4・ナツ
剣と魔法の世界。
なんの冗談だと思うようなこの世界に転移させられたらしい俺たちは、ルティアルラと名乗る女の手を借り、なんとか生き延びていた。そう、本当になんとか、生き延びたんだ。
この世界に来てすぐ、戦い方も知らない俺たちはすぐ骸骨の化け物に襲われた。混乱の中、無謀にも襲ってきた骸骨を退けようと枝で殴りつけた俺は、その身体を……骨を折った。肉のない体を殴りつけたその感触は人とは違う筈なのに、人の形をしたそれを殴った感触は手のひらを伝って腕に残り、ぞわり、と全身を恐怖が一度支配した。俺は確かに動く人型の何かの、骨を折ったのだ。
だがその恐怖は一瞬で別種のものに塗り替わる。俺が砕いた骨が、冬夜に刺さったのだ。しかも、刺さっただけならまだしもそのせいで冬夜は、死の淵を彷徨うこととなった。未だに説明されても感覚でしか理解していないが、俺たちは魔力というものに無抵抗、赤子のような状態で穢れた地に降り立ち、それだけなら短時間であれば問題なかったのだが、体内にその穢れを冬夜は受けた為、赤子に毒矢で傷をつけたようなもの、であったらしい。死にかけて当然だった。むしろ、助かったことが幸運なのではという疑問に、ルティアルラは僅かに肯定の言葉を口にしたのだ。
俺はルティアルラに感謝している。何かとぶっ飛んだあいつに振り回されてはいるが、本当に感謝しているんだ。……例え彼女が俺たちを逃がそうとこの世界唯一らしい転移魔法を起動したとき、『人間相手』に躊躇ない魔法を放っているのを俺だけが目撃していたといっても、それでも彼女の行動は俺たちの為であったことは理解しているし、否定できなかった。否定できるほど俺たちは知識がなかったのだ。彼女の行動に何らかの意味があったのは明白で、この世界はこの世界の風潮があり、俺たちの常識が通用しないのは見て明らかだったのだ。同じ日本であっても、武士に刀を持つのは銃刀法違反である、裏切り者を殺すなと説いて聞き入れられたか? という話である。だってここは俺たちの暮らした場所じゃない。法律も価値観も常識も何もかも違うこの世界で、俺は俺たちを助けてくれた人に否定的な感情を持てといわれる方が無理だった。彼女自身が最初に自分を警戒して当然だと言ったとしてもだ。
だが、いつまでも脳裏に残る、骸骨を殴ったあの感触。砕ける骨は元は人のものであったかすらわからないのに、妙にリアルに残ったのだ。それでも俺は力が欲しいと思った。あの感触を知った上で、戦い方を知りたいと思った。それは決していいことではないのかもしれないが、戦い方を知らず誰かを守ろうだなんて、もうできなかった。あんなのはもうごめんだ。だが俺の戸惑いをあのぶっ飛んだ女は見透かしたような目で見る。魔法の使い方を教えられている時も、武器に魔力を乗せる時も。
「ナツは武器を扱う方が向いていそうです。……弓とか、どうかな」
近接武器のほうが間違いなく向いていることは自覚していた。だがそれを勧められなかった理由も理解していた。それがやけに悔しかった。そして、焦っていた。冬夜は俺より切り替えが早かったのか、どんどん先に進むように魔法を使えるようになるのに対し、俺は日常で扱うような些細な魔法を使うので精一杯、魔法ではスライム一匹倒せやしない。剣に魔力を纏わせスライムを切りつけた時、一瞬蘇ったあの感覚を、ルティアルラは見透かしていたのだろうか。今日の戦いでは、アルラウネ、と呼ばれるモンスターと遭遇した。この世界で初めて見る、言葉を話す、人を模したモンスターだった。太い木の根のような足、ドレスのように広がる赤紫色の花弁と、緑色の女の上半身。美しい顔をした、しかし人ではないもの。遭遇した時ルティアルラが僅かに驚き、変異種、と口にしたのが気にかかった。どうやらあれは、同じアルラウネの中でも変異した強い個体であったらしい。呆然とした俺は、伸びてきた蔦のトゲが僅かに腕に引っかかったことで我に返り、それを剣で斬り落とし、魔力を炎に変えて燃やす。ぎいい、と悲鳴を上げたアルラウネに容赦なくとどめを刺したのはルティアルラだった。
「大丈夫? 怪我はしてない? ごめん、変異種がいたとは……」
情報不足だったらしい。街にいけば目撃情報やら討伐依頼が組合にきているらしいのだが、俺たちは引きこもりだ。大丈夫だ、と答えたものの、今日はもう戻るというルティアルラが帰りながら考え込んでいたのは、わかっている。
ルティアルラが街に行かなければいけないと悩んでいるのは、一緒に暮らしていて当然気づいていた。減っていく食料、足りない日用品、そして何よりルティアルラは自身の武器である杖にかなりの不満を持っており、いつも使いにくそうにしている。弱すぎる杖のようで、ルティアルラの魔法にあまり耐えられそうにないのだという。街に行かなければいけなかったのだろう。だが、彼女を躊躇わせているのは恐らく、俺のせいだ。
