1-3-3 レディ・バグ / 蟲喰 その2
《b31b-JP-823》
レベル5資料
氏名:鹿刎番
性別:女
年齢:14
住居:Q-230地区周辺
上野ダム職員、周辺山麓に臨む登山客から目撃証言あり
階位:V /Ε
備考1:天海祈
一週間前、MCGは交渉隊全六名を派遣したが、一名死亡、二名重傷、三名行方不明、と惨憺たる結果に終わった。これを受けてMCGは政府に勧告し、上野ダムの一般公開停止、周辺山麓への入山禁止処置を取った。
*
灰崎炎燿と四藏匡人の二人に「新人研修」を通達し終えた天海の分体は、話の合間にこっそり逃げ出そうと画策していた六道鴉を危なげなく確保し、十一階廊下を突き進んでいた。
当初、手と手を繋いだ彼女らは横並びに歩いていたが、歩幅の差か、ズンズンと先をゆく天海に六道は度々ひっぱられてつんのめってしまう。それがあまりに幾度にも渡って繰り返されるので、いい加減うんざりしてきた六道は、彼女なりに最大限下手に出て改善を要求した。
「祈、逃げないから手をはなして」
「ダメだ」
しかし、天海は、にべなく切り捨てる。その言い切り方に取り付く島はないと見た六道は、抵抗を諦めて引き摺られるままに身を任せた。
すれ違うMCG職員に対してだけは妙にニコヤカな天海に連れられ、六道が辿り着いたのは交渉部の部屋に続く廊下だった。この汚い廊下にまで来れば、そうそう誰かに話を聞かれる心配は無い、そう思った六道は、先程から掴みかねていた天海の意図を尋ねる事にした。
「これから何するの?」
「お前には、やる気のない香椎康の尻を叩いてきてもらう。“予定”からだいぶ遅れてしまっているからな」
「……じじいも一緒に?」
六道の口から出たじじい――岸刃蔵の名を、天海は首肯する。
「そうだ。良く、分かったな」
「わざわざココまで来てるから」
「ふん……話が早くて助かる」
天海は心底からそう思いながら、重い扉を押し開いた。
*
調査三日目の今日は、一、二日目の調査結果を鑑みて、現地Q-230地区に来ている。目的は、農家の方への聞き込みと農作物の調査だ。その辺りに『鹿刎番』へ繋がる有益な情報があると俺達は見込んでいる。
Q-230地区は、山間に流れる神流川流域に沿って点々と農家があるだけの田舎村なので、調査対象には事欠かない。
三軒目に尋ねたのは、比較的新参のイチゴ農家だった。ビニールハウスでの栽培という事で、裸で栽培していた他とは少し違った結果が期待できるかもしれない。そんな風に予想しながら、俺は灰崎さんとわかれて、ビニールハウスの内外を調べ始めた。俺は外を担当した。
「匡人~、ちょっとこっちに来てくれ~」
「ん……はーい、今行きまーす」
しかし、調査も触りだけ終わった所で、すぐに中から呼ばれてしまった。こちらは満足に調査できたとは言い難いが、灰崎さんは何か目ぼしい成果でも見付けたのだろうか。中に入ると、灰崎さんは何やら俺に手招きする。そして「すごいぜ?」と。いたずらっ子の様な子供っぽいその表情に不審を抱きながらも歩み寄った俺は、示された葉の裏を覗き込み――思わず仰け反った。
「うわっ!」
「だろ?」
「凄い事になってますね……ビニールハウスの中なのに……」
めくられたイチゴの葉裏と茎は、大量の虫によって埋め尽くされていた。不快感をあらわに、俺は無言でジェスチャーを送る。かくしてくれ! と、その意思表示が伝わったのかどうか知らないが、とにかく蠢く虫達は葉に遮られた。
その時、俺達の騒がしさに引き寄せられてか、後方から農家のお爺さんがゆっくりとやって来た。
「ヒドイもんだろ? そのアブラムシ。農薬をまくとその瞬間だけは居なくなるんだが、まぁ見ての通り。よく『虫も食わないモンは食いたかない』とは言うがね、全部食われちまったら商売あがったりだ」
パイプを吹かしてボヤくお爺さんに、灰崎さんが畏まって応対する。一応新人研修という事で、俺は後ろに下がって迷惑を掛けないように存在感を消した。
「あの、お聞きしたいのですが、農薬の散布はどれ位の頻度で……?」
「一日一回」
「結構……まいてますね」
「まぁな」
