Episode.0-1
多くの■が育まれる■■を束ねる■■を頂にする数多の■■。その内三つの界が支え合う形で存在していた筈の世界を舞台としたこの場所で。
天界、人界、魔界、という数多ある世界の中でも珍しくない三構成のその世界で、珍しくそしてこの世界ではただ一人の存在となる少女がその日、運命の時を迎えた。その少女が人界で生まれて初めて出会ったのは、まだ若い、この世界で成人とすら見なされない少年二人だった。
生まれ育った筈の天界で厭われて過ごした彼女がそこから堕とされた運命の日、下界で初めて目にした『人間』は、本当に『この世界ではありえない』ただの人間、だったのだ。
「うわっ!? くそ! なんだよ、これ!」
「夏、逃げろ! こんな化け物相手に勝てるわけない!」
「冬夜を置いて行くわけないだろ!?」
ガシャン、バキンというけたたましい音の中で聞こえる声に含まれる焦りと恐怖、そしてそれ以外の何か。感情が強くにじむその声に引っ張られるように少女の意識が浮上した。先ほどまで、おい大丈夫か、と心配そうな声も聞こえていた気がする、と少女はそれが自分に向けられたもののように感じて僅かに気分を湧きあがらせながら身体を起こそうとして、痛む身体に呻き声を上げ、舌打ちをする。
灰色に見える髪は煤けたせいだとわかり、本来の色はわからない。汚れなのか毛先は僅かに赤茶に染まっているが、頬に擦り傷を作りながらも非常に整った、作り物のように可愛らしい見た目の少女だ。だが、その表情は怒りやら憎しみやら呆れといった負の感情が滲み、人形のように整ったその唇から小さな罵倒すら漏れる。
あいつら思いっきり下界に堕としやがったな、許さん覚えてろ。
零した声は掠れて小さくか細いものではあったが、聞いた方が混乱しそうなほど言葉と見た目に差異がある。荒ぶったまま真剣な様子で決意を新たにしたような少女の視線が音の方に向けられたその時、すぐ隣にいた、赤く赤く染まる足を押さえて苦痛に顔を歪めた少年の一人と目が合い、そしてお互い目を見開く。
なんだこれは。
先ほどから少女の耳に届いていた不快な音の発生源は、骨だった。いや、ただ骨がそこにあるというわけではない。肉は既に削げ、骨のみとなった人骨らしきものが、二足歩行で歩き回っている。音の発生源は骸骨だったのだ。ぞわりと嫌な予感が少女の全身を巡る。骸骨はぼろぼろの布切れや鎧を纏い、欠けた刃の剣を振り回して、足を怪我しているらしい少年と荒れた地面に寝そべったままだった少女、そしてもう一人、必死にその二人をを守ろうとするように枝を振り回す少年に、まるで揶揄うように群がっている。控えめに言って大ピンチだ、と少女がそうは思えない口調で呟いたのが少年二人には届かなかったほど、この場は混沌としている。
だがこれでも少女はひどく混乱していたのだ。堕とされるのは予想通りであったが、目の前にはアンデッド系の敵、そして何よりそんな場所にいる筈のない少年二人の魂の異質さと、響の違う名前らしき言葉に少女はまさかの可能性に気づいてしまっていた。腐っても彼女は『ただ一人の者』なのだ。そう……この世界の魂ではない者の看破と、その原因、禁忌である異世界召喚を行った者がこの世界にいるかもしれない可能性に気づいたのだ。そしてそれは、『この世界でただ一人の者』である自分の仕事の管轄だ、ということに。
少女は歯を噛み締めるとぐっと体を起こして腕を何もない上方へと向ける。思考が漸く追いついたのだ。戸惑った時間もこの戦闘中ではわずかなものであるが。
「なんで『ただの人間』がこんなところにいるんです! 主よ、契約する! 界渡部隊第一所属ルティアルラ、名を確かに受け取った!」
まるで腕に枷のように淡い光――凝縮された魔力が筋を作ったかと思うと、それは金銀混じる環に、小振りの石が輝く腕輪となって少女の白く細い腕を彩った。次いで掲げたその手の先にぐっと空気が圧縮されたかのように集まり、一瞬で弾けるようにそれは形となって少女の白い手の中に一本の、木の枝を荒く削ったかのような杖を作り出す。それを握りしめ、地面に突き立てるようにして立ち上がり、少女は素早く詠唱したそれを解放した。
