第八十四話 懊悩する少女
『美術部』という名前の部活である筈だが、その部屋の表札は『備品室』となっていた。
(んん……?)
内心で首を傾げた私である。
しかしそんなことは全く気にした様子もなく皆は部屋へと入っていく。
私も黙ってそれに続いた。
この場にいるのは、メフィルさんとルノワール。
それからリィルという金髪の少女とカミーラ、マルク、という主従だった。
どうやらこれが美術部に向かう際のいつものメンバーであるらしい。
「あら、いらっしゃい」
既に部屋には一人の少女の姿があった。
彼女の名前は事前にルノワールから聞いている。
「あれ? 今日はお客さんがいるのね」
ステラ=カーマイン。
この美術部の部長であり、唯一人の先輩部員である。
「初めまして。キャシーと申します」
深々と頭を下げるとステラ先輩は破顔した。
「これは御丁寧にどうも。わたしはステラと言います。一応この部の部長をしています」
挨拶もそこそこに、彼女はじーっと私の顔を見つめていた。
「あ、あの~?」
「ふ~む」
何やら興味深げに溜息を洩らすステラ先輩。
多少の居心地の悪さを感じたが、為す術もなく佇んでいると、彼女はうんうん、と頷いた。
「これまた綺麗な子ね~。やっぱり美人の周囲には美人が集まるのかしら」
真剣な表情で呟くステラ先輩はチラリと視線をルノワールに向けた気がした。
「い、いえ、そんなことは……」
私の控えめな会釈に頷きながら彼女は今度はメフィルさんに目を向ける。
「あっ、そうそうメフィルさん!」
そしてステラ先輩は嬉しそうに頬を綻ばせた。
心なしか声も弾んでいる。
「なんでしょうか?」
「この前応募した作品のお話です!」
応募?
私が首を傾げているとルノワールがこっそりと教えてくれた。
「実は先日、メフィルお嬢様が初めてコンクールに作品を応募なさったんです」
「へぇ」
そう言えば彼女はあまり、そういった市井のコンクールの類に応募することは無かったと聞いている。
「一次選考通過の連絡はもらっているんですよ」
「へぇ、流石ね」
既に彼女の作品は一次選考を通過しているらしい。
なるほど。
屋敷に飾ってあった作品を見た限り、さもありなん、と私は思った。
「結果はどうだったと思う?」
うずうず、わくわく、といった調子で話すステラ先輩。
彼女の様子を見ていれば、その結果は自ずと知れるというものだろう。
メフィルさんもどこか苦笑した様子である。
「見事! 二次選考通過です!!」
わ~、ぱちぱち~。
はしゃぐステラ先輩に合わせてルノワールも拍手をした。
「すごいです! 流石お嬢様ですね!」
心底嬉しそうにルノワールは微笑んだ。
「ちなみにルノワールさんも二次選考通過です!」
続くステラ先輩の言葉に、ルノワールは固まった。
「えっ? わ、私もですか!?」
「そうよ~。ちなみにわたしもだけどね」
そう言って先輩は可愛いらしくウィンクをした。
『ミストリア王国芸術コンクール』
今回メフィルさん達が応募したコンクールは年に1度行われる、アマチュア達の中では最も規模の大きなコンクールだ。
このコンクールは絵画だけには留まらず、様々な芸術作品が一斉に審査されることで有名であり、通称『王コン』と呼ばれたりしている。
一次選考、二次選考を通過し、最終選考すら潜り抜け、賞を受け取る程の作品になると、王宮内でしばらく飾られることになり、展覧会まで開かれるという。
「先輩……私は?」
カミーラさんの言葉に思案顔を作り、ステラ先輩は顎に手を当てながら言った。
「う~ん、と確か彫刻の部の結果が出るのは来週だったと思うわ」
「そ、そうですか」
「まぁカミーラさんの作品が二次選考で落選することは有り得ないと思うけど。わたしの目から見ても頭一つ抜けているし」
「それは学生の中では、ですよ。弟子入り芸術家のレベルを甘く見てはいけません。未だ修業の身の上でもプロに匹敵する芸術家は何人もいますから」
淡々と真剣な眼差しで語るカミーラさんの様子に一瞬だけステラ先輩はたじろいだ。
「うっ……カミーラさんは彫刻の話になると、物凄い真面目になるわね」
まぁそれでこそのあの技量よねぇ、と苦笑しながらステラ先輩は再びメフィルさんに目を向けた。
「まぁでもメフィルさんの結果も妥当よね。彫刻は専門外だからそれほど詳しくないけど、絵画の部は良く知ってるし」
「は、はぁ」
「貴女の作品は間違いなく最終選考でも残ると思うわ」
言いきる彼女の瞳の色は真剣そのものであった。
「ルノワールさんとわたしの作品は……まぁ運が良ければ、ってところかしらね」
「い、いいえぇっ。わわ、私の作品が二次選考を通過しただけでも喜ばしいことですっ!」
いつになく慌てた様子でルノワールが言う。
よほど嬉しいのだろう。
照れたように頬を上気させる彼女の姿に誰もが微笑ましい表情を浮かべた。
唯一人――メフィルさんを除いて。
「こら、ルノワール」
彼女は少し強めの口調で、己の従者を諌めるように言った。
「そんな志の低いことでどうするの」
身長は低くとも、その存在は大きい。
メフィルさんは見上げる形ではあっても、諭す立場に立ち、ルノワールに告げた。
「……お、お嬢様」
「確かに貴女の技量は今はまだ足りていないかもしれない。だけど十分に才能はあるし、時間が無い中で貴女なりに努力しているでしょう?」
「は、はい……」
メフィルさんの声は静かでありながらも、確かな真摯さを宿したものだった。