農薬に関しては、農家を三軒ほど回っただけの生かじりの知識しか持ち合わせていないが、普段はそんな頻度で撒かないと聞く。最近は消費者の農薬嫌いもあって、収穫までに数回ほど撒くだけ。効能はそれで十分らしいのだ。今という状況の異常性が、ここからも見て取れる。
それにしても、灰崎さんの丁寧な物腰と振る舞いは既に何度も見ているのだが、未だに見慣れない。そのたるみなく、カッチリと着たダサイMCG制服も含めて。
「兄ちゃんたちは、農林水産省から来た『なんとかかんとか官』っていう役人さんなんだろ? どうにかならんかね?」
「……大量発生の原因も分からないのが現状です。対策などはとても……」
「ほぉそうかい。気温の所為かねぇ……」
口振りからして、最初から解決など期待していなかったのだろう。どこか達観した様子のお爺さんに礼と別れを告げて、俺達はビニールハウスを後にした。
入口のビニールを取っ払うと、田舎特有の馬鹿に青々とした空気が俺達を包み込む。俺は、この空気があまり好きではなかった。都会っ子の性というよりは、きっと人波に紛れて生きてきたスリ師の性だろう。
俺は、灰崎さんに先んじて、逃げるようにレンタカーの助手席へと乗り込んだ。追って、ゆっくりと運転席に乗り込んで来た灰崎さんが、これまたゆっくりとキーを回す。尻の下から響くエンジンの振動を感じながら、俺は灰崎さんに話しかけた。
「灰崎さん、次は何処へ?」
「んー、聞いて回るのはもう十分だろうしよ。決めてねぇ、どうすっかな――っと、おい、匡人、あれ見てみろよ」
「どれですか?」
灰崎さんの太い指が示したのは、ちょうど灰崎さんの厚い身体とレンタカーの細いフロントピラーに遮られている先だった。仕方なく、重い体を持ち上げて身を乗り出すと、さみしげに直立する、ほっそりとした棒の様な何かが見えた。
「あの“桜”の木だよ」
「桜……?」
疑問符の付いた返事をしてしまったのも、無理はないと思う。その棒の様な何かは、桜というには華が欠けていたし、木というにはあまりにも歪すぎた。葉もなく、花もなく、唯、重力に抵抗しきれなかった禿げた細枝が垂れ下がっているだけで、幹に至っては変色した樹液がアチコチから染み出して固まっており、その表皮は醜いデコボコだらけなのである。
詰まる所、パーツが足りな過ぎていたのだ。
灰崎さんがアクセルを軽く踏み込み、レンタカーをゆるゆると桜へ近付けた。
「桜……の筈だぜ。あの爺さんが確かそう言ってた。しかし、葉がないのは芋虫とかだとして、幹のこれは何だ?」
レンタカーを桜に横付けした灰崎さんは、手帳型ケースに入った私物の携帯を取り出して、液晶画面をいじる。そして「おっ」と短い感動詞を漏らした後、俺に携帯を手渡してきた。
「たぶん、それじゃね。『コスカシバ』」
「っぽいですね」
画面に表示された文字列には『コスカシバの発生時期は五月から九月にかけて』と書いてある。日付をあまり意識しなくていい仕事だが、今月が五月だという事に関しては自信を持てる。時期的な矛盾はなく、記された『食害によって樹液の様な物が樹皮に溢れ出る』という特徴も一致している。
その時――不意に、バリッ、という音が頭上から響いた。何の音かと目を向ければ、そこには桜の幹を素手で掘り返す灰崎さんの姿があった。何をしているんだ? 全身がカァっと熱くなる。
「ちょ、灰崎さん!?」
「お、出てきたぞ。幼虫だ」
俺の抗議も意に介さず、灰崎さんは幼虫を投げ寄越してきた。はからずも受け取ってしまった俺は、渋々、その幼虫を観察してみるが、見た目がカブトムシやクワガタの幼虫より細い事以外の違いはよくわからない。専門家なら見分けもつくのだろうか? 何の感想も、収穫もないまま灰崎さんに幼虫を返すと、灰崎さんは幼虫を見もせず車外に投げ捨てた。
「皮の下にメチャクチャいた。その幼虫」
「……お爺さんに怒られますよ」
呆れ気味にそう言うと、灰崎さんは堂々と開き直った。
「既に死にかけなんだから良いだろ、別に。しっかしよぉ、役所では『今年から農作物の被害が増えた』って聞いてたが、もしかすると大量発生は去年辺りから始まってたのかもしんねぇな」
「どうしてそう思ったんです?」
自分で考える前に反射的に尋ねる。すると、灰崎さんは俺の手から携帯を回収しつつ答えてくれた。
