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彼らに冒険者組合やパーティーについて話してから、数日が経った。
あれからと言うもの、機密事項だと伏せたことについて聞かれることもなく、ただ日々過ごす彼らがどこか口数が少なくなり真面目な様子で本に視線を落としてはノートに書き込んで学んでいたり、変わらず続けている森のモンスター対策の為の魔法練習についても、最初の頃は自分たちが魔法を使えるということにはしゃいだりと高揚した様子だったものが、真剣に向き合う様子に変化している。
彼らは学校の帰宅途中に転移に巻き込まれたようで、数冊の本とノートに筆記用具を持参していた。この世界は日本ほど質がいいわけではないが、紙はある。だがそれは使い捨てる程あるわけではないので、それに気づいた彼らはここに用意されているものには手を出さない。私は必要だと判断して何枚かの紙にこの世界について綴り彼らに説明していたが、少しして彼らは文字が読めるようになると自主的に学ぶようになったのだ。
この世界の文字はローマ字に読みが似ていて、母音と子音の組み合わせでなんとかなることが幸いだったのだろう。最も、アルファベットではなくもう少し記号のような異質さがあるので、それを理解するまでは苦労したようだが……彼らが飲み込むのは早かった。勉強は嫌いじゃない、と笑っていたのはトーヤだったが、成績は夏のほうがよかったんだと言っていたか。そのナツは、魔力の馴染みがトーヤより遅いことに僅かに焦りを見せているようだった。身体能力はどちらも高く、若干素早さの高いトーヤに比べ、ナツは力が強く洞察力、判断力も高い為、そろそろ彼らだけで森のモンスターに挑戦させてもいい頃合いかもしれなかった。二人は元々、いいライバル関係なのかもしれない。
魔法も武器も、戦い方を教えるにあたって二人に何度も伝えているのは、過信するなということだった。強くなっても、気を抜いてはいけない。強いことは偉いことではない。実際二人はかなりの魔力があるしそれをはっきり伝えてもいるが、戦闘経験はなく初心者、馴染まなければ魔力は持て余すだけであって使いこなせもせず。一番怖いのは、急激に得た力で傲慢になり自滅すること……これは私の戦闘訓練を受け持った師匠の言葉だが。
さてそろそろ本格的に近くの集落の確認と、街での生活必需品の仕入れを検討しなければならない。この世界の物を食べることで魔力を取り入れ始めた彼らの魔力の覚醒が遅ければもう少し木の実でもたせようかとも思ったが、彼らは私が思った以上に魔力量を増やし、高い身体能力を得ている。連れて行くのも残していくのも不安だったが、この分なら連れて行っても問題ないかもしれない。まだこの屋敷周辺にまで私の迷いの魔法が馴染んでいない為、もし残してモンスターに攻められでもすれば、そちらのほうが厄介だ。夏前に仕入れに行けるのなら助かる。前任が声をかけていた孤児院とやらは、その仕入先の街にあるのだ。
「ルティアルラ、今いいか」
愛称で呼ぶことなく長い名前を言い切るのは少しぶっきらぼうなナツの方だ。自室とした部屋の扉の向こうから聞こえる声に返事をして中に招くと、ここ数日説明する為に渡していた紙の束を持ったナツが、それをテーブルに置き、きょろりと部屋を見回した。
「本がいっぱいあるんだな、この部屋は」
「好きにしていいですよ、見られてまずいものはありませんから。ちょっと待ってくださいね、今日試した調合の配分書き終えちゃうので」
