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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第八十一話 また、いつの日か

 

 庭園の中央。

 美しい花々に囲まれた小さなテラスで私は大好きな男の子の横顔を眺めていた。


「上手くなったわね……」


 筆とパレットを手に持ち、穏やかな表情で、楽しそうにキャンパスと向かい合っている少年。

 彼はこの場所から見える王宮の風景を描いていた。


「いや、まだまだだよ」


 謙遜しつつも、彼はキャンパスから目を離さない。


「いやいや最初はひどかったし」


 彼は自分の師匠たるビルモ様と比較するから、自分の技量の程をよく分かっていないのだと思う。

 私からすれば、少年の絵師としての腕前は中々のものであった。


 彼が王宮にやって来てからもう2年近くになる。

 その間色んなことがあった。

 少年は日々様々な事を学びながら、マリンダ様やユリシア様と何やら難しい研究に明け暮れていた。


 それでも私との時間を大切にしてくれた。

 昔とは違い、私と二人の時だけは、言葉遣いも態度も、完全に友人のそれとなっている。


 悲しいことも苦しいこともあったけれど。

 彼と一緒に過ごした日々のほとんどは輝きに満ちていた。


「あははっ。まぁ確かにあの頃と比べると随分と上手くなったかな」


 そう言って少年は笑った。

 彼の笑顔を見ているだけで、いつもは心が躍り、幸せな気持ちになれるのに。


 今日だけは――私の表情が明るくなることはなかった。


「……」

「ねぇ、ルーク」


 私は静かな口調で淡々と聞いた。



「貴方達……いなくなっちゃうの?」



 この言葉を口から出すには、相当な勇気が必要だった。


「……」

「お、王宮から出ていく、って……その、聞いたのだけれど」


 尋ねるだけでも恐怖心が募り、声が震えていた。


「そ、そんなことない、よね?」


 嫌だった。

 折角仲良くなれたのだ。

 ルークともマリンダ様とも。


 ずっと一緒にいたいと思っていた。

 今やルークも随分と執事が板についたのだ。

 彼の振る舞いはパメラですら感嘆するほどに洗練されたし、下手をすれば王宮に住まう誰よりも美しい行儀作法を披露出来るだろう。

 言動も随分と丁寧になった。

 そんな彼が自分には砕けた口調で話してくれることが嬉しくなった。


 今や立派な私の従者である。

 例え誰に揶揄されたとしても私の自慢だと言ってもいい。


 なのに、そんな急に……。


「王宮での研究も一通り区切りがついたみたいだから。マリンダの身辺整理が終わり次第、彼女の実家に向かう予定だよ」


 それは私にとっては絶望的な言葉だった。


「ユリシア様の要件も、紅牙騎士団の方の事案も粗方片付いたからね。そろそろ一度マリンダも家に帰りたいらしい。僕も行ったことないから、実は少し楽しみなんだ」

「そ、そんな……なんで」

「……元々、僕達は王宮のような華やかな場に相応しい人間じゃないのだと思う」


 なんで。

 どうして。



 そんなことを言うの?



「そんなこと……」

「王宮では、礼儀正しく振舞ってはいるけど……いやマリンダはそうでもないか。僕達はカナリアの考えている以上に血に塗れた人間なんだよ」

「貴方の生まれの話やその後のことも聞いたけれど。そんな、だからって……今は十分に」

「そうだね。生まれがどうだからって、今はそこまで卑下するつもりはないよ」


 そう言うルークの横顔はとても……とても穏やかだった。


「王宮では学ぶべきことがたくさんあった。この国に来てからも色んな人達に会った。それは僕にとっては、とても貴重で素晴らしい経験だ」

「……」

「もちろんカナリアとの出会いも。王宮での日々はなんというか……慌ただしかったこれまでの人生とは随分と違う日々だったよ。多分マリンダもそう思っていると思う」

「だったら……っ」


 俯きがちだった顔を上げた私。


 だけど。


「だけど」


 続く彼の言葉。


「多分マリンダは……物足りないのだと思う」


 それは私にとっては想像もしていなかった……意外なものだった。


「いやマリンダだけじゃない。僕もそうだ」

「どういう……こと?」


 尋ねると、少年は高い王宮の城を見上げながら、ゆっくりと呟く。


「この場所は……平和過ぎる」

「えっ?」


 首を傾げる私の疑問には答えず、ルークは小さく囁いた。


「多少の窮屈さも感じるしね」


 彼の瞳が私の瞳を射抜く。


「僕が君に共感を覚えたのも。君がアゲハの街に行きたいと言った時に意見を尊重してあげたいと思ったのも、きっと。君が僕達と同じような心境だったからじゃないか。今ではそう思うよ」

「……」

「僕やマリンダは確かに、まともな人生を送って来てはいない。だけど少なくとも……」


 ゆっくりと静かに。

 彼は言った。



「僕達は『自由』だった」



「……っ!」



 自由。



「多くの王侯貴族にとっては違うのだろうけど、ここは……僕達のような人間には少しばかり、生活し辛い場所だ」


 彼は申し訳なさそうな顔で私に目を向けた。


「ひどい話だとカナリアには失望されるかもしれないね。君もまた僕達と同じ窮屈さを味わっているのに。それを見捨てて遠くへ行こうとしているのだから」


 そう。

 そうだ。

 ひどい話だ。


「……ほんとよ」


 でも彼の言いたい事は良く、分かった。

 どんなに綺麗事を並べ立てたとしても。



 私と、彼らの境遇は違う。



 元々彼らは平民で、私は王族。

 確かにルークやマリンダ様のような人達は、いつまでも王宮の中に閉じ込めておける人ではないのだろう。


 彼らはきっと自由だからこそ。



 こんなにも輝いて見えるのだから。



「……ごめん」


 頭を下げる少年を見つめながら。


(私も連れて行って)