叱られた子犬のように縮こまるルノワール。
「貴女はいつも、自分の作品を卑下するようなことを言うけれど……私はそうは思わない」
「え?」
「貴女の絵は十分に素晴らしい」
メフィルさんの言葉の中に……嘘やお世辞のような色合いは感じ取ることが出来なかった。
「貴女の性格を表すような丁寧な線、優しい色遣い、温かな世界が私は好きよ」
「…………」
「だからもっと……自信を持ちなさい」
優しい表情で彼女は最後にそう締めくくった。
ルノワールは、というと感極まった様子で佇んでいる。
「……は、はいっ。がんばります」
「えっ……ちょっと、な、泣いてないわよね?」
若干引き気味でメフィルさんが言うと、慌ててルノワールが頭を振った。
「なな、泣いてないですよっ!」
「あら、そう?」
ふふふ、と楽しそうに笑うメフィルさん。
笑顔で主人に頭を垂れるルノワールの姿を見ていて。
「……」
私の胸の中に小さな棘が刺さったような……そんな痛みを覚えた。
☆ ☆ ☆
「はぁ……すごいなぁ、メフィルさん」
屋敷に帰り着き、ベッドに寝転がっていると……思わず溜息が洩れた。
元々、屋敷の画廊を見た時から、彼女の芸術家としての力量を知ってはいた。
だがいざ目の前で絵を描く姿を見せられると。
「なんだか……ビルモ様もあんな感じだったような気がするなぁ」
芸術の天才。
女性と男性。
生まれや立場は全く違う筈なのに……醸し出す雰囲気が似ている。
芸術家にしては、気難しさを感じさせない点も似ていると思う。
なんだかそんな気がした。
(あぁ~。あんな主人がいるとなると……)
思わず頭を抱えたくなる。
今日のルノワールの、あの反応。
あれはもう完全に忠義だ。
メフィルさんに対する、明らかな敬意。
私がルークにあんな眼差しを向けられた記憶はついぞ無い。
絵画に並々ならぬ興味を持っているルノワールであれば、ある意味当然かもしれない、のかな。
王宮でもビルモ様をめちゃくちゃ慕っていたし。
もしかしたらユリシア様はそんなルノワールの心の内まで考えた上で、従者に据えたのではないかとすら思える。
「……むぅ」
さらに言えばメフィルさんも、低身長ながら相当な美少女だ。
魔術の才、芸術の才に恵まれ、勤勉家でもあるという。
(強力なライバルだなぁ)
無意識の内に思考が飛んでいく。
(ルノワールは……ルークはメフィルさんのこと……)
どう――思っているのだろうか。
「はぁ……」
王族としてあるまじき思考。
唯の市井の少女のような恋愛が自分に出来るとでも思っているのか。
馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しい……筈なのに。
考えずには――いられない。
『ルークが私をどこか遠くの世界へ連れ出してくれたら……』
王宮で暮らしていた頃。
そんな甘い妄想を何度したことか。
「ちょっと前までは……」
メフィルさんの場所には私がいたのだ。
ルークは私の傍にいつも居てくれて。
今メフィルさんにしているように。
私の世話をしてくれて。
おしゃべりをしてくれて。
共に学んで。
共に遊んで。
共に笑って。
「……」
なのに――今その場所には別の少女がいる。
そんな事実がひどく悲しくて、辛い。
折角ルークに会えたというのに、こんなに胸が苦しくなるなんて思っていなかった。
「やだな」
自分の醜い思考が嫌だった。
分かってる。
これはみっともない感情。
邪な心。
要するに……嫉妬だ。
「はぁ……」
だけど。
私は嫉妬心を自覚せざるを得なかった。
ルークには私だけを見て欲しい。
そんな我儘を言うつもりはないけれど。
私の事を特別に思って欲しい。
そんな風にはどうしても考えてしまう。
「私はやっぱり……」
嫌な女の子だ。
我儘で悪い少女。
昔から、ちっとも変わらない。
メフィルさんがとても良い人だというのは分かる。
まだ出会って間もないが、私だって彼女の事は好きだ。
ユリシア様もルークも、メフィルさんをとても大事に思っている。
「あぁ~……っ! もう!」
いつまでも、うじうじしている自分に喝を入れるように、私は両頬を勢いよく叩いた。
「そもそも!」
メフィルさんはルノワールの正体を知らないのだ。
つまりルノワールのことを本当の女性だと思っている。
だとしたらあの二人は唯の主従であり、唯の友人同士。
なればこそ。
「……私にだってチャンスはあるんだから」
囁くように。
自分に言い聞かせるように。
王族という立場を思考の外に追い出して。
「負けないもん」
一人で決心を固めるように握りこぶしを固めていると。
零れた言葉は、現在の従者に拾われた。
「……先程から何を為さっているのですか?」
「うひゃっ!」
気付けば傍にはテオの姿があった。
「て、テオいつからそこに!?」
「はぁ、少しばかり前からですが……何か御悩み事ですか?」
「え、は、い、いやっ、なんでもないわ、なんでも!」
「そうですか? ならよろしいのですが……」
未だ心配そうに私の様子を窺うテオの視線から逃れるように私は窓の外へ視線を向けた。
(まだ負けた訳じゃないんだから……)
「姫様」
「あ、な、なに?」
「体調が悪くないのでしたら学院の様子でもお聞かせ願えませんか?」
「えっ、あ、そうね。実は――」
テオには悪いとは思ったけれど。
私は現在の従者と話をしながらも、頭の中では昔の従者のことを考えていた。