第八十七話 ルーディットへ
疲労感漂う声と共にユリシア=ファウグストスが弱々しい息を吐いた。
「ふぅ……」
「珍しいな、溜息なぞ」
対面に腰掛けるグエン=ホーマー子爵はどこか心配そうな声色で呟く。
「何かあったか?」
「今この国では毎日のように何かあるわよ」
「それはそうだが……」
そういう意味合いで尋ねた訳でもない。
「ちょっと王宮で、ね」
「カナリア様の件か?」
「御名答」
突然王族が王宮から姿を消せば、本来ならば大騒ぎになって然るべきだ。
しかし今回は騒動が大きくなるとユリシア達にとっては都合が悪い。
「国王陛下に姫様の手紙を渡したのだろう?」
「まぁ、ね」
故に国王陛下にのみ王宮で襲撃にあったという事件の辺りをぼかしつつ、カナリアがファウグストス家の元に『遊びに来ている』事を伝えてある。
カナリア直筆の手紙と共に。
今回カナリアが齎した情報が真実であった場合、敵側である可能性が限りなく低いのは現ミストリア国王その人だ。わざわざ自分の命を殺すような計画を立てる筈も無い。
国王陛下にはファウグストス家に来ている事を秘密にしてもらいつつ、カナリアが外出していても騒ぎ立てないように取り計らってもらうことになった。
秘密にしてもらう当座の理由としては、身勝手な理由で他家の屋敷に長期滞在していることが他の王妃や子供達に知られると疎ましがられるから、という事にした。
強引なのは重々承知だが、この際、細かな理由は瑣末なことだ。
「それでも多少は心配そうな顔をしてもいいものじゃない? いきなりいなくなったのよ?」
グエンはユリシアが愚痴を聞いて欲しがっていると理解した。
なるほど、あまり子供達に聞かせたい話ではない。
「それほど無関心だったのか?」
「無関心というか……無責任というか」
「まぁ、娘を溺愛しているお前には理解出来んだろうが……それだけお前を信頼しているとも取れるだろう?」
憤慨するユリシアを宥めるようにグエンは言った。
「……だったらやっぱりそれは、無責任だわ」
「……否定はせん」
彼女の怒りはカナリア様の身を思っての感情であるだけに、グエンはユリシアの愚痴を聞いていても決して不快な気持ちにはならなかった。
「はぁ、ごめんなさい、グエン」
「構わん。マリンダもいないのだからな。たまには愚痴ぐらい言わないと身が持たんぞ」
「……ありがとう」
気持ちを切り替えるように頭を振って、ユリシアは手元の報告書に視線を落とした。
「……話を戻しましょう」
頷きながらグエンも頭を切り替え、自身で作った報告書に目を向けつつ言った。
「……怪しいことは怪しい」
「オードリー将軍も動いているのでしょう?」
「まぁ、毎年内軍、外軍双方が護衛に付くからな」
二人が話し合っていたのは、カナリア第3王女からも情報があった『ルーディット』についてだった。
「『祈りの祭壇』に何か怪しいことが?」
「いや、正直に言って、詳細は分からん」
ルーディットの祈りの祭壇は王族だけに留まらず、ミストリア王国の人間にとっては特別な場所だ。
建国の始祖たる大賢者『カーマイン』の血を引く者たちが、繁栄を願い祈りを捧げる聖地。
祭壇には王族しか立ち入ることの許されぬ一画も存在するし、王族の人間で無ければ触れること適わぬ魔法具もある。
「少なくとも現状、祭壇の様子に怪しい部分は無い。だが、あの辺りは『サーストン』公爵の領地のすぐ傍だ。彼が何かを隠蔽している可能性はある」
それに、と。
「以前は結局具体的な制裁を下すことが出来なかったドルン=ガーナー伯爵の領地も近い。そして最も厄介なのが……」
嘆息するようにグエンは続ける。
「少し距離があるが……『スレイプニル』と思しき集団を発見した事だ」
これにはユリシアも表情を変えた。
「まさか、ドヴァンがいたの?」
「いや、戦鬼の姿は確認していない」
ミストリア王国が抱えている問題の中でも、最高クラスの厄介事。
それが戦鬼ドヴァン率いる傭兵団スレイプニルだ。
彼らは紅牙騎士団に匹敵する実力を有しており、ドヴァンはルークとすら引き分けて見せた怪物である。
現在国内に存在するユリシア陣営最高戦力であるルークと互角の男が敵陣営にもいる。頭の痛い話であった。
あの一件をきっかけにして、グエンとユリシアの中でも、スレイプニルの危険度は最高位に位置づけられている。
「……怪しいわね」
「怪しすぎる、という気もするが」
結局の所は依然と同じ。
近々行われるルーディットの儀式の事を思えば、彼らが何かを企んでいる、と考えるのが自然である。
とはいえ情報源はあっても、確実な裏付けが中々取れない。
目的にしてもそうだ。
本当に王族暗殺などという大胆な行動に出るのか?