「幼虫が沢山いるって状況は、成虫が沢山いなきゃ成り立たねぇだろ? コスカシバの産卵時期は五月から十月。今は五月のドタマなのにあれだけ居るんだから、去年の内から繁殖してたんだろうよ。鹿刎番が、虫を生産する能力者じゃなければな」
「なるほど……」
会話も一区切り、アクセルが強く踏み込まれ、ブオーンとちょっぴり古めかしいエンジン音が車内に響く。俺は、擦り切れたタイヤが土に塗れた農道のアスファルト上を廻転する様を想像しながら、窓の外に流れてゆく木と草と偶に農家とを眺めた。
「今日の所は宿の方に戻るとするか。んで、そっから遊びにでも行こうぜ」
「じゃあ、明日に上野ダムへ?」
「そう!」
方針も定まると車内には沈黙が訪れた。かつては有った話題も、三日の間に尽きてしまった。しかし、俺も灰崎さんも沈黙を苦にするタイプではなかったのが幸いし、それほど気まずくは感じない。
宿を取った街までの道のりを、半分ほど走り通した時だった。灰崎さんの携帯が僅かに震え、同時にカバンの中の俺のタブレット(二代目)が「ポン」と短い電子音を鳴らした。この短く跳ねる様な音は、確か機関内専用メールの着信音だった筈だ。あまり鳴らないので自信がないが。
「……ん、機関内メールか?」
「……みたいですね」
レンタカーが緩やかに速度を落としてゆき、交通量の少ない農道の端っこに停車する。俺はタブレットを、灰崎さんは携帯をそれぞれ取り出して、送られてきた機関内メールを確認した。
《無題 送り元:事務二課》
Q-230地区に鹿刎姓の家庭は存在しない。
但し、隣接するQ-223地区には一戸のみ存在する。
住所は “群馬県高崎市吉井町吉井 xx 幸せ荘 1E”
C30年5月1日、群馬県警高崎署に鹿刎番の名で捜索願が提出されている。
相変わらずの簡素で愛想のない文章である。きっと、MCG機関内ではそういうのが尊ばれるのだろう。文章から目を上げると、灰崎さんは既にこの短文に目を通し終えていて、携帯も仕舞ってアクセルペダルを軽く踏み始めていた。
「匡人よぉ、タブレットの操作ぐらいは出来るようになったのか?」
「分かります?」
「手付きに迷いが無かったからな」
「入院中、看護師さん達に教えてもらったんです。まだ、出来ないことの方が多いですけど、機関内メールの確認ぐらいは」
応えながら、タブレットをカバンに仕舞う。
タブレットにごちゃごちゃと入っているアプリに関しては追々理解するとして、人事ファイルの閲覧ぐらいはできる様になっておきたいと思っている。だが、メニューのデザインが妙に煩雑で、気分的に難航している。
「匡人、携帯も持つか?」
誰も居ない赤信号でレンタカーを停車させた灰崎さんが、不意にそう言ってきた。
「携帯? 灰崎さんの私物みたいな奴ですか?」
「ああ、タブレットってデカくて扱いづらいだろ? 今は規約が変わってREDはMCG製のヤツしか持てないが、事務に言えばポンとくれるぜ。交渉部の他の奴等も、神辺以外は全員もってる」
やっぱり、神辺さんはアレなんだ。
まあ、それは置いておくとして、携帯か……持っていた方がいいのだろうか。持ち歩くのに邪魔ではあるのだ、タブレットは。その為のカバンなのだろうが、それ等のデザインが現地で駆けずり回るRED向きではないとは薄々感じていた。多分、元々はYELLOWとかBLUE用の支給品なのだろう。
身軽に動けるようにしても、良いのかもしれない。
レンタカーを再発進させながら、灰崎さんは更に切り出して来た。
「俺が申請しといてやろうか? 権限あるし、一応はリーダーの肩書だからな」
「うーん……この新人研修が終わったら、お願いしてもいいですか?」
「おう」
ちょっと考えて、無碍にする意味も見付けられなかったので、好意に甘える事にした。何故だか分からないが、俺はそういう電子機器に対して変に忌避感を持っているし、こういう機会でもなければ一生手にする事はないだろうから。
この忌避感とやらが全くの謎で、害虫が散布された忌避剤をキレイに避けて歩くみたいな感じで自然と避けてしまう。別に機械音痴だとか、そういう時代錯誤なタチではなかった筈だが……。
車内には再びの沈黙が訪れるが、今度は灰崎さんのため息によってすぐに切り裂かれた。
