52 「腹の探り合いはやめませんか?」
「非常に興味深い試みであることは理解します。ひとりのエンジニアとして、多くの改良点を含む意欲は非常に好ましいものがあります。
しかしながら、懸命な皆さんであれば理解できるはずです。
ヴァンガード計画は、新規に開発する要素を多く抱えすぎている、と」
円卓を囲みながら、衛星開発委員会の面々の表情には、明らかなひとつの表情が浮かんでいる。
また、小娘が騒いでいる、という類の表情である。
彼らが集まらざるを得なかったのは、ヤスミンカの衛星開発委員会顧問という肩書きのなせる業だった。
委員の人間が正式に召集してしまった以上、議事録を残さざるを得ない。そういう、大人の事情が絡んだからこそ、大人たちは集まらざるを得なかったのだ。
だが、ヤスミンカに遠慮はない。迷いもなく、忖度もない。
「わたしたちは、準備をせよとおっしゃってくだされば、三日で打ち上げることが可能です」
ヤスミンカはそこまで言い切ってから、ついで、SY−12が分解されたことになっていることを思い出した。
「ああ、失礼。発言を訂正します。いまは機材をすべて分解してしまったので、その十倍はお時間必要ですね。ざっくり三十日。それだけあれば、合衆国の威信を証明して見せますよ」
流石に目に余ったのか、委員会特別顧問の物理学者が諫めるようにいった。
「そう焦ることもあるまい。サ連は、人工衛星の可能性については示唆したが、非公式な噂話に留まっている。
体面をきにする彼らのことだ。あと一年やそこらで実現するのであれば、国家として見逃すはずがないだろう」
――だめね。
ヤスミンカは胸の中でうめく。
合衆国の科学者の見解は、サ連の情報を鵜呑みにしすぎているのだ。
サ連の科学者たちは、極めて正確なことしか口にしないという思い込みが、彼らの目を曇らせてしまっていたのである。
サ連の科学者は、失敗で国の体面を傷つけ更迭されることを恐れている、という噂がある。
その噂は、数年前までは、確固たる現実である。国際交流の場に何度も顔を覗かせていた重鎮の学者が、途端に姿を表さなくなった。
それを機に、何人もの顔見知りや友人が、音信不通となり、サ連の科学者の口調が重くなる。
彼の国の科学は死んだのだ。そう結論付けざるを得ないほどに、彼らの発表する論文の質が落ちていく。
そんな歴史を知っているからこそ、合衆国の科学者は、楽観的でかつ、現実が見えなかった。
加えて、この場にいるヤスミンカ以外の人間は、ヴェルナーという努力の天才を知らない。人間には、知らない事を想像することは出来ず、従って彼らにとってサ連の科学者とは、いつも両手を縛られている哀れな存在にすぎないのだ。
状況を正確に読み取れているヤスミンカは、彼女にしては驚異的な忍耐を発揮し、激情する自分を押し留める。
咳払いで怒りを誤魔化し、海軍のエンジニアに問うた。
「弾頭の耐熱構造には何を使いますか?」
「熱貯槽が最適だと考えています」海軍の開発担当が答える。
「では、素材はベリリウムを?」
「まだ決定事項ではありませんが、そうなるでしょうね」
「いまの言葉で確信しました。ヴァンガード計画は、失敗するでしょう。わたしたちが辿ってきた道と、全く同じ道の途上にいるからです」
「どういう意味だね?」海軍の官僚が眉をひそめていった。
「弾頭の再突入に不可欠な断熱材料について、さほどの知見をお持ちではない確証が取れてしまったので」
「いまは打ち上げる話をしているでは?」
「わたしが申し上げていることは、強力なロケットによってものを打ち上げられなければ実測し得ない知見について、述べているのです」
一口に断熱という言葉といっても、およそ四つの手法に切り分けられる。
輻射、蒸発冷却、熱貯槽、気化冷却。この四つが複合的に影響しあい、耐熱性が評価される。
このうち、輻射は極端な高温下では適さず、蒸発冷却は気液を境界層に流し込む機構が必要なため、採用できない。
