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この世界に来て初めての街であるのは、私も、そして二人も変わらない筈だ。それがゆっくりと見て回ることも観光することもできず、こうして肌を撫でるひやりとした風を感じながら息を潜め、大通りではなくどう考えても治安が悪そうな裏通りを通ることになったのは、なんだか少し申し訳ない。
それにしても、場所が悪い。昼間はいいのかもしれないが、こんなところで子供たちが暮らしているとなると今まで事件に巻き込まれなかったのが不思議なくらいだ。……前任が裏から手を回し守っていたのかもしれないが。
孤児院は街の中心から少し外れた裏手にあった。街出入り口付近の裏手よりは治安が悪いということはないが、やはり大通りから離れてしまうと街灯もなく月明かりでは薄暗い。情報視覚化能力を起動しっぱなしにして孤児院の場所までのマップを表示させ進んでいると、いいなぁ、とトーヤが呟く。
「データが見えるっていいな。俺たちも見えたらいいのに」
これが固有スキルであり通常の魔法とは違うことは説明済みだ。私と魔力を共有した協力関係者であれば見ることもできるのだが。
「そろそろ静かにしとけ、冬夜」
「はいよ」
口元で人差し指を立てるナツに頷いてトーヤもまた表情を引き締める。だが、目的地付近で私は少し息を吐く。悪人独特の穢れた魂を感じないのだ。それどころかやはり、前任が引き取ろうとしただけあって子供たちはかなり強い魂の持ち主であり、空気が浄化されているようにすら感じる。
「大丈夫、敵らしき存在はないよ。子供も無事の筈」
「……無事か。まだ夕飯を終えたくらいだよな? 随分静かだな、子供がいるってのに」
孤児院らしき建物は私たちが拠点としている建物の半分くらい程の大きさであった。小さく、そして古い。石壁は崩れかけた部分もあり、木の板で張り出して補強した壁や扉、窓だって中の様子が確認できそうもない。暗く確認が難しいが、この様子では屋根に穴も開いていそうだ。そして何よりしんとしている。とても、子供がいる場所とは思えない。
「前任が支えていてここまで経営難に……?」
おかしい。とにかくまずは早いうちに接触したほうがいいかと三人で頷き合い、そっと閉ざされた門扉に近づいた。一応柵があり小さな庭も見えるが、ぼろぼろだ。その時だった。んひゃあう、とおかしな声が聞こえたかと思うと、それが少しずつ大きくなっていく。一瞬、頭が混乱して答えを探す。だがそれはしだいにはっきりと、しかし弱々しく「ふぎゃ、ふぎゃ」と続き始めた。
「お、おい。赤ちゃんの声だろ、これ」
「……やっぱりいたのか」
トーヤとナツの声を聞きながら、ぐるぐると何通りかの移動手段を考える。今は無事でも、すぐにでも移動しなければこの孤児院は人込みで売られてしまう。だが赤子がいるとなると、と考えながらもひっかかるのは、この弱々しい泣き声だった。泣き出してから、建物内の気配が僅かに慌ただしくなったが、赤子の声はどこまでも弱い。……状態がよくないのかもしれない。
「やっぱり明日まで待ってられません。行きます」
ぎい、と音を立てて敷地内に入り、数歩先の扉に向かう。と、ぴんと張り詰めたような空気を感じた。聞こえるのは弱々しい赤子の声のみで、しいっ、と必死に宥めようとしている小さな声が聞こえる。恐らく、子供たちを売ろうとしている人間と間違われているのだ。
「こんばんは、前任……錬金術士、プルスタイトの弟子、ルティアルラです。ディーナ様、いらっしゃいますか?」
扉の向こうに伝わるように、しかしなるべく潜めた声をかける。と、がたんと音がたてられたあと、先生、と困ったような幼い声が数度聞こえる中、ゆっくりと扉が開く。
「ディーナ様、ですね?」
「ああ、ああ……! よかった、本当に来てくださったのですね。ルティアルラ様、その高貴なお姿確かに、ああ、よかった……!」
感極まったような様子で、まだ若い女性が飛び出してくる。その扉の向こうに数人の子供たち。少し背丈のある女の子の腕に赤子が、そして彼らを守るように一人男の子が前に立っているのが見える。……数は赤子を入れて10、か。皆細く、しかし瞳だけが力強くこちらを見据えている。
「後ろの彼らは『私の候補』です。ひとまず話を」
