第六話 黒い真珠
30分以上もオーバーしてしまった...!
毎日更新三日目です。
ああああ、明日は頑張るぞおおお!
通告ともとれるような宣言が、馬車の中に波紋を生じさせる。
「来たか…!ヴァン、操車は出来るな?」
「えぇ、無茶ぶりだなぁ」
「つべこべ言うな。他の護送隊と連絡は付くか?」
「いえ、先ほど魔響石に反応があってからは何も...!」
「なんとか生きていてほしいものだ」
アシュレイが舌打ちとともに呟く。そのままちらりと勇真と藤を見て、再びヴァンに向き合った。
「ヴァン、幸運なことに相手は情を持ち込む馬鹿だ。今だっていきなり攻撃を仕掛けてこないほどだ。お前はユウマとフジを乗せてこのまま公爵領へ急げ。ここは私たちが死んでも通さん」
「ア...シュレイさん...」
「ユウマ、それにフジもだ。あれが魔族だ。私たちが倒すべき敵だ」
アシュレイが早口で囁く。
「怖いか?...怖いだろうな。私も怖い。怖くてたまらないよ」
そこで気付く。これほど的確に状況を捌いていても、勇真や藤に優しく声をかけていても、アシュレイだって恐怖で震えているということに。
こんな小さな体で一体どれほどの覚悟を抱えているというのか。
「だけど私がここであいつをどうにかしないとあいつは誰かを殺す。それは戦場の兵士かもしれないし、明日のお前かもしれない。だから、私は、私たちはやるしかない」
瞳に悲壮な覚悟を浮かべながら、アシュレイは勇真に語り掛ける。
逃げてしまえばいい。なにもかも、すべてから。そんな無責任な言葉をかけるわけにはいかなかった。
アシュレイはただただ大人だった。責任に雁字搦めになったそんな大人。
「おーい、早く出て来いって言ってんだろー?もしかして死にたいのかー?」
しびれを切らしたかのように外から催促の声が上がる。
「じゃあ、ヴァン、後は頼むぞ。私がまず目くらましをする。そうしたら全速力でこの場から逃げてくれ」
アシュレイは自分の腰元に手を添えながら、そう言った。
その腰元には膨らんだ巾着が吊るしてある。恐らくアシュレイの奥の手だろう。
「幸い先遣隊も無事だったようだ。まあなんとか、してみせるさ」
アシュレイが護衛隊の一人に目配せしながら付け加えた。手に鈍く輝く鉱石を持っている人だ。恐らく先ほど話に上がった魔響石というものだろう。
次々に手短かに指示が発せられる中、やはり勇真は動けない。恐怖が泥のように絡みつき、体を鈍くする。藤もまた同様に震えるばかりだった。
「そろそろやつもしびれを切らすだろう。私が3つ数えたら作戦開始だ」
すべての指示を物の数十秒で出し終えたアシュレイが、巾着から白い球体を取り出す。
その見た目は今ヴァンから渡された箱に収められた黒い球体とひどく類似していた。
大きさは女性の拳大と言ったところか。独特のぬらりとした光沢がある。
アシュレイがそれを軽く握りしめると、その球体は表面に幾重にも重なった幾何学的な模様を浮かべた。
「魔術...式...」
勇真が小さく呟く。
すぐさまアシュレイの口が小さく動き、次いで数字を紡いでいく。
「3......2...」
ヴァンが手綱を取り、アシュレイが扉に手を添える。
否応無しに高まっていく緊張感。
静まり返る馬車の中。時間が引き伸ばされる錯覚すら覚える。
「...1!」
少しの間の後、アシュレイが勢いよく扉を押し開ける。
そこで初めて勇真の視界に魔族の全体像が映った。
そこで勇真は驚愕に包まれる。
そこにいたのはごく普通の少年だった。
見た目からすると、勇真たちとほぼ同じ年頃だろうか。
フードのついた灰色の薄い外套のようなものに身を包んだその姿は、まさしく勇真たちと何も変わらない人間の姿でしかなかった。
「まっ...!」
思わず、口から声が漏れる。
しかし、状況は一瞬の停滞すら待つことなく動いていく。
「攻撃!」
轟くアシュレイの咆哮とも言える声。そしてその声に応えるように、手に握った真珠を思わせる白い球体から光の線が伸びる。
瞬く間。そう表現しても過言ではないほどの時間でその線は空中に模様を書き上げる。
そして次の瞬間、そこから光が弾けた。
―――いや、そう錯覚するほどの光弾のようなものが目で追えるかどうかという速さで前方へと射出された。
その光弾は吸い込まれるように少年へと――――届くことなくその手前で地面に激突した。
激しく宙を舞う砂に覆われ、双方の視界が完全に塞がれる。
最後に行け、とだけ叫び、アシュレイと護送隊が馬車から飛び降りていく。
ゆっくりと、そしてすぐに最高速度で走り出す馬車。乗り手の快適性、安全性をまったく考慮しないその走り方が今の状況では最適と言えた。
上下左右あらゆる揺れに襲われる車内で、勇真は一人試案に暮れていた。
あれでよかったのか。あの方法しかなかったのか。しかし、自分には何も出来ない。何かを守れるだけの力がない。寄せては返すさざ波のように、同じ思考が止めどなく反芻される。
何か、何か、何か、何か。
自分でも訳が分からなくなるほど、雲を掴むような可能性を――何かを執拗に追い求める。
何か、何か、何か、何か!