わかったと頷くナツをそのままに、机に向き合いひたすら書き記していく。私は魔法術士クラスだが、職は錬金術士である。ちなみに上官からとある理由でこれにしとけと言われた職業であり、この世界の錬金術師は魔力を素材に馴染ませ練り込むことから、私にとってある意味天職であったと言える。私は魔力を馴染ませるのが得意なのだ。それがものであっても人であっても変わらない。だからこそ、初期にここに来たばかりで穢れた魔力を取り込んでしまったトーヤを助けることができたと言える。その代わり、普通に飲食によって魔力を少しずつ取り込んでいったナツとは違い、トーヤはやや私の協力関係者的立場に近い状態にあると言っていい。仮契約すら済ませたわけではないので既に繋がりは薄く、このままいけば消え去る繋がりではあるが。
職の説明をしたときナツも錬金術に興味を示していたようであるが、ナツは魔力の扱いが苦手なようだった。トーヤが魔法を使えるようになったものの、ナツは未だに初心者用の術も使えないのである。その代わり性質変更はそこそこできるようで、試しに持たせた剣の試し切りでスライムを炎に包んでいた。この世界で無事に生き抜きたければ、冒険者にならずともある程度の戦闘能力がなければいけない。自分が戦えなければ、護衛として戦えるものを雇わなければいけない。なにせ街を出れば結界はなくモンスターが蔓延り、盗賊だっている。冒険者や兵士が討伐に回ることも多いが、それで敵がいなくなるわけでもない。彼らが望むならこの森を抜けて比較的安全な街に移住してもらってもいいが、彼らは異世界人だ。ここまで追ってくるとは思えないが、噂が噂を呼び彼らを狙う者たちに見つかっても困るのだ。自分の身を守る為にも、彼らに戦う術を教えるのは比較的初期に決めたことだった。
書き終えてくるりと振り向くと、難しい顔をしたナツが本棚を眺めていた。私が終わったことに気づいたのか椅子に座りなおすと、ゆっくりと口を開く。
「あんたの目的が知りたくて来た」
「……だからね、それは」
「機密事項、か。わかってる。だけどそれを、パーティーメンバー、には言うんだろ?」
「……ナツ」
あなたはパーティーメンバーじゃない。するつもりもない。以前も話したことで、説明も繰り返したことだった。咎めるような視線を送れば、ぐっと口を一度引き結んだナツが、強い視線で私を見つめ返す。
「わかってる。でも考えたんだよ。アイツがやるなら俺も、みたいにならないように、冬夜とは話してない。冬夜がどうするかわからないが、俺はあんたについていきたい。知りたいんだ、あんたが何を見て、何をするつもりなのか。……なんの力もないガキのくせに、って自分でもわかってる。命を奪うのだってやれるだなんていえないんだ、だけど……あんたがそれをやるって決めた理由はなんだ? この世界に生まれ育ったから俺たちと違う、じゃないだろ」
「は?」
「出発は来年だって言ってただろ? 力が必要ならなんとしても力をつける。剣だろうが魔法だろうが戦う力をつけて、戦う覚悟も決める。……ルティアルラが言ったんだろ、俺たちは異世界転移者、これまでなかった魔力に身体が馴染むことでかなりの成長が見込めるって。それを、見てから判断してほしい。来年弱くてどうしようもない足手まといだってなったら、また必死になって、先に出発したあんたを追いかける」
「なんで」
少しきつい言い方になっただろうか。端的に言葉を返すとぐっと彼の引き結ぶ唇に一度力が入り表情が強張ったようだが、彼はゆっくり、真剣な表情のまま言葉を重ねる。
「本音を言うなら、俺は元の世界に戻ることを望んでないんだ。理由は今言えない、けど、冬夜がいるなら、この世界で一生を終えてもいいと思ってる。戻るのにリスクがあるって言われて、帰りたいと思えなかった。二人同時に帰れる保障もないだろ? ただ……生きるならこの世界を知りたい。けど、ルティアルラ……あんたはこの世界をぶっ壊すって言いきったよな? 何が起きてるのかも何も知らないまま、冬夜と狭い世界で満足したくないんだ。冬夜を助けてくれたこと、本当に感謝してる。あの時、冬夜が怪我したの、俺のせいなんだよ。力もないくせに手を出して、俺のせいで冬夜が……力が欲しい。守れる力をつけて、あんたの見るものを知りたい。……俺らと同じ価値観だっただろう元日本人のあんたが、何をしようとしているのか」
