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偽りのルノワール  作者: 小美里 戒
第3章 王宮の陰
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第七十四話 姫様の息抜き

 

 芸術の都アゲハ。

 北区の貴族街から南区の方へと足を進める私とルーク。


 昼下がりの街中は盛況の一言に尽きた。

 道行く人達は活気に溢れ、雑多な声が姦しく聞こえてくる。


 露店商が手を叩き、観光人のようなカップルが店主の手元を覗いていた。

 カフェテラスでは家族連れが談笑し合う姿がある。

 数々の馬車が行き交い、中には怒鳴り声を上げる者達もいた。


 それら全てが心地よい。

 王宮では決して感じることの出来ない音が、匂いが、景色が、雰囲気が、ここにはある。


「わぁっ」


 ついつい歓喜の声が漏れた。


「やっぱり王宮の外はいいわね!」


 普段、私が外に出ることが出来るのは、王族全員で外出する必要があるルーディットでの『祖霊の儀』の時ぐらいだ。

 自らアゲハにやって来たのは、これが初めて。

 全てが私の眼には新鮮に映っていた。


 やっぱり私にとっては、とても強い刺激になる。

 王宮の外には様々な人や物があり、王宮では決して触れることの無い物も少なくない。


 要するに。


 楽しいのだ。

 

「この格好も悪くないわね!」


 朗らかに微笑みながらルークに言った。


「褒めてあげる!」

「それは良かったです」


 現在私は王族の衣装ではなく、市井の人々が着るような簡素な紺色の上着、それからどこかくすんだ色合いの長いスカートを穿いている。

 街中を歩きまわるには、王族の服は目立ちすぎるとルークが進言したからだ。

 

 北区の貴族街でなるべく平民に近い衣装を選んだ結果が今の姿だ。

 お店で一番安い服であったが、これはこれで悪くない。

 何より動き易いし。

 

「あっ、あれは何かしら!」


 道の向こうで何やら列を作る人達を見つけた私は駈け出した。


 私は生まれた時から多少なりに身体能力には恵まれていたようであり、足はかなり速い。

 故に日頃はこの脚力を活かして、パメラ達から逃げ回っているのだけれど……。


「……」

「? ……どうかなさいましたか?」


 ルークは平然と付いてくる。

 思わず息が切れ、はぁはぁと肩を揺らす私を横目に、彼は随分と余裕そうであった。


「……別に」

「は、はぁ」


 いけない、いけない。

 折角アゲハに出たのだから、ルークになど構っている場合ではない。


「この列は……?」


 ぼんやりと列の隙間に私が体を滑らせると、近くに居た男が声を上げた。


「おい! 順番をちゃんと守れよ!」

「えっ?」


 いきなり大声を出され、固まっているとルークがさっと前に出た。


「すいません」


 素早く私の手を引き、そそくさとその場を離れるルーク。

 少し歩き、ルークはようやく私の手を離した。

 

「……びっくりした」


 王宮で家族や教師に叱られることはあっても、あのように見知らぬ男の人から、直接怒鳴られた経験など一度もない。

 

(……正直ちょっと怖かった)


 というか別に私は順番抜かしをするつもりはなかったのだ。

 ただ通り抜けようとしただけなのに。


「……あれはどうやら、アゲハで人気のお菓子屋さんの列みたいですね」


 私が憤懣やるかたない思いでいると、ルークがお店の方を見ながら呟いた。


「お菓子? お菓子を買うために並んでいるの?」


 何かを手に入れるために長時間立って待つ。

 しかもこの炎天下の中を?

 そのような経験の無い私には、今一つ理解出来なかった。


「そうです。『トーポ』という店で、確かワッフルが有名だったような気がします」

「へぇ、貴方は食べたことあるの?」

「いや……食べたことまでは。ただ名前は聞いたことがあります」

「ふぅん」

 

 お菓子の店かぁ。


「姫様、食べたいですか?」

「ん、うーん……そうね」


 確かにお腹は空いてきたけれど、流石に、あの列に並びたくはない。


「……あの列は嫌だから、いいわ」

「畏まりました」 


 そう言いつつも、何となく気になり私は列を振り返った。

 すると、先程並んでいた時に私に怒鳴った男と目が合ってしまったではないか。 

 

「……」


 さっきは私に強く言ってしまって悪く思ったのか、気まずそうな様子で頭を掻きながら、遠目に私に向かって彼は軽く頭を下げた。

 大の男の、そんな仕草がなんだかひどく可笑しい。

 思わず薄く微笑み、私も小さく会釈を返した。


 少しだけ気分が持ち直した私が再び歩き出そうとした時――今度はルークと目が合った。


 彼は一部始終を見ていたようで、何やら微笑ましいものを見るような目で私を見ていた。


「な、何を見ているの」

「いえっ。そ、そのなんだか微笑ましいなぁ、と。温かい気持ちに」

「言わなくていいのよ、ばかっ」


 早歩きで進み出した私を追おうとルークが後ろから付いてくる。


(うぅ……なによ)


 あぁ、今の私の頬は一体どんな色をしているのだろうか。




   ☆   ☆   ☆




 御昼時。

 そろそろどこかで何かを食べたいな、と思い始め、私はその時になって、ようやく自分がお金を持っていないことに気が付いた。


「大丈夫ですよ。私がいくらか持っていますので」


 ルークに借りを作るのも複雑な気分だったが、まぁこの際しょうがない。

 というか何も考えていなかった自分が恨めしい。


(お金、かぁ……)