「しっかし、帰還した奴らからの情報は無し……か、マジで一切の言及がねぇし、天海に止められたか? ま、ダメで元々、ちょっとでも情報が得られて良かったと思うかな……」
「あ、これって灰崎さんが頼んでたんですか? てっきり、天海の好意かと」
「天海がそんな事するタマかよ。送信元を見てみろ。事務二課ってあるだろ?」
事務員に調べてもらう……神辺さんが足で稼ぐ営業マンの様な仕事ぶりだったから、そういう発想が抜け落ちていた。一度、仕舞ったタブレットを取り出して、再度、件の機関内メールを表示させてみると、確かに送信元は《事務二課》とあった。俺は、その中段に記された住所が目にとまったので、何となく読み上げた。
「高崎市吉井町……どんな所なんでしょう?」
「さぁな。だが、此処より田舎って事は無いだろうぜ」
「言えてますね」
少なくとも、人が住む所ではあるのだろう。
タブレットをカバンにしまっていると、灰崎さんが溌剌と発した。
「予定は変更。明日はこの住所に行こうと思う。その結果如何に関わらず、明後日に上野ダム周辺の捜索って感じでどうだ?」
「異議なしです」
「んじゃ、今日は遊びにでも行くか!」
果たして、俺が頷くのを灰崎さんは見たのか、見ていないのか。法定速度を遥かに越えているのではないかと心配してしまう加速で、レンタカーは農道を駆け抜けた。
*
何だかんだ、喧騒が耐えなかった昨日とは一変、車内には、ただひたすらに重苦しい雰囲気が立ち込めていた。運転席を限界まで後ろに倒した灰崎さんが、「うあー」とだらしなく唸る。
「昨日は楽しかったなぁ……色んなトコ行ってよぉ、草津の温泉は良かったなぁ。ノリでホテル変えて正解だったよなぁ……?」
「……」
「……」
もはや何度目になるのかも分からない灰崎さんの言葉に、俺はとうとう返事をするのを止めた。先輩だとか、上司だとか、そういうのを抜きにしても無礼にあたる行為かもしれないが、今回ばかりは許して欲しいものだ。そんな俺の心情を知ってか知らずか、灰崎さんだってとやかく言って来ないのだし。
俺は、沈んでいた視線を無理やり引っ張り上げて、張り込み対象である安アパートを見遣るが、そこに変化はない。その途端に、蓄積されていた疲労という名のため息が、肺腑から噴出した。
近隣住民の話によれば、あの安アパートの一階角部屋に住む鹿刎家の面々は、夕方頃に戻ってくる事が多いらしい。だが、待てど暮らせど、かれこれ一日中待機しているというのに、一向に帰宅する気配がない。エンジンを切っても表示され続けているレンタカーのデジタル時計は、現在時刻が深夜一時二十三分四十秒である事を、嫌でも俺達に見せつけてくる。
全く! こんな時間まで何をしているんだ! 夜遊びか!? 不真面目な、ふしだらな奴らめ! ――と、適当に罵った所で別に何も始まらないが、今はとにかく苛立たしい。これが普段の仕事という私立探偵を尊敬する。半分素人の俺達に、ただ無為に過ぎゆく時間はかなり堪えた。
どうにかこの時間を潰そうと、俺は今朝方に購入しておいた週刊漫画雑誌を開くが、左から右へ勢い良く捲られてゆくページの内容は全く頭に入ってこない。それも当然だ。もう入り切っているのだから。
「なぁ……」
「……」
身を起こした灰崎さんが、ハンドルに凭れかかりながら話しかけて来る。有形無形の森羅万象に対する気力を失った俺は例の如く沈黙で返したが、先ほどとは違い灰崎さんはもう一度、今度は強く呼び掛けてきた。
「なぁ! って」
「……何ですか? 今は全てを忘れるのに忙しいです……」
「そういうなよ。しゃあねえからよ、少しは建設的な話でもしとこうぜ。昨日は遊び回ってたし。鹿刎番の能力についてとか、な?」
「能力……ですか?」
「そう!」
俺が食い付いたのを見て、灰崎さんの眠そうな目――これは普段から――に微弱なやる気の火が灯る。
能力について……か。この周辺で起こっていたあからさまな異変なんて『虫の大量発生』ぐらいだから《虫を操る能力》――ってのは安易に過ぎるのだろうか。でも、そんな感じの方向性である事は明確なので、ある程度の意思統一は為されている物と思い込んでいた。そこを詰めようという話なのか?