何故ここまで心が掻き立てられるのか、勇真自身も分からない。
アシュレイの言葉に心を打たれたのかも知れない。護衛隊の人たちの覚悟を決めた顔から何かを感じ取ったからかも知れない。
――――隣にいる、幼い頃から見知った女の子を守りたいからかも知れない。
そして唐突に、今まで思い浮かばなかったのが不思議なほど簡単な事実に、勇真は気付いた。
「力...。魔族に、対抗出来る...力...!」
勇真はヴァンから手渡され、ずっと抱え込んでいたそれを見つめる。
フレディが言っていた。
これは『力』だと。
これが『力』だと。
これこそが、勇真が今心から求めるものかも知れなかった。
「勇くん、それ、貸して」
ああ、なんて強いのだろう。藤の強い意志の籠った瞳に見据えられ、勇真は不思議と落ち着いた心でそう思った。
そして、その言葉が最後の後押しとなった。
「勇くん、フレディさんが言ってた...。わたしが―――」
「いいや、俺が使う。これはたぶん、俺がやらなくちゃならないことだ」
藤がなおも食い下がろうと口を開く。
しかし、勇真は震えが止まった手で藤の手を強く握ることでそれを遮った。
「ずっと考えていたんだ。逃げればいいって。俺たちは被害者だから、何もかも知らんぷりして遠い安全な場所で終わるまで待ってたらいいって」
藤はもう口を挟むような事はしなかった。
ただ勇真が握った手を固く握り返し、真っ直ぐと勇真と目を合わせ続ける。
「でも、それじゃあずるい大人と一緒だ。俺は、ああはなりたくない」
今この瞬間は、この時だけは勇真と藤は馬車も、揺れも、何もかもが消え去り、二人しかいない空間にいた。
勇真はおもむろに手を伸ばす。
その先は藤の柔らかな髪の上。優しくその上を撫でるように左右に動かす。
いつもは大和がやっていたことだった。
藤はなされるがまま、何を言うこともなく一度目を閉じ、そして再び開く。
「だから、信じてみるよ。自分の可能性を。そして、何かをって言い続ける自分の心を」
そして笑った。
それだけで、不思議と全能感が溢れてくる。
今なら出来ないことはない、出来ないはずがない。根拠のないそんな自身が体の奥底から湧き上がってくる。
勇真は手に持つ箱をゆっくりと開ける。不思議と鍵のようなものはすんなりと開いた。
中から現れるのは、フレディによって見せられた時と寸分変わらない二つ黒い球体。
いや、魔族に直に触れたからだろうか、圧力のような存在感が感じられた。
黒い球体に手を伸ばし、手前で止まった後、勇真は右側にあったものを手に取った。
途端、アシュレイの持っていた白い球体と同じように、いやそれ以上に複雑な模様が浮かび上がる。
「不思議だ...。アシュレイさんのは分からなかったのに、これは分かる...」
―――そうか、これはたしか研究室のごみ箱に捨ててあった紙に書いてあった...。
勇真は一人納得する。
「勇くんには、これがなんて書いてあるかわかる、の?」
「うん、アシュレイさんに色々教えてもらったからね。...藤も教わればすぐだと思うよ?」
藤の疑問に答えを返し、勇真はそれどころじゃないと頭を振る。
今こうしている間にも、アシュレイたちは刻一刻と死に近づいているかもしれないのだ。
使っていいだけの時間は先ほどのでもう使い切った。
「じゃあ、行くよ。......起動せよ――――ヴェルン・デチカ」
勇真がその起句を唱えた瞬間、馬車の中は眩い光に包まれた。
―――こうして箱は勇真という鍵によって開かれた。
その箱の中身は絶望か、はたまた希望と呼べる何かか。
今はまだ誰も知る良しもない。