたい。なにもかも忘れてしまいたいくらい、何かに没頭していたかった。

 片っ端から手をつけてみたわ。

 一番没頭できたのが、物理と数学。

 どうにもわたしには才能があったみたいで、周りの大人たちは、わたしを天才だっていっておだてて来るのよ。


 期待されたら、こたえたくなっちゃうじゃない?

 だから、のめり込んでやった。

 世界がぴったりと、原則にはまっていく感覚は、最高に気持ちよかった。

 そうしているうちに、寂しさも忘れられるようになったわ。お母さまのことも含めて、ね」


「でも、思い出したんだ」


「ええ。自分でも不思議なくらい鮮明に、思い出すことができた。ずっとずっと、忘れていたのにね」


「きっかけはなんだったの?」


「モスコーで読んだ本よ」


 ヤスミンカは即答した。


「埃をかぶっていた、誰も興味のない分野の夢物語よ。なんでその本を手に取ったのかなんて、ほとんど覚えていない。


 あのときのわたしは、進路を決めかねていたところだったの。

 航空機の図面を引いて、研究をそれなりにやって、論文をかいて、博位をもらって、あとはトトノ重工だかユンカース社だか、ナカノシマヒコウキだか、とにかく引く手あまたの状態で、周りの誰もが、わたしをちやほやしてくれる。


 そりゃあ、それなりに努力したんだから、称賛はうけて当然よ。けれど、あのとき、忙しさにひと段落がついたあのとき、考えこんでしまったわけ。

 わたしの人生って、なんだったのかって。

 そうしたら、急に何も手につかなくなって。自分で自分が何をしたいのか、わかってなかったのね」


「君の人生はまだまだこれからだとおもうけどなあ」


「ぼやかないで。わたしがそう思った事が大事なんだから。

 とかく、あのとき、わたしは引っ掛かって、たちどまった。

 そして、なんの縁だかわからないけれど、大学の併設図書館で、ツィオルコフスキー先生の論文に出会った。

 気分転換のつもりだったのだと思う。

 

 冷やかしか暇つぶし。


 けれど、文字を追っていくうちに、そんな気持ちは、ひとかけらも残さずに消え去った。

 ページをめくる手がとまらなかった。人工衛星、宇宙船の示唆に、軌道エレベーター。そして、多段式ロケットの可能性。

 宇宙という、誰も足を踏み入れたことのない世界へ、本気で挑戦する方法を検討しているひとがいる事実に、胸の内が震えるのをとめられなかった。


 最後の一行を読み終えたとき、びっくりするくらいに、鳥肌が立っていて、これだと直感したわ。

 わたしが人生を賭けるに足る分野は、宇宙なんだって。


 人間の神秘を感じたのは、この時ね。自然と思い出したのよ。お母さまとの約束を」


 ヤスミンカは、しみじみといった。


「そしてわたしは、違和感を覚えた。大学に。いまいる環境に。

 だって、皆は空を目指しているのに、宇宙を見ているひとはひとりもいないんだもの。

 モスコーは、科学者を養成してはいないと思った。いくつもの企業が、わたしの才能を欲していたけれど、それはきっと、科学者としてのわたしを求めていたものではなく、わたしの生み出す知識を通して垣間見えた、お金を見ていたに違いないわ。


 あのときのわたしは博位を取得したけれど、科学者ではなかった。

 だって、わたしの考える科学者の定義が、先生の論文を手にする前と後とで、ガラリと変わってしまったから。

 科学者とは、大衆にまじり、あるいは荒野にあり、誰に認められることがなくとも、思考をやめない姿勢にあると確信している。

 だからわたしは、ここにいる」


 大気の中を飛びまわっているだけで良しとするなんて、そんなことがあってたまるものですか、とヤスミンカは雄弁に語った。

 ヴェルナーは、妙な既視感を覚えて、しばし胸の内を探った。ヤスミンカの熱意をかがり火にしながら。その既視感を見つけ出すのに、そう時間はかからなかった。

 ヴェルナーは尋ねた。


「ひょっとして、『作用反作用利用装置による宇宙探索』だったり?」


「そう。あなたの見つけたツィオルコフスキー先生の論文よ。この国にも、注目している学者がいるのね」


 ヤスミンカは、しみじみといった。


「モスコーの誰も評価していなかったのに。異国の地で、ちゃんと見ているひとがいるだなんてね。

 きっと、先見の目を持った、優れた方なんでしょうね」


「女性だったよ」


 ヴェルナーは付け加えた。


「そう。まあ、ロケット開発を続けていたら、そのうちに会うでしょう。狭い業界ですもの」


 まったく興味がなさそうに、ヤスミンカは流した。それから、ヤスミンカは、ヴェルナーを見上げて尋ねた。


「ヴェルナー。あなたは、なぜロケットを造っていたの?」

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