俺のそんな疑問を、手で制した灰崎さんは、運転席横の乱雑に物が詰め込まれたコンソールボックスを開いて中を漁り出した。
「あれ、ガム何処にやったかな……」
「あの、鹿刎番の能力についてとは、どういう意味なんですか?」
「んー、貰った情報を覚えてるか? 事務二課じゃなくて、最初に天海から貰った奴だ」
最初に天海から貰った奴だって? 当然、覚えている。力強く首肯すると、灰崎さんは続けた。
「あれに『鹿刎番の階位はV/Εだ』って書いてあっただろ?」
「はい」
「これ、不自然じゃないか?」
その言葉に、俺はハッとした。冷水を浴びせかけられた気分だ。不自然……言われてみれば、これほどまでに不自然な事もない。どうして、気付かなかったんだか。
「――お、あったあった」
ようやく発掘したガムボトルを片手に、灰崎さんが「いるか?」と聞いて来てくれたが、俺は「いりません」と断った。ガムを噛むと集中力が増すという話もあるが、個人的には気が散るだけだ。それよりも、今はこの思考を止めたくない。
「言われてみれば不自然ですね。階位だけ――能力の規模だけ分かって異能の正体が全く分からない。そんな事が果たして有り得るのでしょうか? 派遣された六人の内、重傷とはいえ二人は帰って来てますからね。“情報が正しければ”。それならば『どんな現象がおきたか』ぐらいは言えるでしょうし、言えないならそれが能力でしょう。なのにちょっとした考察、コメントすら無い。……間違いなく天海が意図的に削ってるでしょう」
「だろ? だから、天海は俺達に考えさせようとしてんじゃね? って思ってよ」
「何をです?」
「『どうやって』とか、『何が出来るか』とか?」
……『どうやって』そして『何が出来るか』……? つまり、「神辺さんの體化光で肉を焼いて食えそう」とか、そういう事を灰崎さんは聞いているのだろうか。談話の主旨はたぶん理解した俺だが、すこし考えて、思わず唸りを上げてしまった。
「う~ん……よく分からないですね。虫が大量発生してるって事ぐらいしか情報がありませんし」
「ははは! ま、それも正解かもな。可能性は狭めるべきものじゃなく、広げるべきものだからな! おっと、誰か来たぜ」
安アパートの狭い駐車場に、シルバーの型落ち高級車が頭から突っ込んでゆく。車は一切スピードを緩める事なく、明確な振り分けは無いらしい駐車場の空きスペースに停車した。肉厚のドアが乱暴に開かれる。次いで、中から転がるように降りてきたのは、懇ろの雰囲気を醸し出す男女二人組だった。
「アレが鹿刎家の面々か?」
灰崎さんの言葉を受けて、俺は夜の駐車場をフラフラと歩く二人組を良く観察した。
厳つい相貌に鼻ピアスを開けた、だらしのない格好をした男。見た目からして恐らく三十台。高身長で体躯も良い。隣人らの話によると肉体労働に従事しているらしいが、それも納得のみてくれだ。とにかく、ガタイが良い。
その男の腕に絡み付くのは、男と対象的に歳相応の落ち着いた格好をした女。男と同年代ぐらいの見た目で、中肉中背の日本人女性の平均を概算した様な外見をしている。真偽不明だが、噂によると職業は水商売らしい。
彼らは、共に髪をカーキ色に染めており、どことなく浮ついた雰囲気を纏っている。二年前に娘が行方不明になっているというのに、それが全く気に掛からないのだろうか、――いや、親子の情なんて物は案外そんな物なのかもしれない。俺に家庭を持った経験などないから断言は出来ないが。
暫く観察していると、彼らは密着しながら駐車場をフラフラと歩いて、安アパート一階の角部屋へ向かい始めた。間違いない、彼らだ。
