10
前任、なんでもう少し耐えられなかったのと僅かに胸に燻ぶる言葉を振り払う。仕方ないことだった。なぜなら、まだ人間の枠を出ていなかった彼女が身籠った時点で神の意志。この子は恐らく、任務遂行の為にこの世界に繋ぎとめられたのだ。父親が間もなくこの世界を離れなければならないとしても……いや、父親と入れ変わるタイミングであったとも言える。私と前任は結局いる時間がかぶらなかったのだから。
一気に話の予想が、ついてしまった。
我らの子を腹に宿した彼女は強大な力を必要とし体調を崩したのだ。前任は子がいることを知っていたのか知らずにいたのか。いや、あの設備の整った拠点を見るに、知っていて焦ったのかもしれない。そして志半ばで帰らざるを得ない状況に陥ったのか。私の引継ぎが成されるまでにこの子が生まれることとなり、しかし我らの血を引く赤子を出産するまでに体調を崩したディーナの隙をつき、人間が何らかの理由でこの孤児院に目を付けた、といったところか。
当たってほしくない予想はざっと話を聞くに当たってしまっていた。やはり、前任の子を身ごもったディーナはいくら半ばまで運命共同体としての力の共有を得ていてもかなり体調面で不安定になってしまったらしい。寝込む日々が続き、この孤児院でも年長だった男女二人がディーナの代わりにあれこれと世話を焼いていた中、事件は起きた。孤児院にいた十四歳の少女が街である商店の手伝いをしていたところで、やってきたその店の取引先の男に目をつけられてしまったらしい。明らかに強引にうちに来いと連れ去ろうとしていたところ、迎えに行った最年長の十六歳の男の子が目撃し、口論の末……男の子は、少女を連れ去ろうとした男の護衛に殺されてしまった。ショックを受けた少女は錯乱し、連れて行かれた先で命を落としたそうだ。ぼろぼろと涙を零しながらそれを静かに語り切ったディーナは、ひどく守ってあげられなかったことを悔いているようだった。
その少女を攫おうとした男……アーデヴァニア商会の代表の男は、最近この街で急成長していることで随分と気が大きくなっているらしく、そして悪い噂も絶えないらしい。何を後ろ盾にしているか知らないが、この孤児院に難癖をつけ、立場を弱くした上でこの街で暮らしにくくさせ、どうやら最年長二人が亡くなった後食べ物の買い出しなどを行っていた現最年長の男女二人が店の物を壊しただの盗んだだのと証言し、借金を膨らませた上で……極めつけ、ディーナの出産の際必要な薬を多額で子供たちに売りつけたらしい。識字率が高くないこの世界で、書面を偽造し多額の借金を背負わせる形で。
あとはもう想像通りである。借金を理由にこの土地と建物の権利を得、足りない分として子供たちを表向き王都の労働者として雇う振りをして、闇市で売るつもりであったようだ。いつの間にかそばにやってきていたナツとトーヤも話を聞いていたようで、顔色が悪い。前任の残した荷物の中から取り出した懐中時計を確認し、ふうと息を吐く。
「赤ちゃんを抱かせて貰えますか」
私がゆるりと手を伸ばすと、一瞬ぱちりと瞬きしその大きな瞳から雫を落としたディーナが、ぜひ、と腕の中の小さな子供を私の腕に預けた。
小さい。とても小さくて、それなのに思ったより重くて、暖かくて。私のそばに来た孤児院の少女が、私に赤子の抱き方を教えてくれる。
祈るように瞳を閉じ、腕の中に意識を集中する。ふにゃふにゃと小さな声で泣いていた赤子は少しして、すやすやと眠り始めた。
ディーナはどれほど悔やみ苦しみ悲しんだのだろう。ディーナは孤児院を守らなければならなかった。だが、この子も守らなければならなかった。
「……魔力を分け与えました、これでしばらくは大丈夫。心配でしょうが、この街にいるよりは私たちの拠点に移動した方がマシです。あそこは大地の力が強い。この子が弱っているのは、我らが血を引きながら魔力の少ない土地にいるせいです。このままでは」
