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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第七十六話 苦痛の中で

 

 暗がりの中。

 ここは一体どこだろうか、と私は思考を巡らせる。


 口には猿轡。

 両手両足は縄で縛られ、何やら牢屋のような場所に寝かされていた。


(痛っ……)


 身をよじると脇腹に激痛が走った。

 顔を顰めつつ、自身の状況を振り返る。


(……ぁ)


 思い出した。

 ルークから逃げ出し、一人になれる場所を探して走り回って……そう、人気が少ない場所を求めている内に、路地裏に入ってしゃがみこんで……。


 心が落ち着くのを待とうと思っていた。

 だが直後、何者かに口を塞がれ――その後のことは覚えていなかった。


(連れ去られた……?)


 誘拐、という文字が頭の中に浮かび上がる。

 なんとか可能な範囲で頭を動かすと、近くには他にも数人の少年少女の姿があった。


「……っ」


 皆が蹲る様にして……まるで死んでいるかのように微動だにしていない。

 微かに苦しげな息遣いが聞こえるのみだ。

 その中でも私の傍にいた少女は特に苦しそうであった。


「…………ひゅーっ……ひゅぅ……」


 弱々しい歪な、風の抜けるような呼吸音。

 明らかに呼吸がおかしい。

 彼女の口元の床は血で汚れており、吐血によるものと思われた。

 

 痛ましく思い、なんとか声をかけてあげたかったが、私にもそこまでの余裕はなかった。


(人攫いの一党、か)


 ミストリアは平和な国であると言われているが、それでも犯罪が全く無い訳ではない。

 あくまでも帝国などと比較して、平和、というだけの話だ。

 特にアゲハの街というのは商人などを筆頭に、雑多な人々が入り混じっている。

 国内警備軍の杜撰な検問など物ともせずに簡単に突破してしまうような犯罪者集団もいるのだろう。 


(どうし、よう)


 状況を理解した途端、胸に暗雲立ち込め始めた、その時。

 部屋の扉が乱暴に開かれた。


 室内に入って来た男は3人。

 何れも大柄な体躯を自慢するかのように肩を揺らしており、その頬は朱に染まっている。

 漂ってくる匂いからして酒でも呑んでいたのだろう。


 赤ら顔でへらへらと笑みを浮かべた一人の男が私の傍までやって来た。

 少女の吐血で濡れた床を見た男が突然激昂し、足を振り上げる。


 次の瞬間、私はおぞましい光景を目にした。


「おい、こら! きたねーだろうが!!」


 少女の脇腹を思い切り蹴り上げる男。

 糸の切れた操り人形の如く、少女は宙を舞った。


 ただでさえ瀕死の様子であった少女は、もはや抵抗する意志どころか、指先を動かす体力すら残っていない有様であった。


「……ぁふ、…………ひぅ」


 いつ果ててもおかしくない程のか細い命の残滓。 

 そんな少女の様子を満足げに見下ろす男たちは、一体何がおかしいのか、ゲラゲラと笑い出した。


「……!」


 不愉快極まりない。

 こんなことが許されるのか。

 恐怖以上に私は男達への怒りの感情を迸らせた。


 そしてそれが良くなかったのだろう。


「なんだ、おまえ、その目は?」


 どうやら無意識の内に男達を睨んでいたらしい。

 男の一人が傍までやって来ると、先程の少女と同じように私の脇腹を強かに蹴り上げた。


「ぐっ!?」


 猿轡越しの嗚咽が漏れる。


(痛い、痛い、痛いっ!)


