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「おお、すごいな」
孤児院に戻ったのは二時頃だったが、見張りとして起きていたのはトーヤのほうだった。静かにと手招けば頷いて出てきた彼は、馬車を見てこれならいいんじゃないかと頷く。
あまり眠りが深くないらしいナツもすぐ起きてきて、二人に何があったのかと問われ、少し視線を落として考える。ここに来るまで理由をいろいろ考えてはみたのだが、どれも納得がいかなかったのだ。
「……本来の仕事をしてきたんです。ただ、その過程でちょっと……数人寝かせてきたから、できれば彼らが起きるまでに脱出しないとまずいかな」
「寝かせてって」
「強い睡眠状態にする魔法。ただ長続きさせる気はなかったし外に転がってるから、少なくともそうだな……朝六時前後には起きそうな、あ、待てよ。この馬車で脱出するのに街の門番が干渉しないのは五時までだって言ってたな」
「なんで門番? 言ってた、って誰が……」
「朝になる前にここの子供たちを連れ去ろうとしていたみたいなの。だからちょっと、寝てもらって馬車は頂いてきたというか。あ、同意は得ましたよ、実力行使でだったけど」
「おい待てどういうこと……いや、あんたの話の情報量が多いのはいつものことか。ついでにそれは脅迫だ」
くそ、とナツが前髪をかき上げ、ほんの数秒考え込んですぐ。荷物を運ぶ、と言って孤児院に戻りだす。
「少しでも早く出て、暗いうちに少しでも馬車を街から離そう。通貨は手に入ったんだから最悪買い物はあいつらを拠点に届けてから出直しだ。ルティアルラ、顔は見られたのか?」
「それは大丈夫、完全に変装しましたから。ただ、馬車を持って行ったのが孤児院に関わりのあった錬金術士の依頼で来た護衛の女だ、って相手は思ってる。あれだけやられてもう一回挑んでくるとは思えないけど……まぁ」
それでなくても自分たちのリーダーがいなくなったのだ。深入りしてくるとは思えないが、探そうとされても困る。あの魂は既に送られたのだ。
「……ルティアルラ。何があった?」
再度問われ、私が答えないとわかっているだろうに問われたその質問に眉を寄せると、ぐい、と突如両頬を摘ままれた。
「表情が硬い。眉間にしわ。随分らしくない表情だな」
一瞬驚き、息を詰まらせる。まさかそんな。今更私が、何か思うなんてことは。だってあれは、あの人は既に人として死んでいた。『あれ』に喰わせるくらいなら、魂を還したほうがよかったのだ。私は間違ってな……ならなぜこんなに、胸の奥がずしんと重いように感じるのか。
と、引っ張られていた頬が突如離されたかと思うと、ナツの大きな手に頬が包まれる。
「……大丈夫だ。あんたは自分の仕事について理解しているんだろ、迷うな」
「……何言って」
じっと瞳の中を覗かれ、迷うな、という言葉が頭に浮かんでは消える。
ぐるぐると思考を巡らせていると、ばちん、と額に衝撃をくらう。音のわりに大して痛みのないそれはナツの指先からもたらされたもので、いわゆるデコピンであると理解するのに数秒を要した。
「なんかまた難しく考えてるんだろ。いいか、今やることは簡単だ。皆を連れて、出るぞ」
「……はい」
ほら、とこぶしを押し付けられてつられるように手で受け止めると、手のひらに何かが触れる。ナツの手が離れ、それが先ほど貰ったばかりの冒険者組合に登録した、冒険者の証の記章であると気づいて、あ、と小さく声を零した。
「おーい、いちゃつくの終わったか? 仕事するぞ仕事」
「別にいちゃついてない」
トーヤの言葉にふてくされたようにナツが返し、二人とも作業する為に孤児院に戻っては荷物を運び出す。物音を立てないようにそっと動いているようだが、こうしてはいられないと私も手伝い始めてすぐ、ふにゃ、と赤子の声が孤児院に広がり、それにつられるように子供たちが起きだしていく。