「エリアヒール!」
強い癒しの力が三人を包んだところで、知性があるのかないのか、骸骨たちが少女を危険人物だと判断したらしい。本来眼球があったであろうそのくぼみと、目が合ったような気がした。どこまでも続く深淵を覗いてしまったかのような感覚と、そして確かにその奥から感じる視線に、少女の肌が僅かに粟立つ。どこまでも、どこまでも深く暗い。その視線は確かに枝を振り回す少年から少女に向けられたのだ。狙い通りと言えばそうなのだが、一度歯を食いしばった少女はそれをちらりと確認したのみで口の端をにいと持ち上げるにとどまり、そしてその視線の先では、傷の癒えない少年二人が目を見開き、一瞬淡い光に包まれた自分たちの体に視線を走らせている。
くそ、やっぱり予想通り。再び吐き捨てるように呟いた少女が、自分より大きな少年二人を背に庇う。墜ちたばかりとはいえ危険な敵から少しでも守ろうとしてくれた二人に対し、恩を感じたのかもしれない。
「こんな杖じゃ長く持たないから下がって! 甚振られている間はいいけどこいつらの相手はただの人間じゃできない! ああもうっ、こんの中身空っぽの骨野郎大人しくしてろ!」
言葉はなかなかに辛辣であったが。
杖を持つ反対の手に今度は飾り気のない短剣を形作り、襲いかかる骸骨の頭を狙って振り抜けば、少女の持つ短剣の先でガシャ、と音を立てて割れそれは吹き飛び地面に崩れ落ちる。そのまま肋骨を素手でバキリともぎ取り、どこから走り寄ってきたのか一匹の肉が腐り落ち骨が見える狼を犬扱いしたようで、とってこいと言わんばかりに折れたての骨を投げつける。しかしそれを追うことなく狼の頭にそれは突き刺さり、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。とんだ凶器である。
だがこの骸骨戦士はどこが致命傷になるのか、頭蓋骨の一部を砕かれ肋骨を餌扱いされながらもカタカタと顎を揺らして立ち上がろうとする様子に、少女はふざけんなと思わずといった様子で叫んだ。今の一撃で死なないということは少なくともここはある程度『高難易度』危険地域であるのは間違いない。まあ、アンデッドなどそうそう低難易度地域に出没しないのだから嫌な予感は当たったと言える。少女を堕とした者たちは、本気でこの下界に堕としたことで殺すつもりだったらしい……それを理解したところで生まれ育った地に想いを馳せることもせず、少女は視線を走らせる。少女の胸にあるのはただただ使命と怒りだった。
あれが天族のやることか、あいつらこそ魔族じゃないんだろうか。人の羽もぎ取りやがって今度会ったら羽狩りだ! と怨嗟を吐きその怒りを糧にため込んだ魔力を杖に込め、叫ぶように声を張り上げた。
「燃え尽きなさい! ファイヤーバースト!」
ごう、と炎が巻き上がり、ガシャガシャと耳障りな音を立てていた骸骨たちが、爆発するように灼熱の炎に包まれた。熱風が肌を撫でるが、自分の生み出したそれに少女は何の痛みも感じない。そしてまた少年二人も、呆然とその炎を見ているだけで、その表情に苦痛を浮かべてはいなかった。少女にとっては日常で、少年二人にとっては異常なその炎は、『味方』と判断したものに害のない優秀な魔法なのだ。理由はそれだけではないだろうが。
とりあえず少女は、弱点がわからないなら丸焼きにしようと思い立ったらしい。
崩れ落ちる骸骨たちを見ながら、確定だ、と少女は杖を握りしめる。どこの馬鹿野郎か知らないが、少年たちは呼び出されたのだ。異世界召喚魔法か、何らかの儀式による巻き込みの偶然か、『神界』関係のご意志、か。なんにせよ巻き込まれてしまっただろう『トリップ』と呼ばれる現象の被害者を前にして、少女ははぁと一度、小さなため息を吐いたのだった。
久しぶりの投稿です。こちらは少しの間毎日更新、連載中作品については徐々に更新予定です。