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「急げ、そろそろ出るぞ」

 月が雲に隠され薄暗い町はずれの倉庫で、静かでしかし偉そうな男の声が周囲に広がる。応、と小さな掛け声の中用意されているのは、体は普通の馬よりもやや小さいもののがっしりとした体格の馬二頭が繋がれたほろ馬車だった。馬車を引くのに用いられる馬のようで、長距離を安定して走行できるのが特徴らしい。御者席からすぐ後ろにある部屋は横から天井まで布が張られ、大人八名程は乗り込めるだろう作りだが、決して高貴な人物が乗ることを考えたような材質ではない。が、後ろにもう一つ荷車を連結できる作りのようで、小回りの利く、小規模の商人団体が街の間を移動するにはちょうどいい、一般的な作りのようだった。

 倉庫の屋根の上。腰かけ、空中を指先で叩いていた女はそれらの情報を得ると満足げに笑みを浮かべて指先をするりと闇をなぞるように降ろす。それに合わせておとされた視線の先では今まさに、なぜか連結された荷車に空の檻のようなものが詰め込まれ、布の隙間を目張りするように隠す作業が行われていた。

 人数は指示を出す男を含めて七名。リーダー格らしい男以外は皆屈強な男たちで、二人がリーダー格の男のそばに控え、四名が作業している。その周辺には他に人影はなく、これ幸いと女は唇を吊り上げ、組んでいた長く白い足を解く。するりと立ち上がれば上質な赤い生地に刺繍された金糸と緑の小さな宝石が、僅かに顔を覗かせている月明かりで煌めいた。

 緩慢な動作で女が立ち上がると、その挑戦的なまでの風貌が闇に浮かび上がる。纏う上質な赤い生地は足元までたっぷり使われているくせに太ももまで切り込みがあり、金の鎖で留められただけのそれが惜しげもなく肢体をさらす。腕や腹は薄手で透け、単に露出するより魅惑的に女の肌を彩っていた。首から胸元に輝く金の装飾にはやはり布地に取り付けられたものと同じ緑の宝石が輝き、耳元でもまた同じ装飾が輝いて、布を留めている。女の目元より下は、同系色の透けた布で隠されていながら妖艶だ。金といって差し支えないくせ毛の髪が、風で女の胸元で揺れる。服と同じ布と装飾を使った髪飾りはティアラのように美しい。

 その様は西方の国の踊り子だと、この国でも見る者を魅了するような美しさ。だがこの場に似つかわしくないことは確かであり、異質な存在。だがそれに、誰一人も気づかない。そう、人間ごときが気づける練度ではない女は、口元を吊り上げると屋根から飛び降りた。


「朝になる前に孤児院に催眠魔法をかける。そのまま騒がれる前に連れ出すぞ」

「あの孤児院周辺の人間は口を噤む。だが見られないに越したことはないぞ、朝五時までなら門番もこちらに干渉しないからな」

「子供はなるべく傷つけないようにしろよ。なにせ魔力が高い子供は生きたままお連れしろと仰せだからな、傷をつけてあっさり死なれてはかなわん」

 前に立つ三人が指示を出し、作業する男たちが頷いたその時だった。

「なんだっ!?」

 どう、っと音を立てて突如隣にいた男が地面に転がり、荷車を目張りしようとしていた男が飛びのいて腰の武器を手に取った。その手にあるのは片刃の刀で、大柄ながら俊敏な男のその強さは二華の冒険者たちでも苦戦するようなものかもしれなかった。だが次の瞬間、男は二人目の犠牲者となって地面に倒れ込む。場が僅かに騒然とし、しかしすぐにリーダー格の男が二人の護衛に守られるように隠された。