「一度本格的に調べてみる他ない……だが」
祭壇にはグエン達は立ち入れない。
王族の血族認証を潜り抜ける事が出来ないからだ。
「まさか」
グエンの瞳を真正面から受け止めたユリシア。
「……カナリア様を利用する気?」
「現在カナリア様は状況を御存知であり、尚且つ我々に協力的でもある。はっきり言ってこれはチャンスだと言える」
「それは……確かに」
もしも何者かが祭壇に罠の類を仕掛ける術を持っていたとして。
カナリアが王族である以上、今回ばかりは、こちらは先手を打って調査をしておくことが可能だ。
「とはいえ」
万が一、ドヴァンがいた場合は、グエン達では対処し切れない。
グエンの瞳の底にある意図をユリシアは正確に理解した。
「はぁ、またあの子に頼むしかない……わけね」
額に手を当てつつ、嘆息気味にユリシアはぼやいた。
「情けない事だが、な」
「カナリア様の安全も考えれば最善でしょう」
それに今回ばかりはカナリア様の身を守る仕事、と伝えればルークは自ら率先して協力してくれるだろう。
「少しばかりカナリア様を利用するようで気が引けるが……」
「……止むを得ないわ」
どれだけ愚痴を零そうとも詮無いことである。
「あの子たちを呼んできましょう」
☆ ☆ ☆
「なるほど」
居並ぶユリシア様とグエン様に向かって僕は一言頷いた。
「状況は理解出来ました」
「これからわたし達が頼みたいことも分かるかしら?」
「うーん、僕とカナリアの二人でルーディット……いや、祈りの祭壇内部へ偵察に行って欲しい、といったところでしょうか?」
「はい、正解」
楽しそうにユリシア様は微笑んだ。
「また貴方には面倒をかけることになるけれど……」
「それはもう言いっこなしですよ、ユリシア様」
僕が苦笑して見せると、ユリシア様の表情も心なしか穏やかになった気がした。
幸いにして、明後日から二日間は学院は週休みである。
僕のゲートスキルで移動すれば、時間は捻出出来るだろう。
「メフィルお嬢様は……」
「以前のスレイプニルの時と同じで、屋敷に居てもらうわ」
まぁそれが無難か。
罠が仕掛けられている可能性のある場所。
しかも下手をすれば戦鬼ドヴァンと接敵する危険性すらあるのだ。
僕としても流石に敵地に護衛対象を二人も連れて行くのは避けたい。
「カナリア様は……」
ユリシア様に視線を向けられたカナリアは、興奮気味に口を開いた。
「そ、それって……その、私とルークの二人でルーディットに行く、ということですか?」
危険のある場所に赴くことについて、緊張しているのだろう。
彼女はおずおずと、慎重に確認するように尋ねた。
「そうなるわね」
しかしユリシア様の返答を聞いた途端に大声で答える。
「い、行きます! 行きます!!」
なんだか妙に張り切っているカナリアに若干、訝しい想いを抱いたが、すぐにそれは間違いだと気付いた。
(王族に、いや王国に関わる一大事になるかもしれない話だし……カナリアもなんとかしたいんだ)
責任感から出た言葉なのだ。
そう納得していると、カナリアは何故か頬を上気させていた。
何やら小声でボソボソとした呟きが聞こえてくる。
「ふ、二人きりで……旅行?」
「カナリア?」
上手く聞き取れなかった彼女の呟きに首を傾げると、カナリアはぶんぶんと頭を振った。
「はいっ!? い、いやなんでもないわ、そのっ、王族が必要だというのならば、私も力になれるよ!」
「う、うん、それはそうだろうけど」
「ほら! 今まで私ってその、全然役に立てていなかったから……その、ようやく役に立てると思ったら嬉しくて!」
「そ、そう?」
なるほど、彼女にもやはりそういった葛藤はあったのだ。
「ルーディットの傍に紅牙騎士団のセーフハウスがあるわ。一先ずはそこへ……」
言いかけたユリシア様の言葉を遮り、グエン様が言う。
「いや……個別に行動した方が良いだろう」
「それはどうして?」
「万が一、ということもある。考えたくはないが――セーフハウスの場所がばれている可能性もゼロではない」
グエン様は真剣な表情で呟いた。
相手は未だユリシア様にすら尻尾を掴ませない人間だ。
それに加えてスレイプニルという強力な傭兵集団。
僅かの油断すら許されない。
「幸いなことにルークのゲートスキルを使えば移動に時間は掛からない。短い行程であるし、二人には申し訳ないが、適当に宿を見繕ってもらう方がいいだろう。いや可能ならば宿を取るのも避けてもらえると助かるな」
その言葉に何故かカナリアの肩が震えた気がした。
「まさかカナリアに野宿をさせるおつもりですか?」
王族が野宿?