「ん、あれ? おは……あ、昨日の! そうだ、逃げなきゃ! おい皆起きろ!」
レディオンがやはり中心的な存在なのか、声をかけると状況を飲み込みだした子供たちがわらわらと混乱しつつも動き出す。釣瓶や布を集めて外に出ようとした年長組を、顔を洗うのは後にしろ、とナツが止めて荷物を運ぶように指示をした。
「ディーナさんも、赤ちゃんの準備も整えて、なるべく布は持ち出しましょう。細かいことは街の外で。ルティが調べに行ったところ、商人たちは予定より早くここから子供たちを連れ出そうとしていたそうですから」
「えっ、わ、わかりました、すぐに! ルティアルラ様は、お怪我はないのですか!?」
「ルティでいいですよ。私は無傷です、これでも技術は一通り学んでいます」
孤児院はなるべく売れるものを売ってお金を工面していたのか、最低限の荷物しかないようだった。それでも子供たちは布や衣服を優先して運んだあと、ぼろぼろの食器はどうすべきかと尋ねてくる。数が少なく、拠点に戻ってから使う予定はないのだが、道中は必要だ。幸い馬車に繋がった荷車がそこそこ荷物が入りそうなのですべて積み込むよう指示すると、少ないそれらはあっという間に片付いていく。最後にどこか戸惑ったような視線を感じて見てみれば、子供たちの手に握られているのは角の取れた綺麗な石や葉、そして一冊だけあるぼろぼろの絵本。
「あ、あの、おねえちゃん、これ……」
背丈が腰ほどまでしかない女の子がおずおずと、大事そうに抱えたそれと私の間で視線を行き来させる。
「……どうしたの? 大事なもの全部、持って行っていいんだよ。ああそうだ、ナツ! 作ってもらった袋何個か使ってもいいですか?」
「ああ、好きに使っていい」
「じゃあ、はい。大事なものは分けてこれにいれて、荷車じゃなくて手に持っていて」
差し出せば、女の子を筆頭に集まっていた小さな子たちがわっと顔を輝かせ、大事そうに受け取った布袋にそれを詰め込んでいく。ぼろぼろの絵本はことさら慎重に一つの袋にいれられて、小さな女の子の腕の中に納まった。
既にある程度荷造りしていた孤児院の中は、あっという間にがらんとものがなくなってしまった。最終確認を終えたディーナさんが頷くので、皆で静かにと声を潜め外に出ると、見張っていたトーヤが子供たちの人数を確認し、次々に馬車に乗せていく。
「あった布全部敷き詰めたけど、長時間だと身体が痛くなるかもしれないな」
「仕方ない。まずは逃げるのを優先するしかないだろ」
「食料はどうする? 俺たちはたしか……最短距離を突っ切って二日か?」
「道なき道を、だな。馬車じゃ無理だ、地図を見るなら……四日、少なくともそれくらいは」
「くそ、ルティ、どうする?」
少し悩む。食に関しては、森がそばにあれば十分採ってくることは可能だと思うのだが……子供たちの様子を見るに、硬い木の実や消化に悪そうなものはあまりよくないかもしれない。何より布が足りない。
「……街を出て少し先にある森の合間の道に入ったら、結界を張って森の中に馬車を隠します。そこに、トーヤに残ってもらう。私とナツで街に戻って食料を買いこんで馬車に戻ります」
「お、俺ぇ? 大丈夫か? 追っ手とか」
「私の結界を超えられる追っ手なんてそうそう来ません」
「あ、うんなるほど」
「もしかしなくても俺荷物持ちか」
「適材適所だろ」
言い合いながらも子供を全員載せ終わると、最後にディーナさんとトーヤが乗り込み、御者席には私とナツが座る。馬車がゆっくりと動き出す。時刻はまだ、四時といったところか。
「ばいばい」
小さな、子供たちの声がぽつりぽつりと聞こえる。ぐす、と小さな泣き声交じりの音もまた聞こえるが、最後まで彼らはひっそりと、子供らしくなく静かに涙を零していた。息を潜めて声を殺し、怯えて暮らしていたのだろう。彼らが育った孤児院はとうに人の手に渡った状態だ。思い出を残し、その姿は小さく離れて行ったのだった。