ひゅう、と喉が変な音を立てた気がした。これまで私に対して言葉を探す素振りが多かった彼の迷いのない言葉。何日も、ずっと自分の考えと答えを探していたのかもしれない。
何故わかったのだとぐるぐると思考を巡らせて、はっとナツの持ってきたこれまで私が書き記した紙の束と、本棚に視線を巡らせる。と、私が気づいたことに苦笑したナツが、少し気が抜けた様子でテーブルの上に紙を滑らせた。
私がこれまで彼らに説明する為に綴り続けた文字、が、目の前に滑り込む。
「気づいたか。これ、全部日本語だよな。この国の書物には漢字も交じってたけど、平仮名がここの書物には一文字もなかった。冬夜も気づいてる」
「あー……」
「気張ってるみたいだけどあんた案外うっかりしてるだろ。……ここで初めて料理するって時に、あんたは『食事したことがない』って言ったんだ。天界は大気に魔力が満ちていて、天界人はその魔力で生きていける、食事は娯楽だった、って。なら慣れた味なんてない筈なのに、味噌汁飲んですぐ出汁が足りないことに同意したこともある。あとはこの世界の説明だ。最初の頃は俺たちの世界にスライムはいるのかとか聞いてたけど、なんだか自分の知ってる世界かの確認、みたいだった。最近じゃ何かを説明してくれる時、俺たちがどうわからないのかわかってるみたいなところがあったしな。他にもちょいちょいあったけど、極めつけがその日本語、だな」
「しくじった」
思わず呟けば、ふは、と少し笑われてしまった。私も堕とされて目まぐるしく変わる環境にいっぱいいっぱいだったのだろうか。東の国と呼ばれているこの国が日本に近い雰囲気であったこともあって、すっかり忘れていたのだ。いくら日本に似ていても、日本語はないのだ、ということを。彼らと普通に話せていたせいで気づかなかった。この世界は言葉自体はどんな言葉で話しても、言語秘匿魔法を使わなければ魔力を伝ってある程度会話ができるのだということも。
彼は、私がパーティーに入れない理由としてあげた『平和な世界で生きてきた』という説明に納得がいかなかったのだ。
「あー。これ機密事項なのに」
「もう諦めて話して欲しいんだけど」
「無理。ああーでも、もう。うーん……ああもう、トーヤ、呼んで。あっちも気づいてるんでしょ?」
「まぁ。……わかった」
すぐに立ち上がったナツが部屋を出ていき、ほんの一分足らずで部屋にいたらしいトーヤを連れて戻ってくる。項垂れる私に代わりナツが話の流れを説明すると、トーヤは苦笑して椅子に座りなおした。ナツが代わりに立ち上がると人数分のお茶を用意しだす。ナツは私やトーヤより料理やお茶を淹れるのが上手いので、つい任せる回数も多くなってしまった。
「何からどう話せばいいかな。……まず、目的について機密事項なのは、危険だから。知らぬが仏、知らないほうが安全ってこともある。なんとなくそれはわかってくれる?」
「まぁ、聞いて何ともないような軽い話題だとは思ってないよ、俺たち」
「そうだな……えっとね。まず私は確かに日本を知ってる。なぜなら、転生者だから。あなた達の日本とは限らないけど恐らく近い日本で生まれ育って、死んだ。その後転生する時に契約したの、今でいう、あなた達にとっての私みたいな存在の人に。条件は、私が戦える年齢に育つまでの命の保障と任務達成後の帰還。私は普通に生まれたらこの世界ですぐ死ぬような運命だった。それを守ってもらう代わりに、この世界である任務を受けてるの。その任務については言えない」
「転生者……近い日本って?」
「そのままだよ。例えば漫画で、日本を舞台とした世界ってあったでしょ。同じ日本であって、でもそこにいる登場人物たちは自分たちの世界に実際いるわけじゃない。……そういう意味。同じような日本から来ても、あなた達と生きた時代も世界も違うかもしれない。話した感じ、だいぶ近いけれどね」
「え、もしかして漫画の世界が実際にあったりするのか?」
