5-1-1 自由への羽ばたき
世界は、腐り切っている。
それは、何もこの世界線に限った話じゃないんだ。
別地球、或いは未だ認識できていない無数の世界線に於いても同様だ。
人間は、解き放たれなければならない。
人間は、自由でなければならない。
人間は、解き放たれなければならない。
今こそ、見えない『首輪』を引き千切り、天壌に架かる別地球のその先へ。
遠く、何処までも遠く、思索の理想郷を目指して。
俺に続け。
嗚呼――『次元上昇 / Ascension』の時来たれり。
*
第五章 被支配世界のアセンション
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現在の勢力図
現代魔術聯盟は既存の中東戦線をベースに、乗っ取った国々から他国へ宣戦布告。麻疹のように驚くべき速度でその版図を広げている。
蕃神信仰は斜陽にあり。現代魔術聯盟とMCG機関の双方から支配圏を削られ、その版図は縮小の一途を辿っている。だが、これは思惑通りだ。
MCG機関 (+一部近衛)は蕃神信仰への対応に精一杯で、現代魔術聯盟への対応を決めかねていた所を背後から突かれた形。現在、状況確認にてんてこ舞いである。
日本は、現代魔術聯盟の傀儡国となった中華人民共和国より宣戦布告を受けていた。直接的な被害が出るのはもう少し後にはなるだろう。暫くは日本海と、朝鮮半島で食い止められる見込みがあった。韓国も、北朝鮮から宣戦布告を受けていた。
しかし、その見込みは尋常の戦争を想定した場合であり、問題は間違いなくこれは尋常の戦争にはならないという事である。
MCG日本支部では、機関内外の要人による議論が紛糾していた。徹底抗戦を支持する者、講和・降伏を願う者、逃げした別地球α勢力を差し出さんとその行方を追うべきと提言する者、どの言い分にも一理あった。
けれども、誰も自身を持っていなかった。こん状況下での『正解』など分かるわけがない。だが、答えは出さなければならない。しかし、易きに流れてもいけない。
侃々諤々の末、結局は天海祈の鶴の一声で大筋が決まる。
「米軍と共同し、朝鮮半島での戦闘を引き延ばす。そして、相手の出方をうかがいつつ講和・降伏を試みる。真っ向から対抗した場合、恐らく我々は敵の工作により内部から瓦解して負けるだろう。敗北の代償として、無辜の民が蒙る被害は、我々の想定を遥かに超えるものになる。それ故、徹底抗戦は避けての講和・降伏の道しかない。向こうの言い分では、別地球αとの関係が原因とのことだ。ならば、切ればいい。もはや、その大半が離脱した後だ。向こうの方から先にMCGを切ってくれたのだから、今更躊躇う理由もない」
しかし、これにも僅かながら反論があった。それは『仮に講和・降伏がなされたとして、現代魔術聯盟からどんな悪条件を押し付けられるか分からない』というもっともらしい懸念だった。
別地球αの掃討の為にMCG機関を掌握せんとするのではないか、結局、被害を蒙る羽目になるのではないか、何らかの対策はあるのか……。
これらの意見に対し、天海祈は以下のように弁を弄した。
「講和・降伏は表向きの話だ。工作は我々のオハコでもある。本当の戦争は水面下にて無辜の民と関係なく行われるのだ。――全て、我々MCG機関に任せておくがいい」
蛇の道は蛇。日本に於いて、現代魔術聯盟への対応は天海祈率いるMCG機関に一任された。
*
「大丈夫です」
神辺梵天王の慈愛に満ちた声音が医務室の廊下に響き渡る。
「自分の気持ちを素直に伝えれば、きっと受け入れてもらえます」
「で、でも……」
勇気づけようと思って放った言葉だったが、それでは望月要人の不安を拭い切れず、彼女はもじもじと医務室の壁をいじり始めた。
「はあ、これは重症ですね……」
ため息を吐くと、廊下の角の向こうからパタパタとスリッパをはいた足音が迫ってきた。
「――ホラ、来ましたよ!」
元とはいえ彼女らは親友同士、直接会えば何とかなるだろうと考えた神辺梵天王は、有無を言わせず、縮こまる望月要人の背中をドンと押した。
