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2017年の卒業式―田中教頭の挑戦―

掲載日:2016/06/20

卒業式直前、田中教頭は大事な名簿を忘れてきたことに気づく。

その名簿がないと、卒業生の名前を読み上げることができない。なぜってキラキラネームばかりだから。


初投稿なので、そのテストのための投稿です。

 2017年3月上旬。私立佐藤中学の卒業式の朝。


 教頭の田中太郎は、いつもと違う職員室の、この独特の空気が――緊張感と和やかさがないまぜになった空気が――好きだった。

 クラス担任となっている教師たちが、次々と部屋を出ていく。



 田中は落ち着いて、ゆっくりとお茶を飲む。


 彼の出番は式が始まってからだ。

 校長が卒業生1人1人に卒業証書を手渡す。その際、生徒の名前を読み上げるのが、教頭である彼の今日の仕事だった。



 壁にかかった時計に目をやる。在校生が体育館に入りはじめた時分だ。

 さて、そろそろ私も行くか。


 田中は卒業生名簿を取り出そうと、机の引き出しを開けた。


 そこにあるはずの名簿が……なかった。


 しまっている場所を間違えたか。田中は他の引き出しも開けてみたが……見当たらない。



 一瞬、肝が冷えた。が、すぐにあることを思い出した。


 そうだった。名前の読み方の最終確認のため、名簿を自宅に持ち帰ったんだった。

 やれやれ、そうだった、そうだった。ほっとして、田中はスーツの胸ポケットをさぐる。


 そこに名簿は――なかった。


 あわてて他のポケットもさぐってみる。ない。どこにもない。

 一気に血の気が引いていくのが自分でもわかった。



 忘れてきた……。自宅に忘れてきたのだ。


 田中はあわてて時計を見る。自宅まで電車で片道40分。妻に電話して持ってきてもらうにしても、卒業式には――卒業証書授与には――間にあわない。


 ど……どうする? どうすればいい……?



 あの卒業生名簿は、ただの名簿ではない。

 難読の名前――いわゆるキラキラネーム――に、ふりがなが振ってある田中お手製の名簿なのだ。


 あのふりがながないと、世間一般のどんな人間にも読めない名前が、ゴロゴロしているのだ。


 人生の大切な節目である卒業式で、それも保護者の目の前で、卒業生の名前が読めなかったり、読み間違いしたりすることなど、あってはならない。


 教師として、いや教頭として、絶対にあってはならないのだ!


 どうする? どうすればいい?


 田中はパニックになり、同じ質問をくり返す。



 ふりがなを振っていない卒業生名簿なら、目の前にいくらでもある。

 その通常の名簿にざっと目を通す。


 だめだ。ひとクラスの3分の1は、読み方がサッパリ判らない名前ばかりだ。昨夜、確認した時の記憶もさぐってみたが、どうもあやふやだ。


 今からこれに改めてふりがなを振っていって……果たして間にあうか。

 

 躊躇は一瞬だった。

 やるしかない。今からキラキラネームの読み方を調べなおして、ふりがなを振りなおすのだ。



 誰もいなくなった職員室で、卒業生の担任教師の机をあさり、少々乱暴にクラス名簿をさがす。

 事情を知らない者が見たら、盗みを働いている不審者だと勘違いしただろう。

 だがそんなことにかまってなどいられない。



 全6クラスのうち、2組と6組をのぞいて、クラス名簿は簡単に見つかった。


 案の定、担任教師たちもキラキラネームにふりがなを振っていた。田中は素早く、かつ慎重にそれを書き写す。


 それを終えると、わき目もふらずに職員室を飛び出した。

 2組と6組は、担任教師本人から直接聞き出すしかない。


 60をこえる老体に全力疾走はきつい。すぐに息があがり、足がもつれそうになる。だが、のんびり歩いている場合ではない。



 2組の担任は、卒業生を引率して体育館に向かっている途中で捉まえることができた。

 血相を変えて名簿を突きつけてきた教頭に、ドン引きした様子だったが、キラキラネームの読み方を教わることはできた。


 あとは――6組のみ。


 

 ここで田中はあることを――とても重大なことを――思い出した。


 6組の担任である鈴木先生は昨夜、電話をかけてきたのではなかったか。

 インフルエンザにかかり、どうしても大切な卒業式に出席できない。そう言って電話口で泣いたのではなかったか。


 そうだ。今、6組を引率しているのは、手の空いていた体育教師だ……!

 自分のクラスでもない生徒の、キラキラネームの読み方など知っているわけがない!



