しんでもあなたをあいしてる
季節はめぐりめぐって一年が経ちました。
近くの高校の私が観察対象としていた生徒会役員さんの半数は卒業してしまいました。生徒会長と副会長が取り合っていた庶務の女の子は、どうやら副会長とデキてしまったようです。やんちゃ系男子の勝利、俺様男は敗退に決したようです。ヨカッタデスネ。
そして、私が悪戯した看護士の林原さんは前のようにすっきりと痩せ、このごろは幸せそうな雰囲気です。仕事中には付けられないので、ネックレスのチェーンに通しているようですが、どうやら彼氏さんにプロポーズをされたようです。ヨカッタデスネ。
いえいえ、いくら私が幽霊で、好きな人ともう結ばれることがないとはいえ、幸せな恋人たちを見て「リア充爆発しろ」なんて言いません。ええ、投げやりになんてなっていませんてば。
極楽寺病院は今日も満員御礼のようです。全くありがたくなんかないですけどね。病院と警察は暇な方がいいんです。
院長先生はふくふくとした顔をホクホクとさせて、税金対策といいながら買った、なにやら室町時代のなんとかって人が作った壺をみがいていますね。陽光を反射して頭と壺が光りかがやいています。
正反対の表情をしているのは一階事務室奥にデスクを持ってる事務長さん。この人はなにかと苦労性のようです。胃薬が手放せないようです。今度内科にかかったほうがいいのではないでしょうか。
整形外科の女医さんは、相変わらずではありますが、どうやら新しく来られた研修医の若い先生を手取り足取り腰取り……指導するのが楽しいようです。
救急の先生と産科の先生はいつも緑色の術衣に白衣をひっかけ、バタバタと院内を走り回っています。それで、看護師長さんにお小言をもらったりもしているようです。ああ、また救急車が停まりました。第二次救急指定病院なので、搬送がひっきりなしなのです。
私の来世の恋人、皐月さんも走ってきたようです。ストレッチャーに乗せられているのは小さな男の子。すぐ後に取り乱した様子のお母さんらしき女性が続きます。どうか大事ありませんように。心配しているご家族のためにも、一生懸命手を尽くしてくれる皐月さんたちお医者さんのためにも。
それでも病院というところは誕生と死別に一番密接な場所であるのでしょう。空から白い大きな鳥が魂を運んできます。そして亡くなった人の魂を載せて、どこかへ運んでいきます。毎日それらの様子を見ていて、最初こそは白い鳥に見つかってはいけないと警戒し、逃げ回っていましたが、このごろの私の気持ちは少し変化していました。
私はどうしてここに留まっているのでしょうか。
私はいつまでここにいられるのでしょうか。
いえ、未練があったからこそ成仏できなかったのでしょうが、何かを成すわけでもなく、皐月さんを追い回す日々。皐月さんに姿を見、声を聴いてもらえるとはいえ、触れもしなければ触ってももらえません。いやだ、触ってもらいたいだなんて、はしたなかったですね。
こほん、こほん。
ともかく、当初の目的だったはずの『皐月さんが天寿を全うするのを待って一緒に逝く』ことに不安を覚えるようになりました。
皐月さんが彼女を作って結婚して幸せになることに、心から応援できる自信はありません。
けれど皐月さんを待っていても一緒に成仏できるのか、そして来世で一緒にいられるのか、自信が揺らいできたのです。いえ、自信など最初からないのです。そう自分を誤魔化してきただけなのです。
不安にかられるようになった原因は分かっています。
巻き爪治療で入院中の見た目はチャラいお兄さんが持ち込んで読んでいた某漫画。それを私は横から読ませていただき、死後の世界があることに、そして死んだ人間はすべて裁判を受けなければならないことに気づいたのです。
親より早く死んだ子どもは、賽の河原という場所で石積みを課せられるとか。
これは重大ニュースです。
何歳までが子どもなのか、いつまで石積みをせねばならないのか、あの世に行ってみて閻魔さまに確認をとらなければなりませんが、小学校を卒業していない私は紛れもなく子どものカテゴリーに入るでしょう。ああ、うまく石を積めるでしょうか。
一刻も早く成仏し、石積みを始めなくては皐月さんと一緒に転生することは叶わないのではないかと不安なのです。
だって、飲酒、喫煙が出来て、選挙権を持ち、納税の義務を果たしている皐月さんは大人だから。
きっとあっさり私をおいてけぼりにして成仏するに違いありません。
さっさと成仏して、お勤めを果たし、あちらで待ち伏せしておいて、今度こそ同じ歳で転生するんです。幼馴染の美味しいシチュエーション付きですよ!
