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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第七十五話 心の隙間

 

「カナリア」

「あ、な、なに、お母様?」


 母に呼ばれ、私が近づいて行くと、静かな呟きが耳朶を打った。


「……貴女、なんだか最近楽しそうね」

「え?」


 それは意外な言葉であった。


「こほ、こほっ」


 軽くせき込む母の姿を見ながら私は目を丸くしていた。


「そ、そう見えますか?」


 日頃、母は余り私に干渉しない。


 いや違う。

 

 あまり感情を動かさない……『動かせない』のだ。


 元々病弱であった母親は私を産んでから、余計に体調を崩しがちになった。

 特に6年ほど前……医者の誰もが知らないという未知の病に冒された際、死の淵を彷徨ったことがある。

 

 救ったのはユリシア様だった。

 母の体内を調べ、持ち得る全ての医学・薬学・魔術知識を総動員して治療を行った結果、母は一命を取り留めたのだ。

 治療の際にユリシア様から、副作用が出る可能性が高い事は事前に示唆されていた。


 でも、それでも私は救ってほしかったし、父も同じ気持ちだったのだろう。

 意識を失っていく母の姿を横目にユリシア様に治療を懇願した。


 果たして病は治った。

 宮廷の医師達全員が匙を投げた未知なる病ですらも、かの天才特級魔術師は救ってみせたのだ。


 誰もが彼女の技量に驚嘆し、母の容態の安定化に胸を撫で下ろしたものだが……治療をした当人であるユリシア様だけは晴れない顔で母を見つめていた。

 ユリシア様が危惧していた通りのことが起こったのだ。


 やはり――副作用があった。


 病気から回復して以来、母は感情の起伏が極端に小さくなったのだ。

 まるで世の中全てに興味を失ったように、ぼんやりと日々を過ごす。

 私に対しても大した感情を抱くことがないのか、時折、気まぐれ混じりに会話(といってもほとんどの場合は叱られる)をすることはあっても、母はそれ以上私に干渉しない。


 故に母親の質問が意外だった。

 「楽しそう」などと。

 そのようなことを聞かれたのは一体いつ振りだろうか。


「ええ」

「そ、そんなことは」


 私が固辞するように頭を振るも、続く母の質問に私は言葉を失った。


「『また』何か悪い事をしているの?」


 心の中に。

 小さな小さな波紋が広がっていくような気がした。


「……え?」


 じっと私を見つめる母の瞳。

 どこか虚ろな眼差し。

 

 私は見返しているのが辛くて思わず視線を逸らした。


「……いいわね」

「ぇ」


 感情の籠らない表情で静かに呟く。



「貴女、は……『自由』で」



「……っ!」


 母の言葉に……私は胸がえぐられるような痛みを覚えた。

 何を言いたいのかも分からぬままに、絞り上げるように掠れた声で母を呼んだ。


「お、お母様……」


 しかし彼女は無言で身を翻した。


「はぁ、もう寝るわ」


 お休みなさい。

 そう言い、既に私に興味を失ったように背を向け、ベッドで横になった母親。


「……お休みなさい、お母様」


 目を伏せた私の掠れた呟きだけが室内に虚しく木霊した。




   ☆   ☆   ☆




 露店の一角。

 その端の宝石屋に目をとめる。

 忙しなく商品の解説を始めた店の主人の言葉を無視しながら一つの装飾品を手に取り、しげしげと眺めた。


「……」

 

 使っている宝石は安物のようであったが、デザインが可愛らしい。

 とはいえただ子供っぽいというだけではなく、どこか上品さも感じられた。

 大人の女性が身に着けていても違和感の無いような。

 そんな指輪。


(……お母様に)


 いや、駄目だ。

 馬鹿なのか、私は。

 王宮にはこんな安物よりも遙かに素晴らしい装飾品があるではないか。


(……私のプレゼントなら受け取ってくれるかもしれない)


 そんな淡い考えが頭を過ぎる。


 だが受け取ってもらえないかもしれない。

 それを思うと怖くて。

 私は何も言わずに、商品を返し、再び黙ったまま歩き出した。


「……姫様?」


 一歩後ろを付き従うルークの心配そうな声。


「どうか、されたのですか?」


 昨夜のことを考えていたからだろうか。

 どうやら暗い感情が顔に出ていたらしい。


「……なんでもないわ」


 言葉とは裏腹に。

 私は足早にアゲハの街中を歩いていた。


(……なんだか)


 折角アゲハに出てきたのに。

 いつもなら、あんなにワクワクするのに。


 今日ばかりは芸術の都も色褪せて見える。


「……ねぇ、ルーク」

「はい?」

「貴方って、その……」



 ――普段、どんなことをマリンダ様と話しているの?



「……っ」

「姫様?」


 ――なんで養子なのに、そんなに仲が良いの?


 ――親子はどんな会話をするものなの?


 ――どうしたら仲良くなれるの?


 ねぇ、どうしたら――。



「ママなんか大っきらい!!」



「……っ!」


 突然聞こえてきた声に思わず肩が震えた。

 声に振り向けば、そこには駄々をこね、地団太を踏む少女の姿がある。


「買って買って買ってよぉ!」

「また今度ね」

「いやいやいやっ!」

「もう、この子は」


 周囲の人々にすみません、と頭を下げながら母親は困ったような顔をしている。

 どうやら娘が露店の品物が買って欲しくて駄々を捏ねているようだった。


 少女の泣き声は収まらず、尚も大声を上げていた。

 だが流石にいつまでも泣きやまぬ娘に対して、母親の堪忍袋の緒が切れたのであろう。


「いい加減にしなさい!」


 母の怒声。


「……っ」

「それ以上我儘を言ったら夕飯抜きだからね!」


 腰に手を当て、怒りの表情を浮かべる女性。


 私はぼんやりとその光景を眺めていた。


 母が私をあんな風に叱ってくれたのはいつの頃だっただろうか。

 母があんな風に感情を露わにしたのは?

