第七十九話 王国の戦士達
「へぇ……これが」
王宮の外れ。
僕は訓練場となっている大きな広間を見下ろしながら声を上げた。
強固な壁に囲まれ、結界によって外には影響が出ないように造られた一画。
「あそこで訓練している人達は?」
敷地内のあちらこちらに兵士達の姿が散見された。
武術や魔術の訓練に励む者。
休憩中なのか、仲間達と談笑する者。
眠そうな顔をしている者、と。
様々な人達がいた。
「あれは近衛だ」
「近衛?」
マリンダを見上げながら問うと、母ではなく、隣を歩いていたもう一人の連れであるカナリア姫様が答えた。
「ミストリア王国の近衛騎士団よ。王族直属の騎士団ってとこね。ほら、王宮でもよく見回りしているじゃない」
「あぁ、あの人達なんですね」
僕は再び近衛騎士団に目を向けた。
そして彼らの訓練風景を観察する。
(ふぅん)
だけど僕はあまり脅威には感じなかった。
なるほど、確かに普通の魔術師よりは多少強そうではある。
国内警備軍のような腑抜け達ほど弱くはない。
だが決して強くはない。
それが僕の抱いた正直な感想だった。
彼らを見てマリンダに何か益があるのだろうか、と僕が首を傾げると、母は言う。
「私達が見に来たのは近衛ではない」
「えっ?」
あ、なんだ違うのか。
「もしかして外軍の方達ですか?」
マリンダに尋ねたのはカナリア姫様。
さしものマリンダも姫様には敬語を使って答えた。
「えぇ、そうです。今日は珍しく『あの男』が王宮に訪れているらしいので。一度ルークにも見せておこうかと」
「なるほど」
「忌々しい男ですが……まぁ腕が立つことは事実ですから」
「忌々しい……ですか……」
マリンダの言い様にカナリア姫様は苦笑している。
「あ、あのー。えーっと……?」
今だによく事情を呑み込めていない僕は頭を捻るも、今度はマリンダは答えてくれず、一言だけ告げた。
「すぐ分かる。まぁ黙ってついてこい」
☆ ☆ ☆
国外監視軍。
通称・外軍。
王国の対外的な牽制・監視に加え、魔獣の討伐依頼などを引き受けるミストリアの軍事の要である。
有事の際は彼らが真っ先に紛争や戦争の矢面に立ち、その力を振るうことになるのだ。
故に精強かつ迅速な行動を取れるような指揮系統が求められており、縦の連絡は非常に素早いことで有名である。
貴族達が腑抜けであっても、ミストリアが大きな力を有しているのは、マリンダの国防装置だけではなく、彼ら外軍の存在が大きかった。
特に現在の外軍は歴代最強とも名高い二人の大将軍が率いている。
その内の一人。
王国最強の魔術師として内外共に高い知名度を誇るのが、ダンテ=オードリー大将軍である。
平民の身でありながら、数々の戦場で並はずれた功績を残し、ついには伯爵位まで賜ったのだとか。
なんでもとんでもない傑物であり、それはマリンダですら認めるレベルであるらしい。
そんな男が今日、部下達を引き連れ王宮までやって来ているそうだ。
「あれだな」
マリンダの視線の先。
そこには10数人の男達の姿……と、どういうわけか、場にそぐわぬ一人の少女の姿があった。
「あれが外軍……」
「その中でも最精鋭のダンテ直轄部隊だな」
なるほど。
遠目からでも分かる。
国内警備軍はもちろん、近衛騎士団を容易く上回っているだろう。
身に纏う洗練された気配。
戦士だけが持つ、鋭さのようなものが感じられる。
「……強いね」
「まぁ、な。奴らは実戦経験も豊富だ。紅牙騎士団と国内で唯一まともに戦える存在だと記憶しておけ」
「うん、分かった」
マリンダは外軍の人達に向かって尚も歩を進める。
すると当然、外軍の人達の視線が僕達に向けられた。
初めこそ警戒心も露わに敵愾心を向けられたが、彼らの視線がカナリア姫様に及んだ所で、彼らの雰囲気が若干緩和する。
ただその中央――ダンテ=オードリーだけは睨むような視線を崩すことは無かった。
(この人が……)
僕は内心で唸った。
身に纏う気配。
発する覇気。
強い意志を宿した濁り無き眼。