これは恋に発展するしかないと思いませんか。
けれど、どうすれば成仏できるのか。道を見失ってしまった私には、それさえ分からないのでした。
そこで私は、成仏できるかもしれないという方法を試してみることにしました。
まずは女性週刊誌に載っていた有名だそうな霊祓師の周りをうろついてみましたが、成仏させられるどころか、存在にも気付いてもらえませんでした。そして、てんで見当違いの方向を向いて、
「水子の霊がさまよっているのが原因ですな」
と錫杖のようなものをシャンシャン鳴らしているだけ。水子ではなく、旦那さんが不倫の末、手酷く関係を終わらせた女性の霊がそばにいたのですが、気付いてもらえず、二人して肩をすくめただけ。
その女性も祟るために来られたわけではなさそうでした。彼女なりに愛していた男性に別離の挨拶に見えたようでした。
『気付いて貰えるなら、少しでも記憶に残してほしくてポルターガイスト頑張ってみたけど、てんでダメね。彼も奥さんも怯えるだけで霊感の欠片もないんだから』
早く消えてくれとばかりに念仏をあげる男を仕方なさそうに、でもどこか愛しそうな顔でお姉さんは微笑みました。
お姉さんの足元がまばゆい光に包まれたかと思うと、あの白い鳥がお姉さんを乗せていました。
『さようなら』
そう声をかけた私にお姉さんは手を振ります。
『さようなら、お嬢ちゃん』
お姉さんを乗せた白い鳥が空に舞い上がり、見えなくなりました。
次に私は教会へ行ってみました。
教会は白い光に溢れています。
私はウェディングドレスを着て父とともにバージンロードをゆっくりと皐月さんのところまで歩きます。永遠の愛を誓い、誓いのキスはもちろん唇に。
ヴェールを上げる皐月さんに、はにかみながら微笑む私。
皐月さんは腰を屈めて、そっと触れるだけのキスをしてくれるの。そして、
『もの足りなさそうだね、夜までお待ち、僕の可愛い花嫁さん』って、意地悪そうに微笑むの。でももうその瞳は初夜のことを妄想していて、熱く煌めいていて、私は顔を赤くしながら彼の胸に飛び込むの。カラーン、カラーンと二人の婚姻を知らしめる鐘が高らかに町中に響き渡り……。
きゃーーーー!
彼だって!
と、そこまで妄想を逞しくしたところで気付きました。
うちは仏教徒だったのでした。お葬式も仏式で出してもらったし、イエス様には悪いけど、ここからじゃ、私の目指すあの世と違うところに逝っちゃうかもしれない。
そして私は、今度はお寺に行ってみました。お母さんが『うちの菩提寺よ』と言っていた、そして私のお葬式で派遣されたお坊さんがいるお寺です。
境内にたくさんの小さなお地蔵様が、赤い前掛けを着けてもらって並んでいるのです。そのお地蔵様がかわいくて、私は蓮池幼稚園の頃、よくここに忍び込んでは境内で遊んでいたのでした。
今もあるのでしょうか。ひとつだけ仲間外れにされたように離して置かれているあのお地蔵様。入退院を繰り返し、友達ができにくかった自分のようで、私が友達になってあげる、なんて言って、よくその辺の草っぱらで引きちぎってきたお花をお供えしてましたっけ。
ふよふよと移動して、懐かしいあのお地蔵様のところまで行きました。赤い前掛けは少し退色していますが、優しい顔をした石のお地蔵様は記憶のままでした。穏やかに糸目で微笑む、少しふっくらとした頬のお地蔵。その姿を見ていると、何故か涙が溢れてきました。
といえ、実体はないので、地面が濡れたりはしないのですが。
私はお地蔵様に見守られながら、嗚咽を上げ泣いてしまいました。
ーーどうして成仏できないのか。
ーーどうして中学の制服に袖を通す前に死ななければならなかったのか。
ーーみんなと一緒に学校に行きたかった。
ーー恋もしたかった。
ーーお父さんとお母さんを哀しませたくなかった。
ーーもっと生きていたかった。
入退院を繰り返した私も色々なものを我慢してきたけれど、娘の余命を知らされながら毎日そばで看病してくれていたお母さん、笑顔で励まし、痛い治療や退屈な入院を頑張っていると褒めてくれたお父さんの気持ちは、私よりもっと辛かったはずでした。
お父さんとお母さんはなかなか子どもができなくて、不妊治療を頑張った後に産まれたのが私でした。高齢出産で、一時はお母さんの命も危ぶまれ、帝王切開になったのだと聞いています。
奇跡が起きない限り、次の子は絶望的だと言われていたのに。
先に死んでしまって、本当にごめんなさい。
最後の入院になる前の授業参観で、ちょっとでも、自分のお母さんがおばあちゃんみたいだって恥ずかしく思ったときもありました。
お父さんとお母さんが哀しんでいるだろう様子を見るのがつらくて、私は死んでしまってから家には戻っていないのです。