 お腹を抑えたかったが、手は全く動かない。

 転げ回りたくとも、縛られた状態では、それすらも適わなかった。


 私が先程の少女よりも幾分か体力が残っていることが分かったのだろう。

 3人の男達は一斉に私を取り囲むと、次々に私を蹴りつけた。

 

 楽しげに。

 笑いながら。

 玩具で遊ぶ子供のように。

 私の身体を痛めつける。


 理不尽な状況に私は恐怖するも、怒りの炎は消えない。

 また、同時に悲しさと悔しさが綯い交ぜになった感情が去来していた。


「お前、いい目をしてんなぁ?」


 一人の男が尚反抗的な私を見て、胸元からナイフを取り出した。


 そして――そのナイフを使って私の服を切り裂き始める。

 男達の顔に浮かんでいるのは情欲に満ちた愉悦の表情。


 男達の目的を理解した私は今度こそ恐怖に身が竦む思いがした。

 先程までとは別種の欲望を湛えた男達の下卑た笑い声。


(なんで……)


 こんなことになってしまったのか。

 

 ルークから離れて自分勝手な行動を取った自分が悪い。

 そんなことは分かってる。

 そもそも勝手に王宮を抜け出しているのが悪い。


 悪いことだらけ。

 自業自得だ。

 だけど。


 あれ以上ルークの傍にいるのは辛かった。


 あの親子の会話を聞いているのが辛かった。


 お母様が――私にあんな風に話しかけてくれないことが辛かった。




 ――辛かったのだ。




   ☆   ☆   ☆




 私が色々と教育に反抗的な態度を取る様になったのには理由がある。


 それは母の感情の起伏が失われてから。

 何事に関してもあまり表情を変えなくなったお母様。

 そんな彼女が初めて強い反応を見せてくれたのが、私が王宮でパメラにちょっとした悪戯をした時だった。


 私の声にも生返事しか返さなかったお母様の――『叱咤』の声。

 

 その後もそんな母の反応は顕著であり、何か私が悪い事をすると、お母様は私を『叱ってくれる』。

 強い感情ではない。

 虚ろな眼差しは変わらない。

 

 だけど。


 例えどんな理由であれ。

 

 私の行動に対して母が反応を返してくれることが嬉しかった。

 良い子でいるだけではお母様は何も言ってくれない。


 だから私は王宮のお転婆娘として振舞う。

 まぁ元々そういう性格でもあったことだし、我儘放題に生活することは苦では無い。

 授業をさぼり、壁に落書きをし、言いつけを守らない毎日。


 なんで母親の言う事を聞かないのか?

 そんなことは本当は自分が一番よく分かっている。

 

 良くないことだと分かっていても。

 王宮の誰に責められたとしても。

 不良な姫君だと揶揄されたとしても。

 

 私にとっては、お母様が構ってくれることに勝る喜びはなかった。


 だから。

 私は悪い子なのだ。

 私は悪い子でいいのだ。


(お母様)


 手のかかる子。

 お母様を困らせてばかり。


(お母様――)


 こんなことになってしまった私を知ったらお母様はなんと言うのだろうか。


 何も反応をしてくれないのか。

 それとも叱ってくれるのか。

 もしかしたら愛想を尽かされてしまうのか。


(こんな娘で――)


 ――ごめんなさい、お母様。




   ☆   ☆   ☆




 涙が零れ、お母様に心の中で詫び、もう二度と王宮に帰ることが出来ないと嘆いたその時。


 ――突然の爆音が室内を揺るがした。


(……えっ)


 既に服は半分ほど切り裂かれ、体中が痛み、抵抗の意思を半ば失いかけていた時、だ。


 部屋の扉が吹き飛んだ先。

 そこには、いつの間にか一人の少年の姿があった。


 少年の瞳の中は怒りの炎で煮え滾っており、歪められた表情は普段の彼からは想像も出来ないほどに怖かった。

 発する圧力が尋常ではない。

 室内にいた子供達だけではなく、男達もが全員、その少年の姿に思わず息を呑んだ。


「……ぅ」


 ぼろぼろの姿で。

 ただ一人。

 なんとか私は声を出した。


 それはつい最近になって王宮にやってきた客人。

 何事もそつなくこなす気に入らない少年。

 母親と仲良く毎日を過ごす羨むべき異邦人。


 仮の立場とはいえ――私の従者になった男の子。


 痛みに呻き、掠れた声で。


「……ルーク」


 彼の名前を呼んだ。

 その声が聞こえたのか。

 ルーク=サザーランドは私の姿を確認すると、どこか安心した笑顔を見せ――しかしすぐにその顔は鋭く研ぎ澄まされた。


「てめ――」


 一人の男がナイフを振り被ろうとした次の瞬間。


 その男の顔面が壁にめり込んだ。


 全く動きを追うことは出来なかったが、ルークの拳が男の顔に突き刺さっているのは見えた。

 衝撃が建物を揺るがし、発生した衝撃波がふわりと私の前髪を攫っていく。


「え?」


 何が起きたかが分からないのだろう。

 呆けたように声を上げた男の両腕が消えた。

 