「ええ、ええもちろんです。どうぞ、中へお入りください」
周囲を警戒するように顔色を変えた女性、ディーナの実の内に確かに『前任の運命共同体の印』であろう力が残っているのを感じほっとして、後ろのトーヤとナツに目配せし中へと滑り込むように入り込む。外側で見た印象よりはマシであるが、やはり全体的に建物は古く、かなり生活が苦しい様子が見て取れる。子供たちがやせ細っていることからも、明らかだ。
「鳩、受け取りました。何が起きているんです、前任が関わっていてこの様子は……」
「おいっ、お前! ほんとに、だんな様の弟子なのか!」
食って掛かるように私の前に飛び込んできた男の子の手には、細い枝が握られている。手は擦り切れ、顔や足にもあちこち怪我を負っているようだった。先程警戒したように子供たちの前に立っていた、子供たちの中では年齢が高そうな男の子だ。
「いけません、レディオン! この方はっ」
焦ったようにディーナが男の子を止めようと足を踏み出すが、ゆるりとそれに首を振り、少しだけ屈んで視線を合わせた。十歳程、だろうか。こちらの子供についてはよくわからないが、脳内でスイッチを切り替える。
「いいんですよディーナ様。はじめまして、レディオンくん。私はルティアルラです。プルスタイトに頼まれ、あなた達を家にご案内する為に来ました。証拠はそうだな……これ使ってみようか」
懐から一本の小瓶を取り出す。それを見た男の子……レディオンが僅かに目を見開いた。これは前任が用いていたものと同じポーションの小瓶だ。
「中身は私が作ったものですが。まずは傷を治しましょう。それと、これは私が弟子である証として託された魔法具です。見覚えは?」
袖をめくり見せたのは、私がルティアルラの名を受け取った時に同時に得た腕輪だ。恐らく前任も同じものを付けていた筈。この世界に降り立つ潜入官が身を潜ませるために得るものの一つで、強い力を隠す効果がある。
「……ある。これと同じものをつけてるやつが助けてくれるって。でも……お前子供じゃんか」
それは私もそう思う。何度ここに来るまでこの外見で大丈夫か悩んだことか。
「大人、子供、見た目は関係ありません。今必要なのは、皆を守る力、そうでしょう? いい子ですね、レディオンくん。皆を守るその勇気をもって、私に力を貸してください。……何が起きたんですか、ディーナ様」
「様などとおやめください。私はあの方についていく力を得ることができなかったのです。……あの方がこの地を離れて一年と少し。私は、この家と子供たちを守り切ることができませんでした」
「先生は悪くないんだ! あいつらが先生が大変な時に、姉ちゃんに、ねえちゃっ、連れて行かれて……! にいちゃんも、ころ、う、うわぁあっ」
ぶわ、と数人の目に涙が堪る。助けて、助けて、と口々に何があったかと話そうと、子供たちが私たち三人に周りを取り囲む。
ふえ、ふえ、と赤子の声が混じる。それを必死にあやそうと、ディーナが抱きかかえて声をかけているのを見て……ひやり、と背筋を冷たいものが走る。
「ディーナ様……まさか、その子」
その赤子だけが、よく見ると異質に見える。いや、よく馴染んで見えると言えばいいのか。まだ眠る強い力。
私の視線で気づいたのか、びくりと一度肩を揺らしたディーナが視線を赤子へと落とす。慈愛に満ちて、そして悲壮な、悲愴なその表情の色が、全てを物語る。
「……ねえレディオンくん。悪い奴が来るのは、いつかな?」
「明日には、来るかもしれないんだ。借金を返せなかったから、俺たちを全員売るって」
「ナツ、トーヤ。明日朝一に何としてもこの街から皆を逃がします。子供たちが荷物を纏めるのを手伝って」
「は? いや、急ぐのはわかるけどさすがに、赤ちゃんは……?」
「ルティアルラ。まず話を」
「話は私が聞く。まずは子供たちと急いで準備を、早朝すぐに出ます!」
私の鋭い声に、二人が弾かれたように背筋を伸ばし、子供たちを誘導し始める。その間にディーナに近づくと、困ったようにディーナに寄り添っていた少女が一人心配そうな表情をしながら荷物を纏めだす子供たちの和に加わりに行き、そしてレディオン一人が私とディーナ、赤子の元に残る。
「ディーナ様。その子、前任の子ですね?」
確信をもって告げると、こくりと頷かれた。なんてことだ、こんなところに我らの血を引くものがいようとは。