つんのめって廊下の角から飛び出す望月要人は、その先に居た検査着姿の井手下椛と鉢合わせ気味に対面し、一瞬硬直した後、堪らず飛びついた。
「――椛! 生きててよかったぁ!」
「か、要人……!? どうして、ここに……!」
突然の思わぬ再会に驚くしかない井手下椛。一昨日、東京のド真ん中に放り出された井手下椛を含む彼ら研究員は、騒ぎを聞きつけたMCGに保護され、最低限の調書を取った後は、医務室にてメンタルケアを受けながら検査入院をする事になっていた。今は、その最後の検査が終わったところである。
井手下椛の心中がグルグルと掻き乱される。過去に犯してしまった過ちの数々や、離れ離れになる前、アジトの地下で望月要人に対して吐き出した言葉が次々と蘇ってくる。すぐにはそれらの整理が付かず、どう対応したものかとさんざ迷った末――井手下椛は優しく抱き返す選択を取った。咽び泣く望月要人の背中に腕を回し、ギュッと抱く。井手下椛は、蕃神信仰に誘拐された時の望月要人の必死な顔を思い出していた。
「ごめん……ごめんね、要人」
そして、無意識に謝罪を口走った。
今度は、望月要人が驚く番だった。涙も鼻水を乱暴に拭って顔を上げる。
「あ、謝るのはこっちの方だよ! ……ごめん、椛の事をよく考えもせず、勝手に暴走して……あの時は、私がどうかしてたよ」
「ううん……」
井手下椛は首を横に振る。
「そもそも、私が好奇心で作ったクスリを放置しといたのが原因なんだから……」
「いやいや、私がそれをジュースなんかと間違えて勝手に飲んだりしたから……」
二人はそれぞれ自分の落ち度を主張し、どれだけ自分が悪いかとしつこく言い合った末、同時にふっと笑った。馬鹿馬鹿しい。何を言い合っているのだろうか。気が付けば、二人の間にあった蟠りはすっかり消えてなくなっていた。
望月要人は、文字通り背中を押してくれた神辺梵天王に一言お礼を言おうと振り向いたが、既に彼女の姿は何処にもなかった。きっと、問題なく仲直りができることなんて彼女にはお見通しだったのだろう。
望月要人は様々な感情がごっちゃになって、再びこみ上げてきた涙を指の腹で拭う。
「ありがとう……ございます。梵天王さん……」
「え、ブラフマーさん? 誰のこと?」
「……こっちの話! ね、どっかに座ろっ。話したい事がいっぱいあるの」
二人は医務室廊下のベンチに腰掛け、心ゆくまで談笑を楽しんだ。
これまでの話、交渉部の話、研究部の話、昔の思い出話……そして、蕃神信仰での話。
「誘拐された時は心配したよ……。あの時、民家の消火を優先した事をスッゴク後悔した。でも、無事に戻ってきてくれて本当に良かった……四藏サンにも、やっぱり最低限の良心は残ってたんだ……」
「四藏さんって……あのリーダーみたいな薄気味悪い人の事?」
「薄気味悪い……そうかも。……何かされたの?」
「ううん、何も。資料について聞かれたぐらいで……後は精々、この指先にちょんって【短剣】の刃を当てられたぐらい。それも、もう傷口が識別できないほど治っちゃったし。さっきまで検査してもらってたけど、肉体にも精神にも記憶にも異常なしだって」
そう言って井手下椛が差し出した人差し指を、望月要人はじっと観察してみる。嘘ではないようで、確かに傷らしきものすら一つも見つけられなかった。
「ねえ、その資料ってのは何? 四藏サンは、それが目的で研究部を襲撃したのかなぁ?」
「それが分かんないの……連れ去られた中には研究部のエライ人も沢山いたけど、誰も資料の存在を知らなかった。資料が目的だったのは間違いないと思う。行動に迷いがなかったし、見つけて喜んでた。私たちを連れ去ったのも、交渉材料にしたかったからとかじゃなくて、要人たちが来たからってのが大きいみたい。本当はその場で尋問まで済ませるつもりだった、危険にさらして申し訳ない、って四藏匡人――と思しき人ね――から謝られたよ」
井手下椛の話を聞くに連れ、研究部襲撃以降に望月要人が抱いていた四藏匡人への怒りはだいぶ沈静化した。その隙間を埋めるようにして代わりに生まれてきたのは疑問である。
彼は何をしようとしているのか。持ち出した『資料』とは?
