5・ナツ
手を離そうとするのに、離せない。俺の持つ剣は確かにルティアルラを貫いていて、その胸を赤く染めている。
なんでだ、俺は何もしてない、俺は何をやった? なんでルティアルラに、なんで、なんでなんでなんで。
「お前を戦いの最中に引きずりこんだのはあたしでしょ?」
はくり、と口から意味のない息が零れる。頭に響く、ルティアルラの声。
「憎いんでしょ? だから殺した。それだけじゃないかしら?」
「違う!」
俺はルティアルラを憎んだりしていない。憎しみで何かの命を奪っていない。憎むべきは俺たちを召喚したやつらと、冬夜をあんな目に合わせた俺で……そこで、ルティアルラの足元に転がる何かに気づいて息を飲む。
冬夜が、足を中心に血だらけで転がっている。肉が抉れ、何かが見える。目があった気がした。あの骸骨の目のような、どこまでも続く闇のような目で、冬夜が俺を見ている。なんだ、何が起きたんだ、なんで、冬夜、ルティアルラ、――
「ねえ、憎いでしょう。何も知らなければ戦わなくて済んだのにね。お前に戦う術を与えたあたしが憎いでしょう? 貰ってあげましょうか、その力。解放されて、平穏に暮らしたいんでしょう?」
「何、言って」
「可哀そうに。この子にばっかり魔力を与えて、あなたは与えられなかったから、とても不安なのね」
この子、と言ったルティアルラが、己の胸に剣が突き刺さったまま、足元に転がる冬夜を蹴る。何を言っている。あいつは平等に俺と冬夜に魔法を教えて……あいつ? 何かがひっかかったとき、『こいつ』が言っているのはあの日ルティアルラが口移しで冬夜に魔力を流したことだと気づいて、ぞわりと胸の中に何かが燻ぶる。まさかそんな、意図的に俺だけだなんて、そんなわけない。だってルティアルラは、俺も冬夜も時間をかけるしかないって言ってたじゃないか。
魔力が安定している冬夜と、安定しない俺の違い。
「あたしはあなたを騙しているのかも。利用するつもりなのかも。ねえ、憎いでしょ。殺して当然でしょ?」
……違う。確かに今得ているこの世界の知識はすべてあいつかあいつの所有物から得たものだが、あいつは嘘なんてついてない。隠し事はあると自ら言っていても、嘘もついてないし利用もされてない。なんなんだこいつは。あいつは、……は?
あいつはあいつ。じゃあこいつは誰だ。
「ナツ! くっそ、目を覚ませ! こんなものに負けんな!」
目の前の女が叫ぶ。いや、違う。耳に直接届く声。くそ、だなんてあの人形みたいな顔から吐き出すのは、間違いなくあいつだ。それに気づいてすぐ、俺は剣をこいつの胸から引き抜く。赤い血が俺に降りかかるが、なんの熱も感じなかった。
「お前、ルティアルラじゃないな」
ぐ、とルティアルラに教えられた通り剣を構え、駆ける。何かを言おうとしたその喉めがけて、刃を横に払う。足元にいた筈の冬夜はいつの間にか太い根のような何かになっていた。いや、初めからそうだったのか。この根に、見覚えがある気がした。必死に考えてふと、思いつく。
「ふざけるな、あいつの声であいつを騙るな! あいつは、ルティアルラはどこだ! アルラウネ!」
「ふヒっひひっ、なァンだ、バれちゃッタ」
あいつは「あたし」なんて言わない。これは、昼間倒したモンスター、アルラウネだ。
目が覚めた時、俺のそばにいたのは冬夜だけだった。のそりとベッドから起き上がってそれに気づき、まさかとルティアルラの居場所を尋ねれば、どうやら外に出たのだという。
「お前さ、昨日アルラウネと戦ったときに怪我してたんだろ? ごめんな、気付かなくて。ルティアルラが言うには、夏は俺より魔力容量が少しだけ大きいらしいんだよ。で、急激にそれが満たされたってか膨れ上がったことで危ういバランスだったのに、あのアルラウネの変異種がお前になんかその、毒っていうか……体液を入れてたみたいで。お前、幻覚魅せられて暴走しかけてたって」
「……は?」
「急に苦しみ出したからルティ呼んだんだよ。最初はただルティの魔力でお前の魔力押さえこもうとしたみたいなんだけど、お前が「違う」って魘されてたの見たルティがアルラウネの毒に気づいたんだ。もう少しで俺が口移しで薬飲ませるとこだったんだぞ、その前になんとかなったけど」
「……え?」
「で、ルティは今自分に対してとかモンスターに対してとかいろいろ激怒して、すごくまぁ荒々しく薬草採りにいった」