「……やはり、そうなのですね。あの人が、あなたも魔力のある地で育たなければいけないから待つしかないのだと言っておりましたもの。覚悟はできております。ですがどうか、巻き込んでしまった子供たちにこれ以上の悲しみがないように」
「巻き込んだのは上の事情です。全力で守りましょう」
時間を尋ねれば、夜八時前だった。子供たちを休ませるように言いつけ、朝日の出と共に出発することを伝えて迎えに来る約束をする。
「どこに行くんだ、ルティ」
表情が暗いままのトーヤが、少しして、こういう世界なんだな、と前髪をかき乱す。
「冒険者組合は恐らく夜中零時までは受付しています。手っ取り早く登録して冒険者になって、あなた達二人は孤児院に戻って身体を休めてください。三時には叩き起こします」
「ルティは?」
「私はちょっと用事があります。予定より早く出発しなければならないようなので、いくつか用意した製作品を売って資金を集めないと」
「……ルティアルラ。問題の商人のところに行く気だろ」
そろりと下げていた視線を上げれば、じっと見つめるナツの視線が私を射抜く。答えない私を見て、え、と焦ったようにトーヤが身を乗り出した。なら俺たちも、と言われて、首を振る。
「聞いたと思いますが、あの子……ディーナの子は前任の血を引く、つまり私と同じ立場の人間です。死なせるわけにはいかない、もちろん孤児院の子供たちも。これは戦争です、ナツ、トーヤ。あなた達は今日の話を聞いて、どう思いましたか」
「俺は……」
「考えてください。正義感や好奇心だけで動くべきじゃない、相手は人間です。……私が戻るまで孤児院の皆のそばに。特に、レディオン。孤児院の殺された子供二人が亡きあと最年長だったのは恐らくあの子。責任を感じている筈です」
「ルティアルラ、一人で行く気か」
「あなた達は! まだ、見て、知って、考える段階です。手を出していい段階じゃない」
選択肢を狭めるつもりはない。だが私が与えられるのは彼らのこの世界の生き方の選択であり、私の仕事についていかせるかどうかは別問題だ。それに。
「できればまだ、知ることが多いあなた達に見せたくないの」
ぽつりと付け加えれば、トーヤが悲し気に、ナツが悔し気に表情を変え、一歩足を引く。ごめんね、と言えば首を振られた。私も首を振り、気持ちを切り替える。
情報視覚化能力で調べてみるが、アーデヴァニア商会についてはほぼ何も情報が残されていない。この街を基点としているのはわかっているようだが、それまでだ。前任が街を離れた後、何かがあったのだろう。
冒険者組合に辿り着き、なんの問題もなく手続きを開始する。私はもちろんだが、トーヤとナツが登録するかどうかは本人に任せる。二人は悩むことなく覚えたての文字でたどたどしく申込書に記入を終えた。名前と、年齢、しばらく滞在する地域の組合の指定と、出身地。出身地は東の国と記載すればそれでいい。冒険者の縁類がどこにいるかなど詳しく残す必要はないのだから。
「ええと、クラスか。ルティ、俺なんになるんだ?」
「現段階……ええと、冒険者ランク『つぼみ』は大雑把でも構わないんですよ。ある程度依頼をこなして一華になるとき改めて正式に決めて登録する必要がありますけど。ちなみに私は魔法術士ですけど、トーヤは後衛職、ナツは前衛職と記載するだけでいいかと」
「わかった」
二人とも名前は事前に言い含めた通り、本名ではあるがフルネームではない、『ナツ』と『トーヤ』で記入しているのを確認して、三人分受付に提出する。と、受付の少しだるそうにしている青年が、私の名前だけ呼び止める。