「誰だっ!」

 倒れた二人の男のそばにゆらりと立ち上がる小柄な影。その人物が足を一歩踏み出すと、高いヒールと赤い靴が闇に浮かび上がる。

「女……?」

「おいお前、何をした!」

 殺気立つ男たちが、次の瞬間、自分たちの用意した作業用の明かりで見えた女の姿に息を飲む。ごくりと喉が鳴ると、リーダー格の男が徐々に口角を上げていく。

「誰だか知らんが、不意打ちとはいえなかなかやるようだな。が、話を聞かれたからにはすんなり帰すわけにはいかなくなったよ」

 女はただ、首を傾げるだけだ。だが、布で覆われているとは言え薄手のその下では確かに形のいい唇が弧を描き、倒れた男のそばにいた残り二人の男が作業を止めて武器をとる。が、女の他に気配がないとわかると、その表情は下卑たものに変わった。

「いい身体してるなあ、へへ」

「こいつは上玉だ」

「おいお前ら、この女を捕らえろ。しばらく私が可愛がろう」

 リーダー格の男の笑みに、女の処遇が決まったと男たちが一歩足を踏み出す。その時漸く、女が口を開いた。

「ねぇ、この馬車頂戴?」

「……はぁ?」

 まるで空気が読めていない発言に男たちが頓狂な声を上げた瞬間だった。女に一番近い距離にいた男が、地面に武器を落とす。それとほぼ同時に男がうつぶせに地面に転がり、周囲が殺気立つ。

「てめぇ、何しやがった!」

「……答える必要ないわ。私の質問に答えるのが先です。お代はそうだなぁ、なしでいいわよね」

「ふざけんなてめぇ、どこのもんだ!」

「ふふ、雇われ護衛、かしら? 少し遅かったみたいなんだけど」

 あ? とすごむ男に軽くにこりとほほ笑んだ女が、舞うように指先を正面に立つ男の一人に向けた。もう一人が咄嗟に庇う様にリーダー格の男を下げると、その横にいた護衛の一人が突如かはっと空気を吐きだして倒れ込み、血がパタパタと数滴地面に落ちる。ひい、と作業を中断した残り一人が、逃げ腰になる。

「こ、こいつ無詠唱魔法士だぞっ!」

「その恰好……その闇魔法、お前、帝国の悪魔の踊り子か!」

「距離をとれ、あれは近接の達人だぞ!」

 男たちの言葉に、女は笑みだけで答える。まずい、と護衛の男が、リーダーを逃がそうとしたようだった。だがその時にはもう、リーダーが黒い茨に捕らえられ、くぐもった悲鳴を上げながら恐怖に身を震わせていた。

「君も邪魔」

 隙を突こうとした馬車の横にいた男が一人、瞬く間に女に懐に飛び込まれ、顎に掌底を喰らったかと思うと黒い煙を吐き出すようにして仰向けに倒れる。

「そんな遅いのに距離とるなんて無理じゃない? まぁ、とっても無駄ですけれど」

 ねぇ、と女のほほ笑みが、最後に残った護衛に向けられる。

「あ、皆さん死んでないから大丈夫でしょう? で、馬車、いただけます? それならその男以外見逃してあげる。ふふ、よくも護衛対象を殺してくれたな、この下種が。さぁ、頷いてくれるわよね?」

 美しい笑みで、歌うような声音で、しかし下種と吐き捨てた女のちぐはぐなその空気に飲まれ、護衛の男は歯をガチガチと慣らし音を立てた。なぜ、自分がいくら得体の知れないとはいえ女一人にこんなザマ、と考えられるのは一瞬だけだ。無詠唱魔法士、悪魔の踊り子。その情報は知りながらないものともされる、国の重要人物の護衛を任されることもある一族の通称だ。無詠唱で魔法を行使し接近戦を得意とする女たちが支える一族。その特徴を生かし、王に侍り踊り子に化けていたとして広まった名である。なぜ、こんなところに。額を、背を、だらりと汗が伝うのに体がひどく冷えている。護衛の男は、目の前に死を見た気がしたのだ。

「お前は、いったい」

「だから。ああ、依頼主は錬金術士なの。意味、わかるわね?」

「ひぐっ、そんなはず! あの孤児院を守っていた男は、妻をおいて死んだんじゃなかったのか!」

「ふふふ! まさかぁ! ま、そういうことなの。次手出したらどうなるか、お分かりいただけたかしら」

 ぎりぎりと黒い蔦が締まり、男が悲鳴をあげる。ほら頷いて、と女に促され、とうとうリーダーが頷いた。あっけない。一度頷いてしまえばあとはもう、馬車の譲渡にも必死に首を縦に振るだけだ。