分からない……望月要人は歯噛みした。恐らく、彼と自分では見ている世界が丸きり違うのだ。自分に取って大切なものが、彼に取っては塵芥に過ぎないのだ。
日常生活に於いても直面しがちな他人との価値観の差。しかし、通常に起こりうるそれとは次元の違うレベルの差異を感じていた。
どれだけ親身になって考えようと理解できない。意味もなく、そんな大それた事をする訳がないと信頼しているからこそ、余計に理解できない。
――四藏サン、貴方は何を見てるの?
それは『正義』……なんだよ、ね……?
それからも、二人は暫く雑談に興じていたが、やがては天海の分体がいつまでも仕事に来ない望月要人を呼びにやってきた事で終わりをむかえた。二人は、最後に連絡先だけはしっかりと交換してから、それぞれ廊下の逆方向へ別れた。
*
東京支部/交渉部は、四藏匡人率いる蕃神信仰の研究部襲撃に際し、防衛に失敗したばかりか、襲撃者たちの大半を取り逃した。
とはいえ、REDゆえ、それを気に病むようなメンタリティではない。良くも悪くも自分という存在の限度を知っている。
昨日の今日で近衛が離脱したと聞いた時も、「ああ、そうか」と思っただけだ。
けれども、ただ一人……六道鴉の様子だけが妙におかしかった。黙りこくっているのは何時ものことだが、その表情が違う。仮面のような無表情ではなく、どこか思いつめたような……加えて、時折、そこはかとなく焦燥に駆られたような情感を呈し、大きく身を震わせる。
明らかに精神か肉体に異常をきたしている。が、現在部屋に居合わせている岸刃蔵、香椎康は両名ともに「触らぬ神に祟りなし」と、かかずりあいになることを全力で避けていた。完全に六道鴉の普段の行いの所為である。
昼休みが終わってから十分ほど経って、医務室に行っていた神辺梵天王と望月要人が戻ってくる。と、唐突に天海祈の分体が現れた。
「全員揃ったな。では、今後の展開について話そう」
話は、近衛の大多数がMCG機関を捨てどこかへ消えたことだった。
MCG側は、恐らくこれには蕃神信仰が関わっているだろうと当たりをつけた。衰退しつつある中、新たに現代魔術聯盟なる勢力も登場し、互いに行き場所のないもの同士が土壇場で手を取ったのだろう、と。この推測は半分あたっている。実際は、現代魔術聯盟とも手を取り合っている。
研究部で囚えた蕃神信仰の元・信者二名――ミュウㇱアとレイキㇻからも、この予想の裏付けが取れている。(なお、彼等は『四番目の解』というものが蕃神信仰の目的であるとは認識していたようだが、肝心要のその内容については知らされていなかった。予定では作戦後に伝達される筈だったらしい。情報漏洩を警戒しての事だろう)
目下、MCG機関は、蕃神・近衛の敵対連合を潰さんと一計を案じた。破竹の勢いで版図を広げる現代魔術聯盟に対抗すべく、一挙に後顧の憂いを断つ腹づもりだった。
「作戦名――『籠の鳥作戦』(Operation Caged Bird:OCB)。MCGの通常業務を停止し、全戦力を以て残存する蕃神信仰の支配下地域を奪還する。日本は中華人民共和国から宣戦布告を受けている為、軍隊は動かさず主に貴様らREDを出すことになった」
この作戦は、これまでは通常業務を優先して遊ばせていた戦力をも惜しみなく投入し、一日で大方のケリをつけてしまおうという作戦である。
交渉部の面々は、タブレットに配布された『籠の鳥作戦』の内容に目を通す。皆、戦わされる事に強い不満を持ってはいたが、「天海相手に何を言っても仕方ない」という学習性無力感にも似た諦観から、渋々ながら協力の姿勢を見せる。様子のおかしい六道鴉も、形だけはそうしていた。しかし、中身は伴っていないことは誰の目にも明らかだ。