そのため、熱を溜め込み、内部に熱を浸透させない熱貯槽か、昇華、融解、蒸発に熱を変換することで、表面から徐々に体積を減らしつつも熱の浸透を食い止める気化冷却という選択になる。
問題は、どうやって評価するか。
また、どの材料を選定するか、である。
高温環境下では、いかなる物体であろうとも、無限に長い期間にわたって構造を維持することが困難だ。
従って、これらの問題の解決には、古典的構造解析には存在しなかった、および時間がパラメータになってくる。
言い換えると、耐熱性を評価するには、先人たちが何ら興味をもたなかった熱力学、金属工学および、状態遷移を吟味した物理学に、時間依存のパラメータを追加するという、一大分野を築かなければならない、ということになる。
なにもない、荒野のなかで、道を見つけなければならない。
単一材料でなし得るはずがないという結論に至るまでに、乗り越えなければならない障害を乗り越えていないのだ。
ヤスミンカは、問う。
海軍さんは、この問題に正面から取り組んでいますか、と。
答えはすでにきまっている。課題として議題にあがっていないのだから。
いや、人的資源が足りず、耐熱が非常に重要かつ困難な課題であることに、いまだ気づいていない。
だからこそ、ベリリウムという単一材料でお茶を濁しているのだ。
ヤスミンカの質問は、打ち上げの次の段階である。
彼女は婉曲に次の知見を問うことで、海軍にロケットの打ち上げに必要な知見を全て解決しきっていないことを克明に示したのである。
そして、彼女は言外にいうのだ。
わたしたちの準備は完璧です、と。
「つまり、何かね。君は既に、衛星を打ち上げたことがあるとでもいいたいのかね」
「まさか、ご冗談を。わたしの潔白は、証明されていると思っていましたが。なにせ、国防総省が証人なんですから」
ヤスミンカは目を細めて唇を笑み形にゆがませる。
その場の誰もが笑みを浮かべたヤスミンカに威圧されたように目を逸らした。
この場を支配しているのは、間違いなくヤスミンカだった。
だた、彼女は知る。政治の力を借りても、ここが限界だということに。
技術的に決定的に劣っていると示してみせても、なお首を縦に振らない。
この事実は、彼女には理解できぬ力学に従ってもたらされた、揺るがぬ結論だと示している。
黒い鉤十字の経歴か。
血筋への嫉妬か。
性別による偏見か。
麗しい乙女にしか見えない年齢か。
あるいは、その全てか。
いくら威圧しようとも、彼らが結託してSY計画を拒絶する限り、自分たちは二番手のまま。この事実は変わらない。
しかも、期限が切られていない以上、二番手に手順が回ってくることは、永遠にない。
――まだ、規定路線なのね。
ヤスミンカは、深く痛感する。
――ならば、こちらとしてもカードを切らざるを得ない。
ヤスミンカは薄く笑っていう。
「皆さん。腹の探り合いはやめませんか?
あなた方の心配は理解しているつもりです。思いも寄らぬ人工衛星が軌道に投入されることを危惧している。そうでしょう?」
ヤスミンカは確信していた。
平和会議や技術講演会で垣間見える開発状況。
サ連の曖昧な言動。
向こう側で敏腕を振るうヴェルナーの実力。
それらを総合的に評価するならば。
そして、合衆国が世界に先んじて、いいや、自分がヴェルナーに先んじてロケットを打ち上げるとするならば。
彼女にしか見えていない景色。薄いヴェールの向こう側。
宇宙を目指す自分たちの情熱。
それらが、はっきりと告げる。狂気にも似た感情が、身体を震わせるのだ。
今を逃してはならない、と。
ヤスミンカは、わずかに唇を舐めた。彼女の大きな瞳が、いっそうの輝きをました。
そして、彼女は低く笑い、注目するメンバーに対し告げる。
迷いのない口調で。
「わたしのSYシリーズを提供します。わたしのロケットを、バンガードの名前で、打ち上げさせてください」