数多の戦場で培われたと思しき、常人とはまるで異なる圧倒的な存在感を放つ大男。
強い。
間違いなく強い。
少なくとも僕よりは強いだろう。
話には聞いていたが、それでもマリンダと同格、という部分に関してだけは僕は懐疑的であった。
しかし。
いざ目の前にすると、遺憾ながら、その男はマリンダと比べても確かに遜色が無いように僕には感じられた。
「何をしに来た?」
お世辞にも友好的とは言い難い声音でオードリー将軍はマリンダに言った。
「なに、久し振りに会ったのだから、挨拶でもしておこうと思ってな」
「嘘をつくな」
間髪入れずに返答したオードリー将軍に対してマリンダの眉が吊り上がる。
「あぁ? 何を嘘だと勝手に決め付けている?」
「お前と俺が気安く挨拶を交わすような仲だとでも?」
というか友好的でないのはマリンダも同じであった。
明らかに敵意むき出しの口調である。
(仲が悪い、とは聞いていたけど……)
そもそも二人の身体から発せられる殺気にも似た敵意の奔流の強いことといったらない。
近くで見ていたカナリア姫様が小さく身を震わせているではないか。
それを見た僕は彼女の肩に手を置き、安心させるように背中を優しく撫でた。
カナリア様がびっくりした様子で僕に目を向けると、頬を赤らめつつも、嬉しそうに破顔する。
思わず僕も微笑み返した時、オードリー将軍の意識が僕に向けられた。
「……そっちの子供は?」
「私の子供だ」
「なにっ!?」
マリンダの言葉に周囲の騎士達もどよめいた。
流石のオードリー将軍も驚愕の表情を覗かせたが、すぐに彼は頭を振って呟く。
「……馬鹿を言え。お前の息子がそんなに大きい訳がない」
「まぁな。養子だ」
「養子?」
「そうだ。拾ったんだ」
言われ、目を向けられた僕は一歩を踏み出し、自己紹介をした。
「初めまして。ダンテ=オードリー大将軍閣下。ルーク=サザーランドと申します」
僕が自分に出来得る限りの礼を見せると、オードリー将軍の鋭い声音がほんの少しだけ緩んだ。
パメラ女史の教育の成果だと思いたい。
「ほぉ。お前の子供にしては教育が行き届いているな」
「なんだと、貴様?」
「否定は出来んだろうが」
「貴様も同じようなものだろうが」
「お前と同じにされるとは不愉快極まりないな」
口を開けば悪態が付いて出る。
なるほど、これはまさしく犬猿の仲、というやつなのだろう。
何故こうも仲が悪い、というか、いがみ合うのか。
「ちっ。まぁ……いい」
突然マリンダが頭を振り、そして言った。
舌打ち混じりで。
「なに、今日はこいつにお前達のことを見せたくてな」
「偵察か?」
「教育の一貫だ」
「物騒な教育だな」
「だが必要なことだ」
だから、とマリンダは言う。
「お前も自分の娘を連れて来ているのだろう?」
「……」
鷹のような眼光が少女を射抜く。
そこでオードリー将軍の後ろに身体を隠していた少女が身をぴくりと震わせた。
いやまぁ、無理もない。
あんな鋭い気配をぶつけられたら、普通の少女ならば泣きだしたっておかしくはないだろう。
「マリンダ。女の子にそんな強い敵意向けないであげなよ」
僕が窘めるとマリンダも流石に大人げないと思ったのだろう。
「む……すまない」
少女に向かってマリンダは素直に頭を下げた。
「い、いえ」
「確か……クレア、と言ったか?」
マリンダが確認するように言うとオードリー将軍が頷いた。
「そうだが……」
「お前に似ずに可愛いじゃないか」
「母親似であることは否定せん」
おずおず、といった様子でクレアは口を開く。
マリンダとオードリー将軍の間で板挟みの状況だ。
恐らくかなりの勇気を振り絞っているに相違ない。
「あ、あの……マリンダ=サザーランド男爵、ですよね?」
「ん? あぁ、そうだが」
「紅牙騎士団の団長をしていらっしゃる」
「まぁな」
一度言葉を区切った彼女はポツリと呟いた。
「最強の騎士団の団長だとか」
「まぁそう言われているな」
「御父様は最強の将軍と呼ばれています」
「ん、まぁ……そうだな」
そして。
「私は御父様こそが最強であると思っています」
