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宇宙から地球を見下ろしたとき、君はなんというだろう?  作者: トトノ
第二章 イリーナ・セルゲーヴナ
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59 「宇宙へ行く、という言葉の重み」

 ヴェルナー・ベルベットはエンジニアである。

 宇宙に人工衛星を打ち上げるという、快挙を成したエンジニアでもある。そろそろ、自惚れてもいいのではないか、自己評価を上げても構わないのではないか、と考え始めるくらいには成果が気になる、平々凡々な思考の持ち主である。

 だから、頭角を表し始めた天才の言葉を聞くと、どう対応していいのかわからなくなってしまう。


「ですから、小型化できていない高速電子演算機(コンピュータ)()()はそもそも不要です。

 これ以上、機体を重たくしたいだなんて、無茶は言わないでくださいね?

 サバイバルキットも不要でしょう。そんな余分な重量を乗せるくらいなら、推力と角度を調整できるだけの燃料を、余分に積んでください。

 これでも、六時間が限界だと思っているのですが――」


 重いほど、物を動かすのにエネルギーが必要になる。

 そのエネルギーを削ぎ落とすために、イリーナは全力を注いでいた。

 人間ひとりの重量に、宇宙服。酸素ボンベに座席。コンピュータに各種センサー、通信機。逆噴射用のブースターにパラシュート。大前提としての、周回軌道に入れるだけの燃料と、それら全てを運べるだけのボディの重量。


 ヴェルナーが概算する、四・七トンという数字。これだけの重量は優に打ち上げられるだけのロケットを、ヴェルナーは設計してきた。

 けれど、いまだトン単位のものを打ち上げた前例はない。だから、一グラムでも軽くすることに彼女が腐心することそれ自体は問題ではない。

 ひとが生存可能な環境を打ち上げてみることは、賛成である。今後の展開を鑑み、イヴァン・イヴァーノヴィチなる人形を搭乗させるというアイデアにも、疑念を挟むつもりはない。

 問題はここからである。イリーナの計画によると、この人形は息をするようなのである。


「重量問題はひとまず置いておこう、イリーナ。僕は君の計画のなかで、ふたつばかり気になることがある」


 ヴェルナーは彼女の説明をさえぎっていう。イリーナは、挑むように尋ねる。


「どのあたりがですか? 高度七○○○メートルで、カプセルから操縦席ごと射出、パイロット自身に軟着陸を試みさせているところですか?」


「確かに、ずいぶんと乱暴な飛行計画だね。

 幸いなことに、僕は、自分で操縦できない棺桶(ロケット)の開発を任された経験がある。追い込まれた人間が同じ発想に至るのだという、貴重なサンプルを見ているような気もするけれど、問題はそこじゃない」


「では、蓄電用鉛電源(バッテリー)の軽量化ですか?」


「電源周りに危険が潜んでいるとは知らなかったな。あとでじっくり説明してもらいたい。

 でも、それも後回しだ。まず僕は、この十三・七Gという数字の根拠について聴きたい」


 ヴェルナーが書類を叩く。

 無事に帰還するためには、スプートニクのおよそ八十倍の運搬能力が必要で、その際に憂慮すべきは、奇しくも、ロケットの加減速が障害になる。そのために、人体に十三・七Gが加わらないように設計しなければならない、とイリーナは主張していた。

 その根拠を、彼は問うた。

 イリーナはちらりと視線をやり、軽く頷いたのちに、迷いのない口調でいう。


「ひとが意識を保っていられるギリギリの数字が、十三・七Gだからです」


「その出どころについて、僕は知りたいといっている」


「ナキア中央研から頂いてきました」


「その実験データはもらえるかい?」


「背景まで知る必要はない、言われてしまうでしょうね」


「そう。まさに、そこなんだ」


 ヴェルナーはわざとらしく大袈裟にいう。


「一語一句違わぬ回答をもらったんだよ、イリーナ。だから僕は、君がこの数字を信じて構わないと判断する理由が知りたいんだ」


 ヴェルナーが欲するのは、数字とその根拠である。

 研究開発とは、現象の数値化に他ならない。

 ありとあらゆる現象が数字に置き換えられたからこそ、二十世紀の発展はあったとヴェルナーは考えている。

 数字に強くなるということは、その裏で何が起こっているかを読み取れるようになる、ということと同義だった。


 例えば、公開される経済指標。

 サ連共産党中央委員会が提示するそれは、ヴェルナーがみるに、経済状況の実態を客観的に描き出そうというより、共産主義体制の優位性を誇張しようとする意図が強く作用しているように思われてならない。