これは、ほつれ……『首輪』にほつれが生じている。それを感づいていながら、天海祈の分体もまた六道鴉の異変を看過した。
「『籠の鳥作戦』は二段階で構成される。一、奇襲攻勢。二、討滅攻勢。明日の日本時間一一〇〇に行動開始。職員の穴埋め人員が用意できていない事を理由に奪還を後回しにしていた、アメリカ大陸、東南アジア、 中部・東・南部アフリカに残存する蕃神信仰の支配下地域を奪還する。この時、我々日本支部は四つの班を編成し、マダガスカル島の支部ビルを一つ担当する。お前らに別支部のREDを一名加えて第一班とする予定だ。その後、残った北西アフリカに蕃神信仰の残党勢力を集中させ、これを討滅する流れだが、ここにお前らの出る幕はない。基本的には、な。後詰めの戦力という訳だ」
ここまでで、何か質問は? と尋ね、予定調和的に誰も口を開かないことを確認してから、天海の分体は『籠の鳥作戦』に於ける詳細な動きを一方的に垂れ流し始めた。
*
深夜、REDの誰もが寝静まる東京支部の廊下を歩くものがいた。
「――私はどこから来たの?」
ふらふら、と……右へ左へ揺れながら、ひどく憔悴した様子の六道鴉は、消灯された薄暗い十五階の廊下を彷徨い歩く。
「何者なの?」
問えども、答えは返らず。
「どこへ行くの?」
その歩みは止まることなく、いつまでも続く。廊下の端にまで行き着けば、暫く立ち止まった後、緩慢に踵を返して再び歩みを再開する。
ああ、無意味だ。
この行為には何の意味もない。後に残るは徒労の感のみ。
それでも……それでも、六道鴉は歩みを続けなければならなかった。
一度でも止まってしまえば、彼女は……人は、死んでしまうから。
目的地が分からなくとも、何の目印も指針もなくとも、歩き続けなければならなかった。
「どこから来て、どこへ行く……私はだれ? なに?」
一つ、言える事は……地に足つかず、ただ空を足掻くばかりの両脚では、けして何処へも辿り着けないという事。
その残酷な事実を漠然と理解しながら、彼女はただ生存本能の赴くままに歩く。
生きたい。
生きたい。
生きたい。
……何のために?
「何のために? 生きて……ただ、生きてどうするの? 生きて、老いて、土に帰って……それでお終いなの……?」
徐々に足が鈍り、やがて止まる。
歩みは、彼女の脳内に引き継がれていた。
不思議な事に、事ここに至って、クローンとして産み落とされた時に埋め込まれた知識と、これまでに歩んできた三年いくらの人生で得た知識とが、急に結びつきを始めていた。
今までは、これほどまでに明瞭な思索を続けることは出来なかった。胸に四藏匡人の【短剣】を深々と突き刺されて以降、なぜだか妙に思索の調子が良い。
一度も脳内に霞がかる事がないなんて……!
ほのかに熱の残る胸元をおさえる。
「――いやだ」
漫然と生きた先に何があるというのか。ただ、生きながらえて、老いさらばえて、何も残すことなく土に帰する。そんな無為極まる人生を想うと、やはりまっぴらごめんこうむるとの思いがした。
「そんなのはいや」
証を立てなくてはならない。六道鴉という人間が確かに生きた証を、この第三次元宇宙に刻み込まなければならない。
「『首輪』は――もうない!」
突如、弾かれたように身を包むセーラー服を勢いよく脱ぎ去り、首に掛けていた認識票も力任せに引き千切る。
《NO.fa81+6 淡墨皐月》
かつて、識別の為だけに刻み込まれた文言を一顧だにせず、それら全てを一緒くたに廊下のゴミ箱へと叩き込んだ。
下着だけになった全身を、服の代わりに冷えた空気と解放感が包む。実に、実に清々しい気分だった。六道鴉は普段以上に身軽な動作で踵を返し、とある方向へ歩き出す。指針を定めた歩調に迷いはなく、先程よりも格段に軽やかだった。
「これは、私のものがたりなんだ」