四十九日の法要も、初盆も、お父さんとお母さんが私の冥福を祈ってくれているのに、私はそこにいませんでした。
しばらく泣いて、もう涙がでないという頃になって、私は菩提寺の敷地内にある墓地の自分のお墓の前に来てみました。
墓石はまだ新しく、綺麗に掃除されていて、赤を基調とした花束が供えられていました。
私の好きな赤です。もう枯れたように思えていたのに、また瞳は潤みかけていました。その時、
『美幸ちゃん、お迎えに来ましたよ』
高原に吹き渡る風のように涼やかな声が傍で聞こえました。
見ると長めの前髪の青年が穏やかな微笑を湛えて立っていました。
『誰?』
青年はにこりと笑みを深くしました。目が糸のように細くなり、私は既視感を覚えました。
『私は地蔵菩薩です。美幸ちゃんが困っていると報告を受けましたので、お迎えにきました』
なんだかつるっつる頭でふっくら頬の地蔵様とは思えない美貌の青年です。地蔵様だと言われても俄には信じられません。
青年はさあ、と手を差し伸べました。
でも、知らない人に付いていっちゃいけないし、お兄さんがいくらイケメンでも私には将来、いや、来世を約束した皐月さんがいるので、その手を易々と取るわけにはいかないのです。
『報告って、誰に?』
でも、お兄さんの言い様が、まるで会社勤めしているみたいな言い方で、ちょっと変でおかしくなってしまいました。
『ふふ、笑ってくださいましたね。美幸ちゃんは笑顔が可愛らしいですね』
かぁっと顔が赤くなった気がします。そんなデレたセリフ、皐月さんにも言われたことがないので動揺します。
『シラサギタクシーの鳥さんたちです。美幸ちゃんを度々見かけては、心配していたようです』
あの白い鳥さんたちはタクシーの運転手さんだったんですか!
でも、心配って。それなら、私が成仏する気になった時に乗せてくれれば良かったのに。私には白い鳥さんたちは来てくれませんでした。あのお姉さんを乗せて逝くときに、相乗りしますかって、聞いてくれれば良かったのに。もしかしてあのタクシーさんはひとりしか送れないのでしょうか。
『美幸ちゃんがこの世に気持ちを残しているのは報告を受けていました。隠世に逝く気持ちになってくれるのを待っていたんです』
『でも、私、あの世に逝く気になったのに、白い鳥さんが来なくて』
お地蔵様は優しいお顔のまま、こくりと頷きました。
『私が優しい美幸ちゃんのお願いをひとつききましょう。そして、それで私と一緒に逝ってくれますね?』
お兄さんには私にどんな心残りがあるのを見透かされているようでした。
皐月さんに恋人ができるのを見たくない。だけど、幸せにもなって、もらいたいのです。私にはもうできないことですから。
でも、心残りと言われて頭に浮かんだのは、花に埋まるように横たわるお棺の中の私を前に泣き崩れる両親の姿でした。
『お兄さん……お地蔵様、私の願いはーーーー』
そのあと、私はお地蔵様に少し待っていてもらって、極楽寺病院の皐月さんを訪ねました。
『皐月さん、さっきの男の子はどうだったんですか?』
ベンチに座って棒アイスを食べていた皐月さんは、突然現れた私にも驚かず、口の中のアイスを飲み込んでから少し難しげに言いました。
「とりあえずは、なんとか。まあ、あとはあの子の生命力に賭けるしかないけど……」
白い鳥さんが迎えに来ている様子もないのです。私は皐月さんに微笑みかけ、無責任に聞こえるように言いました。
『大丈夫ですよ、きっと、大丈夫』
「お前はまた、そんな適当に。……でもまあ、そうであって欲しいね。サンキュー、美幸」
いきなりの名前呼びに照れつつ、白いワンピースの裾をぎゅっと握って、なるべく明るい声で言いました。上手く笑えているでしょうか。
『皐月さん、私、先に逝きますね』
「どこへ」
皐月さんはきょとんとした表情を見せました。
『えっと、天国とか、浄土とか、極楽とか黄泉の国とか言われるあの辺です』
私の言葉を聞きながら、皐月さんが苦しそうに表情を歪ませているというのに、私はそれが少し嬉しいのでした。本当に仕方がない私です。
「そうか……俺がお前にいて欲しいと願ってたばかりにお前を引き留めてしまってたんだな。それが美幸をこっちに縛り付けていると知らずに。今まですまない」
それは、半分本当で、半分は違うのですが、最期の最期に皐月さんのデレ、頂きました。もう、本当に思い残すことはありません。
私、皐月さんにそこまで想ってもらえて幸せです。
本当に、本当に、幸せ。
実体がないので流れるはずのない涙が、また頬を伝ったように感じました。ふわりと霊体を囲むようにギュウされて、感じるはずのない皐月さんの温度が伝わったような気がしました。