 生まれてこの方ほとんど意識したことがない。

 世の中は金銭で回っているということは知識としては知っていたが、実際に自分でお金を払って何かを購入する、という行為に及んだことが無かった。


「どこかのお店に入りますか?」

「うーん、そうねぇ」


 いや、そういうものよりは……。


「そ、その辺の屋台か何かで買って食べたいわ」


 道行く人々に目を向ければ、片手で何やら食べ物を持ち、談笑しながら歩いて行く人々が目につく。

 ああいったものは市井の民の間では珍しくないことであるという。


 しかし王族たる者、早々あのような物は食せない。

 まず行儀が悪い。

 片手で持って食べることもそうだし、歩きながら食べることもそう。

 更にはああいった調理品は数を多く売り捌くことが目的であり、一つ一つの素材にそこまで高い品質意識などは持っていない。

 要するに衛生的観念、味的な意味合いでも王族に相応しくないものとされる。


 もしもパメラにでも頼もうものならば、それだけで叱られてしまうだろう。


 だけど。


「承知しました。では買って来ますね。どのようなものがよろしいですか?」

「……いいの?」

「へ?」

「あ、いや、だからその、屋台の物を食べても」

「え、そりゃあいいんじゃないでしょうか……」


 呟き彼は首を傾げた。


「え、王族の方々って屋台のご飯を食べちゃ駄目なんですか?」


 心底不思議そうな顔で私を見つめるルーク。

 その顔を見ていると、なんだか自分の不安などが馬鹿馬鹿しいものであるように思えてきた。

 

「そ、そんなことないわよ!」

「そ、そうですよね」

「あ、あのなんか良い匂いがするやつを買って来てっ」

「はぁ……あの串焼きでしょうか」

「な、名前は分かんないけど」

「……畏まりました。少々お待ち下さい」


 彼は素早い足取りで屋台の方へと進んでいくと、すぐに買い物を済ませ帰って来た。


「とりあえず一人2本ずつ買ってきましたが」

「あ、ありがとう」


 本来……本当の主従関係であれば、従者が主人と同じ分の料理を買って来て一緒に食べるなど言語道断であるが、この時はルークも私もそんなことまで考えていなかった。


 ドキドキしながらじっと串焼きを見つめてみる。

 名前の通りに、何やら焼いた鶏肉のようなものを串に刺した料理だった。


(……こ、これが国民が食しているもの、なのね)


 私は自分達王族が世間の常識に疎い、ということを自覚している。

 普段の食事とは全く違う食べ物。


 しかし知らないが故に好奇心が刺激される。

 知らないからこそ外の世界を求めるのだ。


「……食べないんですか?」


 じっと見つめていたからか、ルークが首を傾げた。


「た、食べるわよ、ってあんた食べるのは早いわね!?」


 も、もう2本とも無いじゃない。

 いつの間に食べたのか。


「お腹が空いていましたので」

「そ、そう」

「いらないのでしたら」

「た、食べるってばっ」


 こ、こいつ意外に食いしん坊ね。

 

(えぇい、とりあえずっ)


 恐る恐る一口だけパクリと食べてみた。

 ゆっくりと咀嚼し、その味をしっかりと確かめる。


「……う、うん。まぁ美味しいわ」


 もぐもぐと口を動かしながら串焼きを食べていると、ルークが言った。


「別に無理しなくてもいいんですよ?」

「うっ!?」

「いやその、姫様がどのような味を想像為さっていたのかは分かりませんが……日頃姫様が食べていらっしゃるものとは、素材も料理方法も料理人の腕前も、何もかもが違い過ぎます」

「……」

「貴女が、その串焼きをそれほど美味しいと感じないのであれば、それはそれで正常なのです」

「お、美味しくない訳じゃ」

「はい。ですが」


 私の瞳を見つめながら彼はゆっくりと言う。


「……味が濃いのでしょう?」

「!!」


 ズバリ私が内心で思っていたことを言い当てられて、ひどく焦った。


「ど、どうして」


 分かったのか、と問う前に彼は静かに語りだす。


「こういった料理では素材にそれほどの御金をかけられません。元が取れずに商売になりませんから」

「……」

「素材があまり良くないのであれば、あとは味付けで誤魔化す他ありません」


 つまり。


「つまり……私が日頃食べている物っていうのは……」

「はい。国内でも最高の素材を扱った料理ばかりでしょう。当然素晴らしい素材を使っていれば味付けを濃くし過ぎれば逆に素材の味を殺してしまいます。そもそも人の手をほとんど加えなくても十分に美味しい素材なのですから、自然と薄めの味付けになるのです。そちらの方が体にも良いですし」


 なんだか、随分と世知辛い話であった。


(そっかぁ)


 なるほど、確かに串焼きは美味しいと思う。

 決して不味くはない。

 だけど全てはルークの言った通りなのだろう。


 私には少しばかり……味が濃すぎる。


「ですから」

「はぐはぐはぐっ!」

「……えーっと、姫様?」

「あ、あによ!」

「行儀が悪いです」

「う、うるはいっ!」


 突然凄い勢いで串焼きを頬張り出した私に驚いた様子のルーク。


 確かに私には少しばかり、市井の人々が食べる料理は口に合わないかもしれない。

 だけどそれを食べたいと望んだのは私である。

 仮初とはいえ、従者であるルークが私のために買って来てくれた物だ。


 ちゃんと全部食べるのが筋だと思った。


「ふぅ……御馳走様」

「だ、大丈夫ですか?」

「私もお腹空いていたしね。それにその……たまに食べるくらいなら美味しいわよ、ちゃんと」


 そう言うと、彼は微笑んで言った。


「それは……大変良かったです」






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