流石に驚愕の声を洩らす僕を横目に、グエン様はカナリアに瞳を向けた。
「姫様はやはり、お嫌ですか?」
「い、いえ! 全然嫌じゃないです!」
どういうわけか妙に嬉しそうに話すカナリア。
な、なぜ?
「いいの、カナリア?」
僕は野宿には慣れているけれど、王族たる彼女には当然経験の無いことだろう。
野宿など、街中の宿と比較すれば、はっきり言って、居心地が良いとは思えない。
だけど。
「いいのよ、ルーク! 楽しそうじゃない、野宿なんて私初めてだわ!」
そう言って彼女は笑う。
(そう言えば……カナリアはそういう人だった)
王族だからといって市井の人達を決して見下さない。
むしろ自分も同じ立場に立ってみたい、と。
国民と同じ経験をしてみたい、と。
常日頃から様々な物事に好奇心を寄せる少女だった。
「分かり、ました」
カナリアに不満が無いのであれば、僕が否定することもない。
「じゃあ早速明日の夜には向かってもらうから。準備だけはしておいて」
ユリシア様の言葉に僕とカナリアは揃って頷いた。
☆ ☆ ☆
「ねぇねぇ、ルノワール」
「何でしょうか?」
「野宿って何がいるのかしら?」
「必要なものは私が用意致します」
「え? じゃあ私は何を準備すればいいの?」
「そうですね……あ、着替えだけは御自分で用意しておいてください」
「あ、そ、そうね」
「私が用意しても構いませんが」
「はいっ!? かか、構うわよっ!」
(う~ん……)
割と……というかとても重要な任務に赴く筈なんだけど。
なんだか遠足に行く前の日みたいにカナリアのテンションは高かった。
「~~♪」
上機嫌に鼻歌まで!
「カナリア様? 現地に着いたら浮かれないようにしてくださいね?」
笑みをこらえつつ僕が念を押すと、彼女は見るからに慌てた。
「う、浮かれてなんかないわよ?」
「目が泳いでいますよ」
「うっ……」
「まぁ……カナリア様の境遇を思えば理解も出来ますが」
「む、むぅ~」
そんなことを話していると、メフィルお嬢様のお姿を見かけた。
僕の視線に気づいた訳ではないだろうが、彼女は足早に僕達の元へとやって来た。
「あ、お嬢様」
「何をしているの?」
「実は……」
僕がルーディットに行く旨を伝えると、メフィルお嬢様は見るからに浮かない顔になった。
何故だか妙にしょんぼりしている。
「……お、お嬢様? どうかなさいましたか?」
僕は心配になり、彼女に尋ねたが、お嬢様は静かに首を振るのみ。
「いえ、なんでも無いわ……気を付けて、いってらっしゃい」
どこか無理をしたようなぎこちない笑顔。
どうかしたのだろうか。
御加減が優れないのだろうか。
そう考えると、何故だか僕の胸はとても苦しくなった。
しかしメフィルお嬢様は次の瞬間には先程の憂いの表情を消し去っている。
「姫様もくれぐれもお気を付け下さい」
「え、えぇ。ありがとうございます」
足早に去っていくお嬢様。
「……」
「……ルノワール?」
「あ、いえ」
まるで僕と話をすることを拒んでいるような、避けるような態度で去っていく小さな背中。
(お嬢様……?)
そんな彼女の背中を見送りながら。
僕は得も言えない焦燥感に襲われていた。