『本当に皐月さんったら、ロリコンなんですから。仕方がありませんね……えへへ、……皐月さん、これまでありがとう。本当に大好き、本当に……ありがとう』
いつの間にか、煙のような身体は白く発光していて、フワリと浮かんだように思いました。普段も浮かんではいたのですが、何と言えばいいのか……普段の霊体でのふわふわが操縦しながら乗っているラジコンであるならば、これは抗えない力で上に引っ張られる感じですーー。
空気を読んだお地蔵様は、あの美青年の姿ではなく、神々しい地蔵菩薩様のお姿で七色の雲に乗って待ってくれていました。
皐月さん、もしお母さんがそちらの病院に行ったら、その時はよろしくお願いします。私の弟か妹を、どうぞ、よろしくお願いしますーーーー。
私のお願いに、白い鳥さんが小さな命を私のお母さんに運んでくれました。
これで私を亡くした哀しみが癒えるとは思わないけど、それでもお母さんには笑っていてほしいと思うのです。
ありがとう、さようなら。
☆おまけ☆
七色の雲に乗った後、私は遠ざかる皐月さんを見送りながら、説明しがたい気持ちを持て余し、ぽふぽふと雲を叩きました。いえ、成仏に関しては私の意思なので、それとは関係ありません。
皐月さんにもし見えていたときのことを考えて、誤解を生まないために、また私が後顧の憂いなく旅立つために今の姿になってくださったのだとは理解しています。ええ、いきなりお地蔵様の顔面偏差値が下がったことに不満はありません。ええ、たぶん。
「美幸ちゃん、どうしたのですか?」
「いえ。ちょっとボーっとしてました。鳥さんにも乗ってみたかったなってぼんやりと」
「そうですか」
「あと、どの姿のお地蔵様が本物なのかな、って考えていたものですから」
お地蔵様は糸目をぱちくりと開けました。そんなに変なことを聞いたでしょうか。
「どの姿が本物か、ですか。私は幾つもの姿をもっているので、どれも本物なのですが……そうですね、カササギタクシーが良かったのなら呼んであげましょうか?」
どうやって呼ぶのかなと少し興味はありましたが、こんなにいい乗り物を用意してくださったのに、好意を無駄にするような言い方をしてしまいました。
「いえ、すみません。これで充分です。七色の綿菓子みたいでかわいいです」
お地蔵様はにっこり笑って、
「綿菓子ですか。それはおいしそうですね。ところで、この姿はいささか窮屈なので、少しラフは格好に変えさせていただいてもいいですか」
「あ、はいっ、もちろんです」
でも、その姿がいちばんお地蔵様らしいのになぁと不思議に思いました。
「ありがとうございます」
お礼を言われることではないのに、お地蔵様はそういうと、ぽふんと美青年の姿になった。
「こっちがね、普段の恰好なんです。あちらはどこから見ても『お地蔵様』でしょう? イメージって一度固定してしまうとなかなか、ね」
ふふっとお地蔵様が笑いました。
「実は私は時々この姿で下界、つまり人間界に降りたりしているんですよ」
そう聞いて、さっきのようにお仕事で私みたいな子どもの霊を導いているのだろうと納得しました。
お地蔵様はうっとりと何かを思い出すように糸目になりました。
「抹茶パフェ、黒蜜きなこのかき氷、豆大福……ああ、お団子やきんつばも絶品ですねぇ」
あまりの意外性にすっころびそうになりました。お仕事だと思ったら食べ歩きだったなんて。
私があんぐりとして見ていると、お地蔵様は恥ずかしそうに頬を赤らめ、
「もちろん、衆生を見守り、迷える小さな魂を導くためのお仕事もしておりますよ」
そちらが本当の目的ですとばかりに、胸に手を当てて言うお地蔵様。こんなキャラだったなんて、ちょっと驚きだ。
「大福の話をしていましたが、美幸ちゃんのほっぺも柔らかくておいしそうです。ほっぺすりすりさせていただいてもよろしいですか」
にじり寄るお地蔵様(美青年バージョン)。
私は思わず雲の端っこまで後ずさりました。
「わ、私、来世を誓い合った彼に操を立ててますので、ちょっとそれは遠慮させていただきたく……」
お地蔵様は訳知り顔で頷きました。
「先ほどの彼ですね。しかし彼がこちらにいらっしゃるのはあと、」
と、そこでお地蔵様は自らの手でお口に蓋をされ、何事もなかったかのようににっこりと微笑みました。
それからは何度話題を戻しても、いつの間にか生前観ていたアニメや漫画の話題になってしまい、とうとういつ皐月さんがこちらに来るのか教えてもらえませんでした。それにしても現世のアニメまでチェックしているとは、さすが子どもの霊を導くお地蔵様です。完敗です。