「は?」

 

 振りかぶったルークの腕を見る限り、魔力を右腕に込めた手刀だろうか。

 激痛に顔を歪める間もあればこそ。

 即座にルークの蹴りが男の鳩尾に突き刺さり、男の身体が吹き飛んで行った。


「ひっ」


 最後の一人が遁走するべく、身を翻した時には既にルークの拳はその男の右肩を砕いていた。

 激痛に悲鳴を上げる男。


「あっ、ひゃ、あ、あがぁっ!!」


 転げまわる男を見下ろしながらルークは足を振り上げた。


「黙れ」


 真っ直ぐに振り下ろされた少年の足が、男の足を、いとも容易く貫通する。

 しかし再び男が叫び声を上げることはなかった。


「ぁ……ぁゅ……」

 

 ルークが男の喉を潰したからだ。


「これで少しは静かになる」


 倒れ伏す男達を放置して、ルークは私の傍までやって来た。

 不思議なことにあれほど激しく戦闘をしておきながら、ルークの身体はとても綺麗である。

 返り血などが全くついていなかった。

 

 彼はゆっくりと膝を付き、


「……遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」


 そう言って。

 何故か彼は泣きそうな顔で私の瞳を見つめた。


 なんで。

 どうして。


 ルークの方が悲しそうな顔をしているのか。


「……ぅ」


 瞳に熱い雫がせり上がって来る。

 助かった安堵と、未だ冷めやらぬ恐怖心。

 様々な感情の波が押し寄せ、心の防波堤が決壊しそうだった。


「失礼いたします」


 すると目の前の少年が優しく私の身体を抱きしめた。


「……ぁ」

「……もう大丈夫です」


 私の背中を撫でながら、彼は優しく言った。

 少年の温もりが私の身体を包み込む。


 温かい。

 驚くほどの安堵が私の身体を満たしていく。


「……なんで」


 助けに来てくれたの?

 

 あんなに意地悪なことばかり言っていたのに。

 あんなに貴方を邪険にしていたのに。

 ルークだって自分が疎ましく思われていたのは知っていた筈だ。


 こんな我儘な私を。

 周囲に迷惑ばかりかける私を。

 愚かな私を。


 どうして――貴方は。


「姫様を助けるのは当然でしょう?」


 あぁ、そうか。

 そう言えば私は王族であった。


 そう、王族。

 地位のある身だ。


「そう、ね」


 王族。 

 私がこの世で最も疎ましく思っている立場。

 それが私を救ったのか。


 自嘲気味に。


 私が失望の溜息を洩らす――その直前。


「貴女が『王族』だから、僕は救いに来た訳ではありませんよ」


 少年の声が私の耳に届いた。


「……ぇ?」


 思わず呆けたような声を上げると、少年は私の肩をつかみ、私の瞳を真っすぐに見詰めた。

 眼前に迫る真剣な表情。


「……ぇっ?」 

 

 何故か頬が熱くなり、戸惑う私に対して彼は言った。


……いえ」


 彼は楽しそうに朗らかな顔で笑う。


は……カナリア姫殿下の執事ですから」


 彼の腕に抱かれ。

 彼の笑顔を見つめ。

 彼の声を聞き。


 頬を伝う涙をそっと指先で拭われて。

 優しい眼差しから視線を逸らすことが出来なくて。


(あぁ……私って本当にどうしようもない……)


 不幸な事件の最中であるにもかかわらず。


 私は高鳴る鼓動を抑えることが出来なかった。






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