「そう……みたいですね。情報にあった部屋に向かってます」
「話の続きは後回しだ。行くぞっ」
「はいっ」
背広を羽織りながらレンタカーを飛び出してゆく灰崎さん。少し遅れて、俺も背広を小脇に抱えて続く。
灰崎さんは、男によって開かれ、女によって閉じられつつある玄関扉の隙間に、新品の革靴を差し込んだ。
「すいませ~ん! ちょっと、お話いいですか~!」
「きゃっ、なに!?」
「な、なんだテメェラ! 警察呼ぶぞ!」
完全なる意識外から襲いかかった衝撃に女は怯む。それによって、手がドアノブから離れたので、灰崎さんは遠慮なく扉を開け放った。そしてそれを、後ろに構えていた俺が脚でしっかり固定する。
玄関内にずかずかと上がり込む灰崎さんに、廊下の奥に居た男が女を庇う様に立ち塞がって、唯でさえ厳ついその顔を殊更に激しく強張らせた。しかし、爆発寸前の風船の様に膨らんでいた男の怒気も、眼前に突き付けられた二冊の警察手帳を見るやいなや、急速に萎んでゆく。
「その必要はありません。私達が警察です」
「はっ?」
「少し、お話しても良いですかね」
粗悪な作りの警察手帳を手早く仕舞い込みながら、そう切り出した灰崎さんに対し、膨らんだ血気を即座に逸らされてしまった男女は、張り詰めた表情のまま、ただ頷くしかなかった。その顔裏には、絶えず緊張が駆け回っていると見えて、表皮には冷汗が照っている。到底、疚しい所のない一般市民の反応ではない。それが鹿刎番に関係する事なのかは分からないが、後ろ暗い奴らである事は確かだろう。落ち着かない男は、焦りの滲む声音で辿々しく言葉を紡ぎ出す。
「べ、別に、構いませんけど……ち、近くで何か犯罪でも?」
「いえ、御宅の娘さんの事でお話がありまして」
娘さん。
灰崎さんの口からその言葉が発された瞬間、男女の緊張は最高潮に達した。灰崎さんも、彼らの変化を見留めたらしく、聞き込みは段取りを幾つかすっ飛ばして、早々にアドリブパートへと突入した。
「む、娘が、どうしましたか……?」
「山中で倒れていた所を保護されましたので、そのご報告に」
「なっ、生きて――!?」
「嘘でしょ……!?」
緊張から焦燥へ、彼らの表情は更に移り変わる。
俺は、彼らが車から降りてきた時の、楽しげな、浮ついた雰囲気が引っ掛かっていたが、この反応に納得した。恐らく鹿刎番の失踪、行方不明には彼らが関わっているのだろう。そして、それは喜ばしい事なのだ。
「……現在は前橋の方に入院しています。発見時は衰弱しきっていましたが、順調に快方へ向かっていると伺っています」
彼女が少しだけ意識を取り戻した折に自分の名を名乗ったのです、と灰崎さんは付け加えた。よくもまぁ、そんなデタラメが次々と出てくる物だと感心する。
「そ、そんな……馬鹿な……」
男は岩の様な両手で顔を覆い、不確かな足取りでその場を歩き回る。その背後にいる女も、似たような感じだ。
「どうしました? 何か『生きてちゃあマズイ事情』でもお有りで?」
「え、いや、そういう訳じゃあ……」
「……時間帯もあります。近所迷惑にもなり兼ねませんから、今日のところは署までご同行願えませんか」
「ど、同行!?」
その言葉に驚いたのは彼らだけではない。段取りでは、ここで全てを済ませる手筈だった。灰崎さんは何を考えているんだ? しかし、その疑問は、チラりとこちらを振り向いた灰崎さんの力強い瞳に押しとどめられてしまった。
なおも威圧的なオーラを発して同行を求める灰崎さんに、遂に先程から黙っていた女が騒ぎ出す。