たくさん考えた。そして俺は、決めたんだ。それなのにふとしたときに怖くなる。敵を斬りつけた時膨れ上がるあの魔力の押さえ方が難しく、その先にいるのがスライムではなく、……あの日足に骨が突き刺さった、冬夜に見えたんだ。
「街、行くのかなぁ。俺たちのことどうすると思う?」
冬夜に聞かれ、どうするって、とその意味を察しながら問い返す。ぎぃ、と座ると少しきしんだ音を立てたベッドに腰かけた冬夜は、いやさ、と軽い調子で言葉を続ける。
「ルティは俺たちの意思をなるべく尊重してくれてるけど、割と過保護じゃん? 年下の女の子にそう思われてるのもどうかと思うけど、さすがに街を出るってなるといつもみたいな近場で戦闘訓練するわけでもないしさ。ルティの話じゃ街に行くまで野宿もあり得るみたいだし? レベルみたいなものがあるわけじゃないけどさ、もしかしたらもう少し場数踏むまで留守番かなーって」
野宿、か。キャンプならまだしも、確かにモンスター蔓延るこの世界で外で寝る、というのは敷居が高……いや敷居すらない屋外なのだ、何も身を守るものがないのは恐ろしい。ルティアルラに提供された今住む住居は結界が厳重で、いつだったか彼女がこの家に火の玉をぶつけて見せてくれたこともあったが、信じられない剛速球のような炎が激突してもそれをあっさり消し去ったまま揺らがない結界の中で安全に暮らしているのだ。いくらこの周辺にいるモンスターは骸骨に比べて弱い方だと言われても、まともに野宿すらしたことない俺たちではつらいものがあるだろう。今日戦ったアルラウネのように知能あるモンスターもいるのだ。
だが。
「……できれば行きたいな。俺は、いろいろ自分の目で見たい。知りたい。俺たちもここで生きていかなきゃいけないんだし」
「だよなー」
「けど、俺は……」
「うん?」
きょとんとした様子で首を傾げた冬夜は、ややあって「ああ」と困ったように笑った。こいつもこいつで、あいつとは別の意味で厄介だ。まぁ、長年一緒に成長した冬夜はやはり、俺をよくわかっている。
「俺はさ、夏。モンスターと戦うのに躊躇いがなかったかっていえばウソになるんだけど」
「ん」
「今だって何も気にしないわけじゃないんだけどさ。……仲間になりたいなって。ルティのね」
「……仲間」
「そ! 冒険ものじゃ仲間って大事じゃん! いや、そんな軽い話じゃないんだろうし、ゲームの主人公みたいに世界を守ろうとかそういう高尚な考えもわっかんないけどさ。……目の前で命の恩人が立ち向かおうとしてるのに、何もしないで俺は何もできないから頑張ってって思えなくて。あ、お前もそう考えろってわけじゃねーよ? っていうか、お前のことだからその辺とっくに決めてるか」
黙ったまま頷けば、だよなと笑った冬夜はどさりとベッドの上に背を倒す。
「命を奪われそうになったからこそ、奪うのはどうなんだって思ったんだよ。けどさ、そうしなきゃ夏やルティに何かおきるって思ったら……元の世界じゃ考えらんねーじゃん? けどよく考えたら俺ら、殺された生き物の肉食ってたわけだし、虫殺したことないわけじゃないし。命ってなんだろって思って」
「ああ……そうだな」
「わかんねーんだよな。で、なんでこんな大事なことわからないんだよって考えて……知らないんだと思った。安全に守られた場所でこの世界に何が起きてるのかも知らないまま、何か危険なことに首突っ込もうとしてるルティ送り出すだけなら、一生考えてもわからないんだよなって。じゃあ知る為にこの安全地帯から出るとして何が問題かって考えたら……俺さぁ、たぶん足手まといになって、ルティや夏に迷惑かけるのがいやなんだ。なら引きこもってるほうがいいんじゃないかって」
「……そうだな。俺も、そうだ」
「ま、ルティが設けた来年までの時間、って、そういうの考えるためのもんなのかもな。でも俺はたぶん、行くよ。その為に強くなる。例えモンスターだろうと殺したいわけじゃないけど、俺は俺のやり方で、俺の信じるもの守ろうかなって。……ってか珍しいな、夏が一回決めた事で不安がってるの」
そうか、と返した後の記憶が少し、曖昧だった。脳裏にちらちらと、あの日苦しんでいる冬夜の姿が映る。胸が苦しい。呼吸が上手くできない。息を吸い込んでも、肺に、入らない気がした。ひゅう、とおかしな音がなる。胸が苦しい。胸が、全身が、足が痛い。
「夏? ……夏!」
冬夜の声が遠い。苦しい。足に骨が刺さっている。違う、これは冬夜の足だ。いや、だがこの痛みは。
俺の剣が、何かを砕いた。はっとして顔を上げた時、驚愕に目を見開くルティアルラがそこにいた。その胸に、何かがある。赤い、きれいな液体が、じわじわと白いワンピースの、胸を中心に模様を描いていた。赤い花のように見えた。ぼんやりとそれを見た俺は、その花の中心から赤い液体が剣を伝うのを呆けて見続ける。ルティアルラの胸から続くそれを視線で辿り……悲鳴を、上げた気がした。
ルティアルラの胸に、俺の剣が刺さってる。