 でなければ、実体経済を示すはずのグラフが、綺麗な正弦波になるはずながない。

 どの程度、サ連の情報に重きを置いて良いか、という指標になるのである。

 ヴェルナーにとっての数字が読めるということは、今後の判断を下す上で、重要な指標として機能していたのである。


 同じように、ヴェルナーは、ロケット打ち上げの成否も数字に落とし込むことで判断する。

 そして、数字の示す意味を読み解く技術を磨いてきたからこそ、ヴェルナーはかつて、天才たちの発想を理解し、まとめることができたのである。

 イリーナにも同じことを求め、彼女はそれに応えてくれていたはずなのだが。


「ナキア中央研の数字は、信用できます」


 イリーナはとりつく島もない。


「どうして?」


「実績があります。彼らは航空研を抱えていますから」


「だとしても、今回も安全だとは言い切れないよね?」


「言い切れます」


「だから、なぜ?」


「勘です」


「君の命がかかった数字だぞ」


 ヴェルナーは声を荒げた。彼には、彼女がどうにも、自分をすり潰したがっているように思えてならなかった。


「パイロットは、このわたしなんです。わたしの身体のことは、わたしが一番よく知っています」


 ヴェルナーが、呑んだ息を吐き出すようなうめき声でいう。彼女が、触れてくれるなと全身で主張していることがわかったからだ。だからヴェルナーは、感情を吐露しつつ矛先を変える。


「やっぱり、君の計画は自殺の一形態にしか見えない。

 そもそも、あと三ヶ月しかないんだ。

 ここは無理をするところじゃないように見える。前提条件を変えるよう、交渉するべきところだ」


 ヴェルナーは提案する。


「交渉、ですか?」


「そう。世界に、弾道軌道も宇宙飛行士(コスモノート)と認めさせればいい」


 宇宙空間とその利用に関する国際宇宙法の立法に大忙しである。これまでの国際法が陸海空に定められたところに、さらにその上が現れたのだ。

 さまざまな機能の衛星が打ち上げられることができ、軍事利用が予想され、人類が足を踏み入れる可能性が示唆されるようになり、さらには軍事的利用が容易に予想されるようになったのである。

 国家の主権を左右するか否か、領空と宇宙空間との境界をどのようにするか。

 そして、何をもって宇宙空間を利用したと規定するのか。

 平和的に利用できるのはどのあたりまでと解釈するかが、焦点となる。


 ヴェルナーの見立てでは、技術で一歩先んじたサ連は、自らの優位性を声高に主張するだろう。

 具体的には、衛星やミサイルは、地球をぐるりと一周しなければ宇宙法には抵触しないという立場をとるものと思われた。

 そこに、一文を付け加えてもらえればいい。例えば、弾道軌道にのれば、ひとは宇宙へいったと規定させればいい。

 だが、イリーナの意思は固かった。


「駄目です。誰も、弾道軌道では誰も納得しません。建前で話をする場面ではないんです。

 宇宙へ行く、という言葉の重みを、わたしたちエンジニアは真摯に受けとめるべきです」


「でも、周回軌道から大気圏への再突入を試みは、弾道軌道とはわけが違う。君は燃焼の専門家だろ?