変異種って特殊な能力あるらしくて、それはさすがに解明されてなくてわからなかったんだってさ、と話しながら、冬夜が用意した薬らしきものを渡され、素直に飲み込む。これは一時的なもので、ルティが戻ってからちゃんとした薬ができるらしい。
荒々しく、か。あいつは傍目にはたぶんきっと恐らく美少女に見える外見だろうに、とんでもない見た目詐欺だ。白くて華奢な腕で、俺に襲いかかろうとしたスライムにあっさり短剣を突き立て、裾の広がるスカートで躊躇いなく木を駆けのぼり、俺が下にいても気にせず果実をとって飛び降りてきては「何してんの?」とけろりとしてるような女だ。大人しそうな容姿をして、俺たちを召喚した人間のことを「馬鹿ども」と称し、不意打ちを仕掛けようとする狼になぜか目を輝かせ豹変し、戦いの最中妖艶に笑い、やるじゃん、と好戦的に魔法をぶっ放すやつである。倒す前に一度逃げる隙を与えることもあり、指導を見るに命の奪い合いが好きなわけではなさそうだが、間違いなく戦闘狂だ。矛盾してるのに両立してるような、ぶっとんだ変な奴。
荒々しく薬草を採りに行く様子が目に浮かぶようだ。たぶん肩を怒らせ、隠しもせず足を踏み鳴らし、悪態を吐きながら出て行ったに違いない。
「怪我って腕だけか? 俺も見たけど、めっちゃ細いひっかき傷だよな? あれで操られるって怖いな。さすがにルティも驚いてた」
「……ルティアルラ、怒ってたんだろ?」
「ああ、めっちゃくちゃ。主に自分に対して、だけどな。ってかさ、薬草ってなんだろな。幻覚魅せられてたってことは、あれ生きてたのかね? 胴体両断されてたけど」
「アルラウネか? さぁ……いや、リアルな夢だったな、そうかも」
「……ルティが言う薬草ってアルラウネだったりして。書斎の本にあったけど、アルラウネ薬草じゃなかったっけ」
「おいやめろよ、俺アレから取れる薬とか飲みたくない」
「……まぁ、幻覚見たのはお前が本調子じゃなかったってのが問題だったみたいだし、次ないといいな。俺も『薬草採り』行きたかったわー」
恐らく、ルティアルラはアルラウネには逃げる隙をもう与えない。俺らに手を出した奴に対し、あいつは容赦がないのだ。
にこり、といい笑顔で笑った冬夜は、体拭くもの用意してくる、といって部屋を出ていく。確かに汗をかいたのかべたついていたが、俺は妙に冬夜の笑顔で肌寒くなった気がして、もう一度布団に潜り込んだのだった。ところでなんで、俺に口移しで薬飲ませるのは冬夜なんだ、と考えてしまったことは忘れようと思う。
無事に戻ってきたルティアルラはその頃にはもう落ち着いていた。
俺はとってきた薬草とやらを警戒していたのだが、どうやらアルラウネではなくただの幻覚作用に対する解毒の原料、という付近に生えている何の変哲もない草だと思っていたものだった。それにしちゃ随分時間がかかっていたので、まぁ恐らくあのアルラウネはもう気にしないほうがいいのだろう。
夕方には動き回れるまでに回復した俺を見ると、夕食の席でルティアルラは俺たちに頭を下げた。
「あなた達の覚悟も聞いていたのに、私が中途半端な指導をしたから、あなた達を危険な目に合わせたと思ってる。やるなら今後は、近くのモンスター対策になんて軽いものじゃなくて徹底的に指導する。特殊な状況の対応も対策も、きっと教えれば覚えがいいあなた達はすぐ吸収して、もっと危険な地に向かうことになるって躊躇っていたのかもしれない。その方が危険なことだったのに、強くなればあなた達は旅に出るしかなくなるんじゃないかって覚悟ができてなくて、私が決めてた。ごめんなさい」
いや、と首を振った俺たちを見て、ルティアルラがいつになく真剣な表情だった。中身はともかくとして、真面目なときでもそれが表に出ず、表情や雰囲気がふにゃりとしていることが多いヤツだから、少し驚く。
「ナツの調子が戻ったのを確認したら数日以内に街に出ます。まだ私も確認してないから、アルラウネみたいに変異種がいるかもしれないけれど……道中も訓練です。最初から一緒に行きましょう」
驚きつつも、反対する理由もない俺たちが頷くその前で一人覚悟を決めた表情のままのルティアルラが、さらにゆっくりと言葉を続ける。
「……契約の一部についてもお話しします。忙しくなるけれど、心に留め置いてください」
ここにきて一ヵ月と少しか。見慣れた景色ではないものの、春が終わろうとしていると感じるようになった頃合いで、俺たちの生活にも変化が出始めたのだった。