「ア、アンタ! どうすんだよ!」
「う、うるせぇ! 黙ってろ! 今、考えてんだよ!」
「このままじゃ、つ、捕まっちまうよ!」
責めるような、縋るような、そんな女の声が夜半の安アパートにキンキンと響く。それが引き金だったのだろう。男の理性は遂に臨界点を迎える。
「――うおああああああ! ウルセェェェェってんだろォ!」
ぼうぞく的な男の右拳が振り上げられ、直後、真っ直ぐに振り下ろされる。迫りくる感情的な拳に、灰崎さんは危なげなく飛び退く回避行動を選択したが、ちょうど後ろに待機していた俺にぶつかって、二人でたたらを踏んでしまう。その隙に男は両手を突き出し、灰崎さんを俺ごと強く押し退けた。
まんまと玄関から追い出されてしまった俺達の眼前で、扉が勢い良く閉められる。そして、閉じられた扉の向こうから「ガチャン」という音が響いた。恐らく、サムターンの回転音だろう。果たして、殴りかかってきた時からそうするつもりだったのか、それとも反射的な行動か、とにかく男女のどちらかが施錠を試みたと思われる。それが、全くのムダであるとも知らずに。
「アンタ何してん! 相手は警官なんだけど!」
「うっせぇ、明らかに怪しまれてんだろが! もう終わりなんだよ、バレてんだよ! 金属バットもってこい! あんなヒョロガリ二人ぐれぇぶっ殺してやる!」
「あ~! なんだってそんなに短気なの!? 前に警官を殴ってパクられた時も、ガキを殺した時も――!」
彼らの口喧嘩が、薄い壁と扉を通して外にまで聞こえてくる。これには、灰崎さんも演技をやめて呆れ顔だ。
「お~い、外まで聞こえてんぞ~。ったく、まあ、これで一応の名分は立つかな」
実力行使の体裁を整えた灰崎さんは、防音効果のあまりみられない扉を指差し、俺に振り向く。
「匡人、オメェの能力でドアノブ壊せねぇか? できねぇなら、俺がなんとかするが」
「あ、それなら――さっき取っておきましたよ、“デッドボルト”」
俺は、手中に転がるデッドボルト――施錠時に扉から飛び出る部分――を灰崎さんに見せた。これは、今さっき灰崎さんと一緒に押し出された時、行き掛けの駄賃とばかりに握り込んでおいた物だ。灰崎さんの眠そうな半目が、少しだけ見開かれる。
「へぇ、やるじゃん!」
「どうも」
「うっし、じゃあ俺も良いトコ見せねぇとな!」
行くぜ! と気炎を吐いた灰崎さんは、懐から小さなガラス瓶を取り出しつつ扉を開け放った。そして瓶の蓋を親指で弾き、透明な内容物を右掌に薄く塗布する。
施錠した筈の扉が開くという異変に先に気付いたのは、偶然こちらを向いていた女だった。女が絶句した事で、騒がしかった口喧嘩もにわかに途切れる。すると、玄関に背を向けていた男も、ようやく異変を勘付いて振り返り始めた。しかし、遅すぎた。
「なっ、テメェ――!」
男が開かれた扉と俺達の姿を捉えた瞬間には、灰崎さんは玄関の奥深くにまで踏み込んでいた。男が何かしらの反応を示す間もなく、灰崎さんの右掌が男の口元に密着する。瞬間――ジュウゥゥッ! と、まるで熱したフライパンに水分が接触したような音が掌から発され、程なく男の身体が膝からカクンと崩れ落ちた。それを見て、
「ひっ」
と、女の喉から情けなく絞り出された戦慄が表出する。灰崎さんは、懐から取り出した銃口を突き付ける事で以て、それ以上の煩わしきを黙らせた。
「お話を聞かせて頂けませんか? これ以上さわぐと心象が悪くなってしまいますよ」
ピタっと静止する銃口の先で、女はへたり込みながら、コクンと僅かに首肯した。