 そう言えたらどんなにいいだろうか。


 だけどそんなことは許されない。

 お母様もお父様も王宮に居るのだ。

 王族としての立場もある。

 己の感情を優先させるなんて。

 そんな身勝手は許されない。


 何度も何度も自分に言い聞かせてきた言葉。


 『私は王族なのだから』


 既に慣れてきていた感傷の筈なのに。


 なのに……今までで一番胸が苦しくなった。


「……」


 本当は分かっていた。

 いつか、こんな日が来てしまうことを。

 認めたくなくて、目を逸らしていただけなのだ。


 目の前の輝きが。

 幸せが。

 離れて行ってしまう。


「ねぇ、カナリア」


 もはや言葉なく俯く私の頭上に優しい少年の声が降り注ぐ。


「なに?」 

「君の絵を……描いてもいいかな?」


 彼は真っ直ぐに。

 真摯な表情で私を見つめていた。


「今までは自信が無かったけれど。やっぱり王宮で最後に描く絵は君がいい」

「……」

「駄目……かな?」


 私は無言で首を振った。

 駄目じゃない。


 全然……駄目なんかじゃない。


「……ぅ」

「カナリア……」


 感情が抑えきれない。

 

「泣かないで」


 涙が静かに頬を伝っていく。


「きっとまた会えるよ」

「そんなこと……分からないじゃない」


 もしかしたら。

 もう2度と会う事は無いかもしれない。

 そんな私の気持ちを落ち着かせるように、彼は穏やかな声音で否定した。


「ううん、分かるよ」

「なんで」

「なんで……か。理由は説明出来ないや」


 困ったように言う彼に私は小さく笑った。


「なによそれ」

「うーん、勘、かな」

「勘?」

「うん。僕の勘は良く当たるんだよ」

「……知ってるわ」


 他の誰が言っても私は馬鹿にするだろう。

 何が勘だ、と。


 だけどルークの言葉なら。

 彼の勘ならば、不思議と信じることが出来る自分がいた。


「最後に僕は……カナリアの笑顔を描きたいんだ」


 大好きな少年の、心ときめく言葉。


 私は嬉しさと悲しさと寂しさが、綯い交ぜになった感情のまま。


「しょうがないわね」


 そう言って出来る限り、精一杯に微笑んだ。



 それは不器用な笑顔だったに違いない。


 

 きっととてもではないが、王族には似つかわしくない、不細工な顔だっただろう。


 だけど。

 それでも彼は。


「うん。ありがとう、カナリア」


 そう言って笑ってくれたから。


 その日。


 最初で最後――私は彼の絵のモデルになった。




   ☆   ☆   ☆




 見送りに出向いたのは私とユリシア様だけだった。

 他には誰もいない。

 

 まぁ時間が余りにも早い、ということもあるだろう。

 なにせ、まだ日も昇り切っていないような時刻だ。


「寂しい出立ねぇ」

「なに、こんなもんだろう。余り賑やかでも鬱陶しい」

「ふふ、貴女らしいわ」


 互いに微笑み会うマリンダ様とユリシア様。


「まぁミストリア王国なんて狭いもんだ。会おうと思えばいつでも会えるしな」

「貴女って一応わたしの騎士団の団長なんだけど」

「実際の切り盛りはグエンとディルに任せているからな。私は有事の際に出しゃばるだけさ」


 二人は楽しそうに笑った。


 その隣。


「……ルーク」

「そんな顔をしないで、カナリア」


 ルークはいつもの優しい顔で微笑んだ。


「マリンダも言ったけれど、王国は狭いんだ。いつだって会えるよ」


 私にとってはミストリア王国というのは果てしない程に広く、大きい。

 それは王宮以外の世界を碌に知らないが故なのだろう。


 ルークやマリンダ様のように本当の世界の広さを知っている人間からすれば、一国の広さなど、たかが知れているのかもしれない。


「あの絵、大事にするわ」

「それは嬉しいな」


 昨日ルークが描いてくれた私の肖像画。

 あれも指輪同様に私の宝物になった。


「そろそろ行くぞ」

「あ、うん」


 踵を返すマリンダ様。

 それに続いてルークも私とユリシア様に一礼し、背を向けた。


 少しずつ離れていく背中を見つめ。


「……っ!」


 気付けば私は大きな声を出していた。


「ルークっ!」


 振り返った彼の顔を見つめながら。

 溢れる悲しみを必死に抑えつけながら。


 私は叫んだ。


「また、いつの日か!」


 何を伝えるべきかを決めていた訳ではなかった。


 ただ思うままに。

 感情のままに。


「私の絵を描いて!」


 私はそう口にしていた。


「もっともっと! 綺麗になって待ってるから!」


 いつか成長し、もっともっと大きくなったら。


 もう一度。


「今度はもっと! ちゃんと笑うから!」

 

 私に会いに来てほしい。


「私……頑張るから!!」


 震える声に願いを込めて。

 私は力の限りに叫んだ。


「僕も楽しみにしてる!」


 そう言って微笑み去っていく愛しき少年。


 彼の姿が見えなくなってようやく。



 私の瞳から。



 涙が止めどなく溢れた。






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