 母があんな風に私に意識を向けてくれたのは?


「ほら、行くわよ」

「うぅ……ぐすっ……」

「あぁあぁ、もう。ほらハンカチ。これで涙を拭きなさい」

「うん」


 母が。



 あんな風に――。



「っ!」


 胸が苦しい。

 もう、何が何だか分からない。


「姫様っ!?」


 突然逃げ出すように走り始めた私を追いかけようとルークが背後に迫る。


「ついてこないでっ!!」


 驚くほどの大きな声が出た。


「……ぇ」


 振り返り、私はルークを睨みつける。


 彼は悪くない。

 何も罪はない。


 だけど、この思いをどこかにぶつけなければおかしくなってしまいそうで。


「一体、どうしたと……何かあったのでしたら、私が」

「貴方には分からない!」


 沈痛な情けない叫び声が街中に響き渡る。


「そ、そうかもしれ……」

「貴方には……分からないわよ!!」


 肩で息をしながら私は叫んだ。

 先程の少女と同じように、周囲の視線が集まる気配を感じる。


 こんな気分の時でも、周囲の視線が気になってしまう。

 王族として私は恥ずかしくない振舞いをしているのか。

 しっかりと貴族然とした淑女らしい姿か。

 

 そんな考えが過ぎってしまって。

 王族を捨てきれない自分を改めて自覚してしまって。

 アゲハの街に出ておいて、こんなことを考えてしまうことが、なんだか悲しくて、悔しくて。


 くだらない。

 こんな、くだらないことで!!


「一人にしてっ!」


 心の流れに従ったまま、私は醜い感情をルークにぶつけた。


「ですが」

「いいからっ!!」


 そう言って私は再び駆け出した。


「……」


 最低な気分。

 最低な態度。


 最低な――自分。


「……」


 制御できない感情の波が私の心の中を激しく揺さぶる。


 背後から――少年の足音は聞こえてこなかった。




   ☆   ☆   ☆




 ミストリア王国、豪奢な王宮の一室。

 マリンダ=サザーランドはユリシア=ファウグストスと共に、一人の青年の報告を受けていた。


「うーん、まぁ団長とユリシア様に急ぎで報告しなくちゃならんことは、これぐらいですかね」


 金髪の青年の言葉にマリンダは頷く。


「なるほど」

「いやもう団長がいない間も結構大変だったんですよ?」


 肩を竦める青年にマリンダは平然と言い放った。


「ふむ。良い経験になったか?」

「へ?」

「なに、部下を育てるのも上に立つ者の役目だからな」


 腕を組み、背筋を伸ばしたまま、彼女は紅の髪を揺らす。


「いやまぁそうですけど……いやいやでも団長は面倒だから俺に押し付けただけでしょう?」

「まぁそうよねぇ」

「ユリシアまでそんなことを言うのか……まぁ事実だが」


 その時、マリンダの腕が微かに震え――彼女の顔色が変化した。


「……」

「ど、どうしたの、マリンダ?」

「少し静かにしていてくれ」


 そう言ってマリンダは腕輪に嵌め込まれた小さな魔石に魔力を注ぎ込む。


 直後。


『マリンダっ!! 緊急事態!!』


 腕輪から切羽詰まったような少年の声が聞こえてきた。


 ユリシアと青年は驚きに目を見開いたが、それら一切を無視してマリンダは素早く告げる。


「何が起きた?」


『姫様がいなくなった!』


「なに? お前が見ていながら、か?」


『それはそのっ……ちょっと事情があって。とにかく目を離した隙にいなくなっちゃったんだ!』


「確認は?」


『足跡や彼女の痕跡らしく魔力を追ってみたけど駄目だった』


「……」


『もしかしたら……誰かに攫われてしまったのかもしれない』


 そう言う少年の声は震えていた。


『どうしよう……僕のせいでっ!』


「馬鹿、ひとまずは落ち着け」


『で、でも』


「今からすぐに救援に……いや、私の元まで今すぐに来い」


 ルークのゲートスキルを使えば瞬時にこの場所までやって来ることが出来るだろう。

 そもそもゲートスキルの効力範囲内でなければ腕輪による通信は出来ない。

 今回彼がわざわざ腕輪を通じて連絡をしてきたのは、以前マリンダの入浴中に彼女の元へと転移してしまい、大目玉をくらったことがあるからだ。


『わ、わかった。と、とにかく捜索隊を』


「いや必要ない。むしろ四人・・の方が効率がいい。いいからお前は今すぐ来い」


 通信を切ったマリンダは室内で座する、先程まで自分に騎士団についての報告をしていた青年へと目を向けた。


「えーっと? 今のは一体なんなんですか、団長?」


 ろくに手入れが為されていないであろう、くすんだ金髪。

 不精髭で彩られたその顔は、整った目鼻たちをしているが、どこか軽薄そうな振舞いと表情が彼の印象を大きく下げている。


 だが。


 信頼出来る。

 確かな実力がある。

 マリンダは青年の事を高く、高く評価していた。


「あのー、団長?」


 彼の問いには答えずにマリンダは薄く微笑んだ。


「な、なんすか? ちょっと怖いんですけど」

「いや……いいタイミングで居てくれた、と思ってな」


 マリンダは口角を吊り上げて、青年の名を呼んだ。


 紅牙騎士団、参謀の名を。


「一仕事だ……ディル=ポーター」


 その言葉を聞き、ディルは頭に疑問符を浮かべたまま、曖昧に頷いた。

 

 





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