「コレに回復かけてくださーい。魔法術士と治癒術士はきちんと回復が使えるか確認義務があるんでぇ」
「はい、――癒しの水よここに」
「は?」
言われてすぐぐるりと杖で円を描き、薄い水膜で差し出された水晶を包んだ私を見て、だるそうにしていた青年が目を丸くする。水晶は非常に淡くだが僅かに発光しているようだ。
「え、あ、半詠唱治癒? ま、まじすか。え、君、つぼみでいいの?」
「……登録したばかりはつぼみでは?」
「いや、そうなんだけど。うわぁ、新規登録で半詠唱なんて初めて見た」
少し興奮気味にしながらも少し待ってくださいねと背筋を伸ばして奥に引っ込んだ青年を見送ると、半詠唱ってなんだ、だとか、前使ってた魔法と違うんじゃないかと尋ねてくるナツとトーヤを少し手招きして、声を潜める。一応、冒険者組合にはまばらだが仕事を探す冒険者もいたのだ。
「ものすごく短い詠唱もしくは行動で魔法を発動させること。普通はもう少し長く詠唱したり印を組んだり準備したりするからね。ちなみに私が前使ったのは天族独特の無詠唱。無詠唱が使えるって知られるのめんどくさいから、この国発祥の魔法を半詠唱でいくつか修得してきたの。威力も今はかなり抑えた」
「なるほど、あんたらしいな」
「いや、らしいけど『修得してきた』ってんなあっさり……まぁルティだもんなぁ」
俺にもできるかな、と呟くトーヤに、心の内でまぁ今教えてないけどできるだろうねと答えながら、時間を確認し予定を組み立てる。……到着が遅すぎたのだ。ひとまずあの建物にいるのは論外なので、出るのは必須。街の外の林の魔物ならナツたちでも対処できるだろうから、林の一部で結界石で安全地帯を作って子供たちとディーナには待機してもらい、店が開いてからあれこれ買い込んで午前中の内に発つのが正解だろう。
「荷車……」
「は駄目だルティアルラ。この世界の常識は知らないが、運ぶのは痩せ細った体力がない子供なんだ、やっぱり荷車よりは人を運べる馬車か何かに布を敷いたほうがいい」
「馬車なんて手配できるのか?」
「できても森に入ったら通れない。私が引っ張って運べたら一番いいんだけど」
「本気であの赤ん坊を連れて行くつもりなんだろ? 話を聞いてる限りじゃ、連れ出さないとむしろまずいのか。なら恐らくディーナさんじゃなくて赤ん坊の体力維持ができるあんたがかかりきりになるはずだ。一番荷車や下手な移動手段を選んで子供が怪我する事態は防ごう」
確かに、とナツの言葉に納得する。あの子はこの世界の血を引いていない子供、同じくこの世界の魂ではない私がせめてあの子の親である前任の残した家につくまで支えなければ、命を繋ぐことができないのは明白だ。風の支援系魔法を使えば軽く運べるとも思ったのだけど……今は時間がない、とりあえず物資を運ぶ荷車だけでも押さえよう。食糧が森に豊富でも、子供は食べ物があればいいわけではない。
「おまたせしましたー」
軽い調子の声がかかり顔を上げると、先ほどの受付の男性に三人揃って呼ばれ、手渡されたのはつぼみに象られた私たちの記章だ。あっさりしたもんだな、というトーヤとナツの会話を聞きながらそれぞれが手のひらにそれを握ると、ほら、とその握った拳を向けられる。顔を上げると、ナツとトーヤがそれぞれそれを突き出すように前に出す。そろりと同じように前に出せば、三つの拳の先で歪な三角形が作られた。
「頑張ろうな!」
にかっと笑うトーヤの笑みに瞬くと、後ろから間延びした声でパーティーは三人で組んでおいていいんです? と聞かれる。それに私が答える前に、二人が「お願いします」と揃って口にした。
「……二人とも」
「いいだろ、今んとこ仮ってことで。パーティー名つけるのもつぼみじゃないみたいだし?」
こうして予想外にも慌ただしい冒険者登録を終えた私たちは、無名の出発を迎えたのだ。