 終わった……。何もかも……。


 思わず通路にくずれ落ちた田中の横で、体育館の扉が閉まった。

 卒業式が始まったのだ。


 もう……このままここで……ぼんやりしていたい……。



 田中が意識を失いかけた、その時。


「ああ、ここでしたか教頭先生。早く早く。授与が始まりますから」

 

 そう声をかけられた。数人の男性教師に引き起こされ、そのまま抱えられるようにして連れて行かれてしまった。



 田中がわれに返った時、彼は壇上でマイクの前に立っていた。


「卒業証書、授与」

 進行役の教師がマイクでそう告げる。


 田中はまだぼんやりする目で、会場を見渡した。

 600人を超える生徒と、300人近い父兄。教職員をいれて、およそ1000人近い人々が田中を見つめていた。


 もう……逃げられない。やるしかない。


 ここに至って田中はとうとう覚悟を決めた。



 咳払いをひとつすると、なるべく震えないように意識しながら、田中は声を張り上げた。

「さっ……3年1組。相川真悟」



 6組までは大丈夫だ。

 なんとか落ち着きを取り戻した田中は、つつがなく式を進行させてゆく。


 それにしても……。田中はふりがなを振った名簿をながめながら、つくづく思う。



 高橋愛萌麗たかはし あもぉれ。 渡辺光輝わたなべ しゃいん


 伊藤大宇宙いとう あんどろ。 山本飛翔やまもと すかい


 中村平和なかむら ぴぃす。 小林雷太こばやし さんだぁ


 加藤光一かとう ぴかいち。 吉田強烈よしだ ぱわぁ



……なんだこれは。バカの集まりか。少なくともバカ親の集まりだ。

 こういう名前をつける親のせいで、私がこんな苦労をするはめに……。バカ親め。他人の迷惑を考えろ。


 田中が持って行き場のない怒りにふるえている間に、卒業証書授与はとうとう6組にさしかかった。



 いよいよだ。いよいよ地獄が……巡ってきた。田中は気を引き締め、ページをめくった。


 6組の名簿トップは――『青木 無敵』。



――――はぁ?


 田中は目が点になる。いきなりの試練だった。


 これをどう読む? ふつうに読めば『むてき』だが、まさかそんな……。

 いや待て。待て待て待て。わからんぞ。『むてき』と読むのはキラキラ界では普通にあり得る。

 わずかでも“まとも”が残っている親なら、『むてき』程度で抑えるんじゃないか……?


 若干、間が空いたことで、会場がかすかにざわつき始めた。

 校長も訝しげに田中を見ている。


 ええい、ままよ。行くしかない。当たって砕けるのだ!



「3年6組。あおき むてき――!」


 6組が座っているあたりが、一瞬ざわついた。1人の男子生徒が、返事をしていいものかどうか迷っているふうで、中腰になってキョロキョロしている。


 や……やっちまった――――。


 田中の身体がこわばる。いやいや、固まっている場合ではない。次だ。リカバリーできれば、ギリセーフだ。いやほんとはギリアウトだけど。とにかくまだやり直しはきく。

 『むてき』でないとしたら何だ。名前らしい読み方は何だ――?

 無敵といえば――? あっ、そうだ!


「あおき むさし――」



 ざわめきが広がる。校長の視線が突き刺さる。


 『むさし』ではなかったか。無敵と書いて『むさし』と読む。ちょっとイケるかなと思っていたのだが、ダメだったか。

 ならば何だ? 英語か? 英語で?無敵?はなんと言ったか。えーとえーと……。ダメだ、思い出せない。ならば……ならば――。


「あおき ストロング――」



 いまや会場全体が本格的にザワつきはじめた。父兄の中からも何か声がとんだ。


 や、やかましい貴様ら。なら読んでみろ。貴様らこれが読めるものなら読んでみろ。無敵と書いて『むてき』と読まない、このクソみたいな日本語を。

 何だ。なんなんだ、無敵。無敵、無敵――――。


「あおき ザンボット」


 もうこうなったら、少しくらいボケてもいいような気がしてきて、つい口走ってしまった。そんなわけないな。けけけ。

 じゃあ続けよう。


「あおき ロイヤル・ストレート・フラッシュ」「あおき メイウェザー」

「あおき こねこ」「あおき カツカレー」「あおき もしもボックス」

「あおき……あおき えーと、えーとぉ――――」


 誰かに肩を叩かれたような気がしたが、田中はかまわず続ける。

 彼の挑戦はまだ始まったばかりだった。




 【おわり】


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