「さて、朝になる前に孤児院に催眠魔法をかける、だったかしら? じゃ、そのままお返しするということで」

 妖艶ながらいっそどこか無邪気に女が口を開くと、ぱん、と手を打たれた瞬間、リーダーの男を除いた全員を黒い靄が包み、気絶していた者もそうでない者も等しく意識を雲泥に沈める。そう、一人を除いて。

 自分だけが残されたのだと気づいた囚われの男が、ひい、と息を詰まらせる。余裕はなく、女の雰囲気が変わったことにすら気づかない。

「た、助けてくれ、金ならやる! その馬車に金品を詰め込んで渡してやってもいい! だから、命はっ!」

「ええっと、アーデヴァニア商会のお偉いさんであってる?」

「そ、そうだ!」

「質問に答えてね。えーっと、あなた達が最近領都市から流れてきたっていう商人であってるかな」

「そうだ! 会頭に言われて、北西の田舎に力を伸ばせとっ」

「へー、人さらいに? あくどい商売だねぇ」

「何を言う! これくらい別に普つ……」

 言いかけた男が息を飲む。いや、その、と言葉を吐きだせない男にため息を吐くと、女は呆れたように肩を落とした。

「で、子供を生きたままどこに生贄に差し出すって?」

「……っ、い、言う! レイムディークの中央教会だ! 儀式の為だと、差し出された贄以外使ってはいない! 孤児だってたまたまで」

「……あ゛? 天族信仰国のろくでなし教会が子供の命使って儀式だ?」

 がらりと空気を変えた女に、男がとうとう言葉を発することが出来ない程震え、意味のない音を吐き出し始める。さて、と馬車に歩みだした女を見て、最後の力を振り絞ったかのように男が助けてくれとか細い声を上げた。

「無理。あなたもう死んでるよ。いいように使われたみたいだね……ま、情報代はあげる」

 ヒールが土に僅かに刺さる。女が、ゆるりと男に向けて手を伸ばし、歌った。

「あんたの魂を縛る鎖、破壊する」


 月が雲から顔を出す。女が背を向けたその先で、色とりどりの花びらが宙を舞った。

「倉庫爆発くらい派手にやりたかったけど、まぁ仕方ないか」

 やがてその場から檻を降ろされた空っぽの馬車がゆっくりと離れていき、再び月が雲に隠れようとした時、そこには花びら一つなく、倒れた六人の男たちだけが残る。見る人が見れば気づいただろう葬華は誰に見つかることもなく、一人の男の魂を運んだのだ。




「前任も衣装用意してくれるのはいいけど設定くらい残しておいてくれてもいいのに」

 ぱちん、と指を鳴らして変装を解除する。鮮やかで軽い、しかし露出が多い赤の衣装はするりと闇に溶け、身を纏うのはもとより着ていたこの国らしい合わせの衣と上に着込んだ可愛げのないローブだ。ふわふわした金の髪も、大人っぽい容貌もすべて元の状態に戻ったことで、化粧を落としたかのようなさっぱりとした感覚すらあるのだから、こちらの方が自分には合っているのかもしれない。

 それにしてもなんだよ、悪魔の踊り子って。確かに、普段の戦闘方法と変えて変装するにはちょうどいい設定だったようだけど。いやむしろ、私のもう一つの特徴をしっかり押さえていたとも言える。わかったのは、やっぱりこの力は随分戦闘向きだし普段は使わない方が楽だなぁ、ということか。

「ま、一応仕事はしたし。……にしても、死んだ人間を動かせるほど浸食してるなんてなぁ」

 参ったな。思わず漏れた愚痴をそこで止め、私はナツたちの待つ孤児院裏に馬車を止めた。やっぱりあいつら、予想より早く来るつもりだったようだ。だがその分もともと子供たちを運ぶつもりで用意したらしい馬車が手に入ったのだから、対処もできたし良しとしようか。


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