 もうひとつの懸念はまさに、この耐熱問題だよ、イリーナ。

 機体へ加わる熱が与える影響を、君はこの国の誰よりも承知しているはずだ」


「もちろんです。わたしには、エンジンまわりで培った、断熱材の知見があります」


「実機検証もないまま、ぶっつけ本番をするつもりなのかい? ここには溶ける水着はないんだぞ!」


「は?」


 イリーナは目を丸くし、毛虫を見るような目になっていく。心なし、さりげなく身体を引くのを、ヴェルナーは感じた。

 失言を悟ったヴェルナーは、苦虫を噛み潰した表情になりながら、声を絞り出す。


「耐熱材には、何をつかうつもりだい?」


「ベリリウムを」


「それで、足りるのか」


「現時点で成し得る最適解です」


 ヴェルナーは、目元を押さえながらいう。

 理論と実践には隔たりがある。だが、究極的に違いを確かめるには、やってみるしかない。

 数字がない以上、ここでの議論は水掛け論にしかならない。そして彼女は、おそらく意図的にはぐらかすような表現を使っている。だから、会話が成り立たない。

 ヴェルナーはやがて、確かめるようにいった。


「僕が同意しなかったら、君はどうするつもり?」


「兄さんはなにも変わらないでしょう。更迭されたりもしませんよ。わたしがそれを望みませんから。

 でも、R-7でエンジンに一番詳しいのはわたしです。任務をもらったのもわたしで、目標を設定したのもわたしなんです。

 兄さんの開発班が優秀なのは認めますが、わたしのチームの提供するエンジン抜きで打ち上げることは不可能です」


「つまり?」


「もし、拒絶なさるのなら、わたしの耳には、なぜか兄さんの声だけが耳に入らなくなるかもしれませんね?」


 ここでロケットの開発を続けられなくなるぞ、とイリーナはわかりやすく脅迫する。

 ヴェルナーは沈黙を守った。

 ただ、はっきりと悟る。ロケット開発という点で、立場が変わった、と。


「やれやれ」


 ヴェルナーはため息つく。困難という運命の試練に、こよなく愛されているらしい。


「イリーナ」


「はい」


「死ぬ気じゃないよね?」


 彼女は、まさか、というように肩をすくませる。


「失敗したとしても、人間と同重量の人形の打ち上げに成功したと、党は主張するだけです。搭乗者が乗っていたという事実を綺麗になかったことにするくらい、彼らにしてみれば、造作もないことでしょうから」


「党の体面なんて、どうでもいい。僕は、君自身の意思を聞いている」


「わたしは、わたしの存在を歴史に刻むつもりなんですよ? こんなことで、立ちどまるつもりはありません」


 彼女の挑むような瞳には、見覚えがあった。

 腹の底に何かを隠していて、燃え尽きようとしている顔だった。

 そこに、いかなる思惑が潜んでいたとしても、手を差し伸べねばならないような、そんな顔。

 弾道軌道に彼女を打ち上げたときのような。

 目を離すと、とんでもないことになるという確信が、ヴェルナーにはあった。ならばせめて、目の届く範囲に居させるべきだ、という経験からくる直感も働いた。

 だから、彼は同意する。


「いいよ、やろう、イリーナ」


「ありがとう、兄さん」


「だけど、あと二ヶ月の間に、僕が無理だと思ったら、手を引かせてもらう。

 僕と同じように、君も、僕がいなければロケット開発は続けられないということを忘れてもらっては困る」


「望むところです」


 一礼し、立ち去ろうとするイリーナに、ヴェルナーは声をかける。


「イリーナ」


「はい?」


 彼女が肩越しに振り返る。


「僕は君を信用しているからね」


 ヴェルナーがいった。イリーナは、薄く笑みを浮かべながら答える。


「わたしたちは、すでに衛星を打ち上げたんですよ。世界初、人類初の偉業を成し遂げたんですよ」


「だからこそ、自分が冷静な判断を下せている自信がない」


「つまり、兄さんの直感は、できないと叫んでいると。安心してください」


 イリーナは力強く断言する。彼の迷いを断ち切るように。彼が、そう言って欲しがっていることを、承知していたから。


「このわたし、イリーナ・セルゲーヴナを信じなさい」

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