クレアは爆弾を投下した。
「御二人は……どちらが強いのですか?」
質問ではあったが、その声音には己の父親の方が強い、という確信が秘められている。
まるで挑発するような口調でクレアはマリンダに告げた。
中々どうして肝の据わった少女である。
その返答は――。
「「無論、私だ」」
――折しも二人の声は重なった。
オードリー将軍とマリンダは互いの顔を鋭い瞳で睨みあう。
「「……」」
無言のままの二人の間の空間が、両者の高め上げられた魔力が交差することで、歪んでいく。
高密度な魔力がぶつかり合い、干渉し合うことで、その場が魔力光を帯び始めたではないか。
どう見ても臨戦態勢に突入した二人である。
「……久し振りにやるか?」
先に口火を切ったのはマリンダだ。
僕の母は泣く子も黙るようなドスの利いた低い声で言った。
「御誂え向きにここは訓練場だしな。それとも部下の前で情けない敗北姿を見られるのが嫌か?」
この言葉にはオードリー将軍麾下の騎士たち、そしてクレアがあからさまに顔を顰めた。
皆が鋭い敵意をマリンダに向けている。
まぁ当の本人に全く気にした様子はないけれど。
僕の隣ではカナリア姫様がハラハラとした様子で二人の姿を見守っている。
「……いいだろう」
「将軍様に吠え面をかかせてやる」
「御山の大将如きが大口を叩くものだな」
二人は訓練場の端にある闘技台の上に上がっていく。
闘技台の形は石造りの四角形である。
この闘技台の地下部分には外部に魔力が漏れないようにするための結界が仕込まれているらしく、実戦形式の訓練などで使われるようだった。
「条件はいつもと同じでいいか?」
マリンダが問いかけると、オードリー将軍は頷く。
「構わん」
そう言って二人は腰を落とし、戦闘の構えをとった。
「いつもの?」
僕が首を傾げると一人の外軍騎士が教えてくれた。
なんでもこの二人が決闘形式の戦闘をするのは、初めてではないらしい。
というかむしろよくあることのようだった。
その中で二人の設けたルールは、3つ。
ゲートスキルの使用禁止。
ミストリア王国で使用される初級を超える魔術の使用禁止。
周囲に影響の出るような攻撃の禁止。
以上の3点。
これら条件を決めずに二人が本気でぶつかり合うと、周囲は瞬く間に廃墟と化してしまうため、というのが理由らしい。
「い、今までの戦績は?」
カナリア姫様が興奮気味に騎士の一人に尋ねた。
「それは……まぁまずは二人の戦いを見ましょう」
騎士に促され僕と姫様は闘技台に上る二人の姿に目を向ける。
いつの間にか僕の隣には一人の少女の姿があった。
「ふんっ。偉そうに。どうせ御父様が勝つに決まっているわ」
胸を張って僕に言うクレア。
なんだか先程までの印象と随分違う。
なるほど、こちらが彼女の本来の姿か。
どうやらマリンダが居なくなったことで、怯えの感情がどこかへ飛んで行ったらしい。
まぁクレアの言う事も分かる。
確かにオードリー将軍は強い、それは間違いない。
だけど。
「僕にはマリンダが負けるとは思えません」
その思いだけは揺るがなかった。
客観的に見た限り、先程の単純なルールの範囲内であれば、マリンダが敗北する可能性もある筈、なのだけど。
地に伏す母の姿を想起することが、僕にはどうしても出来なかった。
僕の知る限り、マリンダが膝を屈したことは無い。
彼女はあらゆる障害を打ち砕くことが出来るだけの強さを持っている。
単純な力量だけではなく、心の部分も非常に強靭である。
例えどのような逆境であろうとも、それらを跳ね返せる、と信じられる強さがマリンダにはある。
絶対的な強者。
尊敬する偉大なる母。
「むぅっ!」
僕の言葉が不満だったのだろう、クレアが張り合うように言う。
「御父様が勝つわ!」
「いいえ、マリンダが勝ちます」
バチバチと僕達が睨み合っていると、闘技台の上に一陣の風が吹いた。
「……始まった」
ポツリと呟いたカナリア姫様の言葉に合わせ、僕とクレアの視線も二人の超級の魔術師達へと向けられた。