「数多くの物語は時にリンクしていることもある、としか。私は詳しく説明できないかな」
「……なんとなくわかった。つまりあんたは今、その数多くの世界がある、と知る世界のやつと契約していて、この世界にはそこから派遣されてる形だな?」
んえ? とトーヤが首を傾げ、少しして納得したのに対し、確信を持ったような状態でナツが私と目を合わせる。
「つまりだ。詳細はわからないが任務内容はこの世界をぶっ壊す、と言ったことに関連していて、あんたは仕事でここにいる。前世は日本で生まれ育ち、なんらかの形で戦闘手段を得てこの世界に転生し、任務の達成の為にこれから動くつもりなんだ。恐らく前任というのも、『この世界ではないどこかから仕事で来た存在』だし、パーティーメンバーに協力してもらうってことはその人間をあんたの本当の世界の任務に関わらせるつもりだ。おそらく、そうしなければならない理由がある。……ただ手伝ってもらうんでもなく、契約とかが絡むんだろ。俺たちにとってのルティアルラのような存在とあんたは契約して、あんたは命を守ってもらう代わりに任務を受けた。つまり俺たちも契約すれば何かを受け取った代償に任務を受けることになる……か?」
「え、そうなるわけ? 相変わらず夏は理解が速いな」
「理解が速いって問題じゃないと思うんだけど……むしろこれまでの会話で答えをずっと探されてたみたいね」
はぁ、とため息を吐くとにっと笑ったトーヤが、なぜか誇らしげに夏はすごいだろうと胸を張る。
「大体あってる。ただし重要なのは、あなた達は私と違う立場になるから、契約しても何かいいことがあるわけじゃないってとこかな」
「ただ働きってやつ?」
「協力関係者に与えられるのは魂の守護。……ピンとこないでしょ? 要は、死んでもあなた達の魂は守り通しますよってとこかな。……その前に、私が私の協力関係者を死なせないけど」
「命の保障か」
「残念、これは私個人の目標になるのであって、契約とは無関係よ」
ということで、元からこの世界で戦いに身を置いている人間に頼むのが一番いいのだ。協力してほしい、してくれるのなら魔力を供給できる、と。この界で私より魔力量がある人間は存在しない。これは十分に報酬となるはずだが、彼らは別だ。なんといっても、私に次いで多いのだから。組んだらチートパーティーと言われても仕方ないレベルである。
「トーヤ、あなたもまだ私の契約に興味があるの?」
「まぁ、俺からしたらルティは命の恩人だしな。……でも、それを理由にするのは違うかな、って思ってさ。ルティは俺たちをこれ以上巻き込みたくないみたいだし、ついていきたいけど、俺自身はどうしたいんだろって」
一人で考え、自分の考えで私の見る世界を知りたいといったナツと、恩返しを理由にするのは違う気がすると自分の気持ちに向き合うトーヤ。思ったより、きちんと理解して冷静に判断しようとしているようだった。視線を上げれば、真剣なナツの視線がこちらを射抜く。最初の頃は視線がそらされることが多かった筈が、そういえば随分とここ最近は変わったようだなと感じた。
ふと、彼らにきちんと選択肢を見せるべきだと考えていた筈が、私が可能性を一つ潰しているのだと気づかされる。
ただ冒険したいだとか、強い力が欲しいだとか、そういった理由で話を完結させついていきたいというわけではない。真剣さは理解し、少し唸る。
「……わかりました。私が出発するのはあくまで来年、それまで、保留させてくれませんか」
「保留?」
「近々周辺集落の確認と、街へ生活必需品の調達に向かいます。あなた達を連れて行くのか悩んでいたんだけど、連れて行きます。冒険者組合の様子もどうぞ、確認してください。いろいろ見て、聞いて、知った上で判断してください。……何も知らないからと私が却下して狭めていい筈はありませんでしたから」
ただし、と付け加える。
何度も言うが、私は敵であれば誰であろうと戦うのだと。